■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章10
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後ろ手にして扉をながめ、エレーンはほりほり、ブーツの爪先でふくらはぎを掻く。
「……えっと、」
ちら、と連れを盗み見た。
「閉まってるね」
「……おう」
「……」
「……」
あの外観の建物が、午後の夏日に鄙びていた。
黒い扉をぴったり閉ざして。きのうも見にきた鑑定屋が。
扉にかかった木札をながめて、ファレスは魂が抜けたように突っ立っている。
ぼけっと。
ひたすら、ぼけ〜っ、と。
「な、夏休み、なのかなあ……」
エレーンは引きつり気味の愛想笑い。
だが、いつまで待っても応答なし。
会話のつもりが独り言と化し、やむなく、もそもそ引っ込めた。
木札の文字は 「本日休業」 今日も休み、なんである。
いや、でも、そんなことより──エレーンはそろりと隣をうかがう。
ファレスが妙に大人しい。
昨日はあんなに 「閉まった閉まったてめえのせいで!」 と、わめき散らして吠え猛ったくせに。
いや、様子が変なのは、今に始まった話でもない。さっきご飯を食べてた時も、頬杖ついて天井見てたし。食卓につけば日々是決戦! ねじり鉢巻きのファレスが、だ!
今朝も、目覚めてふと見たら、ぽけ〜っと床に座っていたし──いや、ぶっちゃけ大幅に寝坊して、むしろ お昼 になってたが、説教一つたれなかったし。
このファレスに一体何が……
「──先に馬、見に行くか」
身じろぎ、ファレスが歩き出した。
「……あ? う、うん、そだね、賛成っ」
はた、とエレーンは我に返り、あたふた駆け寄り、横に並ぶ。
左の手首の鮮やかな紐を、ファレスは無意識のようにいじっている。
へえ? とそれにエレーンは気づいて、ひょいと手首を覗きこんだ。「どんな願、かけてるの〜?」
「何が」
「だからー、そのミサンガでしょー? ご利益あるって噂の奴じゃん」
それで、今、商都で大流行してるのだ。
ファレスの瞳が、ふと揺れた。
ゆっくりとした緩慢な動きで、手首の紐に目を落とす。「ご利益……」
「そっ、ご利益っ! ねっ、一体どんな願っ?」
「……」
「……」
「……」
「……。えっと?」
又も言葉が宙に浮き、エレーンは虚しくたじろぎ笑った。会話を始めて二応答、もう、どっかへ行ってしまった……。
ファレスが 変 だ。
やっぱり、変 だ。
ダレている、というのではない。
怒っている、というのでもない。あえて言うなら、元気がない──?
「もー。なに。どしたのよー」
溜息まじりの横目で促す。ファレスはやはりミサンガを、心ここにあらずでいじっている。
そう、ずっと上の空。何を訊いても生返事。食も進まず、時おり溜息──
(て、あれ? これって……?)
はた、と閃きが脳裏をよぎった。
──いや、だが、しかし、奴にはあまりにも似つかわしくない。明け透けすぎるこのファレスに、そんな繊細な苦悩など。
とはいえ、病にかかったような、この症状は、まさに、あの……?
予期せぬ事態が勃発し、動揺をきたして眉根を寄せる。もしや、まさかの、
── 恋 わ ず ら い ?
ぶるり、と戦慄が駆け抜けた。
常時やぶ睨みのあのファレスが?
男女を問わず愛想など、一切振りまくことのない、むしろ唸って牽制する、不愛想きわまりない野良猫が!? てか、
(わかりやすっ!?)
絶句で頬がヒクついた。己はどこのガキんちょだ。そんな一発でバレバレに──青菜に塩ふったみたいに、しょぼくれるとか。
ともあれ、ついに野良猫にも、恋の季節到来か!? てか、
(相手は誰!?)
記憶をあさる。大至急!
道中ずっと男ばっかで女っ気なんかなかったのに! 一体どこで接触した──!?
ふわり、とあの面影が、笑みをたたえて振り向いた。
長いまつ毛、広い額。少女のように邪気のない顔。たおやかな、だが、誰かに似ている懐かしい微笑み──。
(……あ、そっか)
気づいて、ぽん、と手を打った。
いや、だが、そうなると……知らぬ仲ではないだけに、そこはかとなくバツが悪い。
そそくさ横向き、頬を掻いた。「や、やーねえ、そんなにしょげないでよ〜。そりゃ、ずっと会ってなくて、恋しいだろうけど、彼女のことが」
「──なんだ、そりゃ」
「だからー。送ってきたでしょ? 領邸まで」
ファレスはぶらぶら歩きつつ、ちら、と目だけをこちらに向ける。
ノリの悪さに痺れを切らして、エレーンはうずうず拳を握る。
「もう! 付き合ってんでしょ? サビーネと」
目撃したのだ。領邸の庭で。
ファレスは足を運びつつ、面倒くさげに眉をひそめる。「──そんなんじゃねえ」
「しらばっくれなくてもいいでしょー? それなら、なんで、あの時一緒に──」
「お茶でもいかが、って言うからよ」
「……。オチャ?」
虚をつかれて瞬いた。
それってつまり、サビーネが、このファレスを ナンパした、と?
あんぐり口あけ、思わず固まる。
あの大人しいサビーネが? この剣呑な野良猫を? まさか、そんなことがあるだろうか……
──いや、と、そのそばから眉根を寄せる。
あながち、あり得ない話でもない。
むしろ、あの娘なら、やりかねない。あの度を越した世間知らずなら。むしろ、いそいそ誰彼構わず、笑って声をかけそうだ。ゴミ箱あさる野良猫にまで。
『 まあ、ごきげんよう。お茶でもいかが? 』
そう、微妙に屈託のない、温室育ちのお姫さま。そして、微笑ましいほど抜けている──
だが、それはさておいて、話が変だ。どことなく。
じとり、と腕組みでファレスを見やった。
「なんで、あんたが誘われんのよー」
未だ箱入りのサビーネは、街外れの瀟洒な屋敷に、日がな一日引きこもっているのだ。街道に詰めていたこのファレスと、どこに接点などあろうというのか。
けろりとファレスがうなずいた。
「路地から、いつも、あいつを見てた」
「──は!? 見て……サビーネを?」
「おう」
思わずどん引き、後ずさった。若い女性のいる庭を、終日じっとり眺めていたと?
つまりは 覗き ということか!?
「──そんなんじゃねえ」
非難とおののきを察したか、ファレスがわずらわしげに舌打ちした。
「ただ、──いつも、一人でいるからよ。庭にじょうろで水まいて、誰もいねえ庭の隅の、青銅の椅子に座ってよ。庭木や鳥に笑いかけて、そいつらに話しかけんだよ。昼すぎに庭に出て、日が西に傾くまで」
夏空に目を細め、ぶらぶら歩く横顔には、一点のやましさも見当たらない。
そわそわ、居たたまれず目をそらした。
胸の奥が鋭く痛む。どうしていいのか、分からなくなる。
いつかの晩にゲルで聞いた、ファレスの生い立ちが頭をよぎった。
ファレスはたぶん、一人のサビーネが気になった。庭木や鳥に話しかける、その気持ちがわかるから。きっと、ファレスもそうだったから。
けれど、それなら、なぜ、黙って彼女を見ていた?
らしくない。
わずかな無駄も省くほど、時おり幼稚と思えるほど、ファレスは短気で率直だ。相手がどこの誰であろうが、どこの貴族の屋敷だろうが、臆することなく踏み込んで──
(……そっか)
不意に、理由をうっすら察した。
きっと、如何ともしがたい事情があったから。
"想う相手"が彼女にはいたから。言わずと知れたダドリーが。
その上、彼女は、ダドリーに正式に庇護されている。それでは割り込む余地がない。ファレスは完全に外野の立場だ。だから、手が届かない。どんなに彼女を想っても、ファレスの想いは、
──報われない。
とっさに、さりげなく目をそらした。
思いがけない事情に戸惑う。もしや、サビーネ、なのだろうか。あのミサンガを贈った相手は。ずっと無意識にいじっている──。
影が、濃く射している。
夏日に乾いた石畳。凪いだ、気だるい昼下がり。
「──ひとり、なんだよな。あそこで、ずっと」
うつろな呟きが、隣で漏れた。返事を期待しない、虚ろな口調。
言葉に窮し、黙って歩いた。
だって、どう声をかければいい? 「あのね、実は、あたしも同じ」と?
きっと、まるきり敵わないのに。母親と死に別れた子供の頃に、興行の馬車と居場所を追われ、誰の保護も得られずに、一人で生きてきたファレスには。
けれど、なにか釈然としない。なんというのか、急すぎるのだ。
だって、なぜ、"今" なのだ。大陸北端の街を出て、ずい分時間が経っている。そんな素振りは、これまでなかった。なのに、なぜ、今になって──。
違和感を覚えた。
どこかで何かが噛み合っていない。本当にサビーネなのだろうか。すべてが上の空になるほどに、それほどファレスが会いたい相手は──。
そろりと盗み見た視界の端で、隣を歩くファレスが身じろぐ。
手首のミサンガを、するり、と解いた。
地面に落とし、行き過ぎる。
一連の動作があまりに自然で、うっかり、ぼうっと見届けてしまい、
はた、と瞠目で振り向いた。
「ちょ、ちょっとちょっと何してんのっ!? なんで、それ捨てちゃうのよっ!?」
「必要ねえ」
「──はあ!? いや、でも、だからって! バチ当たるわよ、捨てるとか!」
霊験あらたかな呪符になんてことを!?
「お前がいれば、支障はねえ」
「なっ、なに訳わかんないことを〜っ! 支障がどうとかそういう問題じゃないでしょが!?」
駆け寄り、しゃがんで拾いあげ、(わわっ!? すみませんすみませんっ今のは嘘ですナシってことでっ!)と引きつり顔でほこりを払う。
「い、要らないんなら、もらうからねっ?……こんないい奴、もったいない」
金糸の入った鮮やかな発色。織りのそろった丁寧な作り。高価な特注品と一目でわかる。屋台で大量に売っている胡散臭い安物ではない。
ポケットにそそくさミサンガをねじ込み、立ち去るファレスの背中に駆け寄る。
見向きもしない横顔で、ファレスがわずらわしげに舌打ちした。「──いじましい真似してんじゃねえ」
「いじましいって、あんたねえっ!」
どん──と弾き飛ばされた。
ファレスの背中に顔をぶつけ、エレーンは涙目で頬をさする。
「──な、なんで急に止まんのよっ!?」
さらりと長いファレスの髪は、立ち止まったまま動かない。行く手の何かを見ているようだが。
ぶつけた顔をさすりつつ (一体なによー)とぶつくさ見やる。
代わり映えしない商店の壁が、がらんと静かに連なっていた。
ファレスが見ているのは右端の店。壁にかかった看板の屋号は、宿で訊いてきた馬商のそれ。ならば、あそこが目的の──。
いや待て。
扉のアレは、もしや、まさかの……?
顔をゆがめてヒクついた。
「……また休みぃ!?」
こっちの店も夏休みか? もしくは皆で、どっかに避難でもしてるのか?
木板の文字は「本日休業」
ついてない……とうなだれて、溜息まじりに視線を外す。店端の壁に肩でもたれて、町着の男が喫煙している。
やはりこちらも、店に馬を見にきたものの、急な休業で途方に暮れた、こちらと同類の客だろうか。三十半ばの背の高い男。短い髪の左の耳に、センスのいい黒いピアスが──
んん? とエレーンは見返した。
あのピアス、見覚えがある。あの人、どこかで見たような? 痩せた長身、お洒落な短髪。
ぽかんと、思わずつぶやいた。
「……ギイさん?」
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