CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章13
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 あわててファレスを盗み見た。
 ファレスは軽く口をあけ、気負いない顔で熟睡している。きまりが悪いというだけで騒ぎ立てて起こすわけにもいかず、さりとて目覚める気配もない。
(や、やだ。どうしよう……)
 油断していた。ファレスがいると。
 旅の連れも大勢いる。だから、別に大丈夫。二人きりになど、なるわけがない。
 なのに──
 ガラガラ、車輪がうつろに響いた。
 車内の誰も、目覚めない。ピンチは不意に訪れる。いや、もしも、この時を、こちらが一人になる時を、狙い澄まして・・・・・・いたのだとしたら──。
 漠とした怖気が、胸を掠める。
 夜の店に現れてすぐさま、問答無用で連れ去ろうとした、着々と侵略するような、威圧的なあの手際。それを命じた当人が、出口をふさいで、そこにいる──。
 肌が泡立ち、唇を噛んだ。
 身がすくんで動けない。膝から顔をあげられない。嫌な沈黙が張りつめる中、寝具の上を、視線が惑う。
「奴さんの話は終わったかい?」
「……え?」
 頓着のない、穏やかな声?
「ご苦労さん。ガキの相手は疲れたろう。ヨハンは、あんたにべったりだな」
 拍子抜けしてうかがえば、ギイはこちらを見てもいない。
 板壁にもたれて片足を投げ、シャツの胸を探っている。ふと、怪訝そうに顔をあげた。
「どうかしたかい?」
 ぽんっ、と硬直が弾け飛んだ。
「あっと──ううんっ! 別になんでも!」
 あわあわ笑って、エレーンは手を振る。「ヨハン眠くなっちゃったみたいでっ」
「そのようだな」
 返事が前後してしまったことに、応えた後で気づいたが、ギイは気に留めるふうでもない。シャツの胸から煙草を取り出す、その無造作な仕草には、あの晩商会に現れた時の、うすら寒いような鋭さはない。
(なんだ、思い過ごしか)
 今、一瞬・・ひやりとしたのは・・・・・・・・
 どこ吹く風のギイを見て、密かに胸をなでおろす。そう、ビクビクすることなどないのだ。意を汲み、連れ立っているのだから。ぐっすり寝てはいるけれど、ファレスだって傍にいる。
「なんで、あんたには聞こえるんだろうな。誰も知らないヨハンの声が」
「……そ、そう言われても〜」
 応えに窮すが構うことなく、ギイは煙草を口にくわえる。「セカイの話はしたかい? ヨハンは」
「せ、せかい?」
「──チッ。外れか。てっきり、それかと思ったんだがな」
 苦笑いするその顔を、エレーンはそろりとうかがった。「その、セカイの話っていうのは?」
 ギイは軽くうつむいて、くわえた煙草に火を点ける。
「"時空が軋みをあげる音。この世界がひずむ音"」
「……は?」
「特技らしいぜ、奴さんの」
 ふぅ、と一服、板壁にもたれて紫煙を吐いた。
「そういう途轍もない桁外れな音が、奴には聞こえるらしくてな。仲間から一目置かれていた」
 はあ、とあいまいに返事をし、エレーンは追従笑いで小首をかしげる。「でも、初っ端から得意な話は……今日会ったばっかだし」
「男ってのは、得意な話をしたがるもんさ。ま、どうしようもねえさがって奴だ。──なら、あんなに熱心になんの話を?」
「あ、えっとね、鳥の話」  
「確かにヨハンは鳥が好きだな。他には?」
 だからー、とエレーンは身を乗り出す。
「鳥の話と鳥の話と鳥の話っ」
 面食らったようにギイが見た。「それだけか?」
「そ。他の話はなあんにも。全部みっちり、鳥の話。中でも青鳥は、お気に入りみたいよー? 一見カラスと似てるけど、う〜んと尾が長いとかって……」
 はた、と膝のヨハンを見た。
「……だから、あんなに喜んで」
 再会した街道で、青鳥をとまらせてやった時、あれほどまでに歓喜した理由──。
 無邪気に寝入った顔をながめて (いいことしたわ〜……) とつくづくうなずく。
「この子ほんと鳥が好きよね。寝るまで放してもらえないとか、さすがに思わなかったけど」
「あんたの確保は切実だろうぜ。なにせ "初めての理解者"だ。ヨハンにしてみりゃ、唯一無二の連絡手段、あんた以外の人間とは、意思の疎通が図れねえんだからな。これまでは仲間のガキどもと、どうにかやり取りしていたが、それも続けざまに死んじまったし」
 ただならぬ事態に、息を呑んだ。
「し、死んだって、なんで、そんなことに……」
「"三"の厄難って知ってるかい?」
 煙草がくゆる長い手指を、ギイは立てた右膝におく。
「ヨハンみたいな特殊なガキは 「三」に倍する年齢としで死ぬ。つまり、三歳みっつ六歳むっつ九歳ここのつだ。仲間二人も例にもれず、キャンプからの道中でな」
「え──じゃあ、みんな一緒に、ギイさんたちと?」
 キャンプで出会った子供は四人。
 商都で亡くなったケインを除けば、子供の残りは三人だ。つまり、ヨハンと、亡くなった二人──ケネルの膝に乗っていた盲目の少女プリシラと、やたらと活発な男の子。
 ならば、もう、プリシラも?
 ならば、ギイはキャンプから、その全員を連れ出した──?
「ちょっと、手伝いを頼んでいてな」
 ヨハンの柔らかな頭髪あたまから、思わず怪訝に目を返した。こんなに幼い子供が手伝い?
 その疑問を察したようで、ギイはそつなく言葉を続ける。
キャンプあそこの子供は訳ありでね。ちょっと特殊な力がある。もっとも、用があったのは、死んじまった二人の方だが。──ヨハンはいわば、オマケってところだ。どんな音が聞こえたところで、まず役には立たねえからな」
 エレーンは眉を曇らせた。今の何気ない口ぶりににじむ、そっけなさが気にかかる。もしや、このヨハンだけ、ぞんざいに扱われてきたのでは──。
 胸の奥が、鈍く痛んだ。
 取り立てられた二人とは、別扱いで蚊帳の外。みなと同じように寝起きをし、みなと同じように野原を駆け、みなと同じように連れ出され──なのに、大人の都合で格付けされれば、どんなにヨハンが傷つくか。
 ゲルの片隅で頭を寄せ合う、あの日の姿が脳裏を掠めた。柔らかな髪の、そろった背丈が・・・・・・・
 はっと息を呑んで、ギイを見た。「──もしかして、ヨハンも、もう・・
「ああ、六歳むっつになるらしい」
 ガラガラ車輪が、荒々しく響いた。
 街道の乾いた土道に、西日が静かに射している。
 立て膝の上で紫煙をくゆらせ、「だが」とギイが身じろいだ。
「こればかりは、どうにもならない。子供たちの扱いについては、ずいぶん気を付けたつもりだが、それでもやっぱり、このザマだ。──ま、奴さんの好きにさせるさ。確かに仲間は駄目だったが、六歳むっつの壁を越えられないと、必ず決まったわけじゃない。それにしても──」
 重苦しい話をそつなく切りあげ、隣で寝転がったファレスを眺めた。
「寝てるってだけでも驚きだが、まさか、ガキとまで張り合うとはな」
 薄い茶色の長い髪が、しなやかに布団に広がっている。ファレスは軽く口をあけ、ぐっすり無防備に眠っている。
 あー。そういやファレスって、整った顔してたよね〜……と今更つくづく思い出す。
「なあ、教えてくんねえか」
 しばらく無言で見ていたギイが、顎で軽く寝顔をさした。「どうやって副長を手懐けた? こんな気難しい難物を」
「は? 気難しいって──ファレスが?」
 ぽかんとエレーンは振り向いた。
 カーカー眠る寝顔を見、眉根を寄せて首をひねる。「や、横柄で乱暴で野蛮だけども、気難しい、っていうのは、ちょっと……」
 むしろ素直だ。幼稚 ともいう。
「すでに半数を超えている」
「え?」
「あんたの支持者みかたの割合さ。まだ会って間もねえってのに。その副長を筆頭に、ヨハンに鳥師、使役の青鳥」
「と、鳥も 数に入るんだ?」
「一番の支持者だと思うがな。自在に猛禽を操るとなりゃ、はたの脅威は計り知れない。ま、鳥は数から外すってんなら、うちのクレーメンスも、そっち側だぜ」
 ぱっとエレーンは目をみはり、喜色満面、両手の拳でかぶりつく。
「やったっ! あたし、クレーメンスさん大好き!」
 にこにこ肉をくれた人だ。全部食べていいよって大好きだっ!
玉の輿に・・・・乗ったんだろう?」
 虚を突かれ、言葉に詰まった。「……え?」
 ギイはすがめ見、煙草の手を軽くあげる。
「そうして次々相手の心を手中にする── 一介の庶民から一足飛びに、公爵夫人にまで成りあがった、篭絡の極意を知りたいね」
「……なんだ。つまりはその話?」
 エレーンは拍子抜けしてまたたいた。だから、ファレスを手懐けただの、味方がどうのこうのって──。
 身構えた肩から力が抜け落ち、いささかうんざり背を戻した。
「あのクレストに行ってから、どれだけソレ聞かれたことか。──あ、でも残念でしたー。ダドとは前から友達だから。最初は跡継ぎなんかじゃなくて、雑貨屋やろうって話だったし。だから、玉の輿は偶然っていうか。篭絡したとかそういう話じゃ──」
「だが、相手は総領だ。領家の夫人に一介の庶民を迎えた話は聞かねえな」
「なんていうか、特別だからあたしたち、ちょっと、前に色々あって」
「死んだんだってな。友達が」
 虚をつかれ、ギクリと強ばる。
「ラトキエが囲っていた女とか。死因は確か、黒障病」
 あんぐり絶句で見返した。
「──アディーのことまで知ってるの?」
「色々耳に入る立場もんでね」
 すぐには言葉を返せずに、あっけにとられてギイを見た。
 顔をしかめて、腕を組む。
「ギイさん。あたしに隠してることなあい?」
「なんだい、いきなり」
「だって、みんなと会ってから、ファレスの様子がなんか変だし、気づけば、いっつも、ギイさんが見てるし」
 口を尖らせ (はぐらかされまい!) と目を据える。ギイは丸め込むのが、たいそう上手い。
 そう、立場上、とギイは言ったが、それだけの理由では釈然としない。調べ上げでもしたような精通具合が引っかかる。
 ギイは指で煙草をくゆらせ、目を細めてすがめ見ている。
 何を考えているものか、まだ口を開かない。今までは淀みなく応えていたのに。
 思いがけない沈黙に戸惑い、エレーンはそそくさ目をそらす。「や、……なんでもないなら、いいんだけども」
「あんたに興味があるだけさ」
「──えっ?」
 とっさに顔を振りあげた視界に、荷台の端の姿が飛びこむ。
 外からの陽を、浴びている。
 床に投げた革靴が。壁から軽く身を起こした、ギイの無造作な街着の肩が。
 どきん、と胸が飛び跳ねた。
 かあっと顔が熱くなり、ほてった頬をわたわた伏せる。
「──で、でも、よかったあ。ギイさん怖い人じゃなくって」
 しどもどしながら話をつなぐ。「あ、だってお店では、誘拐されるかと思ったもん」
「……そりゃ悪かった。気をつけるよ」
 陽の射す荷台の片隅で、ギイが苦笑わらったようだった。
 どぎまぎしながら盗み見れば、ギイはまだ、こっちを見て──いや、見てるのはファレスか。なんだ。
「しかし、先のことはわからねえもんだな」
 顔をしかめてギイは一服、煙たそうに紫煙を吐く。
「野暮用を片づけに南に下れば、こんな面白れえもんが見られるってんだから」
 ──野暮用? とエレーンは聞き咎めた。
「だけど、あたしを迎えに来たんじゃ?」
「あんたの保護は、用事のついでだ。統領に捕まっちまってね。そうでなけりゃ今ごろは、トラビアに辿り着いている」
(……トラビア?)
 ぱちくり瞬き、はたと見た。
「そっか、ギイさん参謀だから。あ、やっぱ戦争見物? それとも何か別の用事で?」
 立て膝で煙草をくゆらせて、ギイは思案げに目を細める。
 苦笑いして目を伏せた。
「──あんたは、知らねえ方がいいんじゃねえかな」  
 
 
 日が暮れ、しばらく経った頃、次の町に到着した。
 街道で待っていた町着の人が、馬ごと馬車を引きとって、各々自分の荷物だけを持ち、夜の風情の町に入る。あのザイたちと同じ手際で。
 ペールを連れたグリフィスは、気づけば、姿を消していた。馬車を引きとった町着の人と、一緒にどこかへ行ったのかもしれない。
 どこかの店で夕食をとるべく、夜の通りを歩いていた。
 外套姿の人々が、まだ、そぞろ歩いている。丸眼鏡のクレーメンスが、眠りこけたヨハンを背負い、二人分のザックをさげて、ガスパルが店を探している。
 先導するその後ろ、右手にはギイがぶらぶら続き、横並びの左には、なぜだかむっつり静かなファレス。
 ファレスは足をぶん投げて、むっつり無言で歩いている。
 ついに苛立ったように振り向いた。
「……てんめえ阿呆! なんでギイばっか見てやがるっ!」
 はたと乗り出した肩を止め、う゛っ、とエレーンは顔をゆがめる。
 ぷい、と殊更にそっぽを向いた。
「い、いいでしょー、別に」
 と、目をそらしたその先に、ザックを引っかけたギイの姿……。
 顔を赤らめて即行振り向き、ファレスのシャツをエヘエヘ引っ張る。「ねっねっ、カッコよくなあい? ギイさんてっ」
「──あァっ!?」
 たちまちファレスがいきり立ち、ギイに指を突きつけた。
「こんな 不良軍師 のどこがいいっ!」
「そいつは聞き捨てならねえな」
 ぶらぶら歩く横顔で、ギイが鬱陶しげに顔をしかめた。
 その胸倉をつかみあげ、爪先立ってファレスはどやす。
「てめえ、この女たらしがっ!」
あんたにだけは 言われたかねえな」
 ギイは軽く剣幕をいなして、ファレスの手をそつなく外す。「"札付き"で悪名高い漁色家ってんなら、あんたの方だろ。ま、安心しな、副長さん。あんたの邪魔するつもりはねえよ。ところで、腹は、もういいのかい?」
「──。あ? なんだってんだ、藪から棒に」
 気勢をそがれたのみならず三倍返しでやりこめられ、ファレスは面食らって顔をしかめる。
「まだ、万全じゃねえのかと思ってさ」
「そんなことよりてめえギイっ! 阿呆に何しやがった!」
 ギイは大儀そうに肩をすくめる。「そう言われてもな」
「いいや、ぜってぇーなんかしたっ! なんかしただろ、ギイてめえっ!?」
 地団太踏んでファレスはがなり、こっちに指を突きつけた。
アホウが阿呆になってんじゃねえかよっ!
「……。ちょっとお」
(ちょっとやだやだカッコいいっ!? やっぱ、ギイさんの方が上手うわてよねえ〜……)とキャイキャイ見ていたエレーンは、む、とファレスを振り向いた。
 腰に手を当て、仁王立ち。
「そのアホウっていうの、やめてくんない? それじゃあまるで、本当におバカさんみたいじゃないのよっ」
 そうだ。外聞が悪いのみならず、連れの中には子供だっているのに。
 ヨハンがそれを真に受けたらどーする。
 臨戦体勢をふと解いて、間の抜けた顔でファレスは諭す。「でもよ、あんぽんたんじゃ長げえだろ?」
「だからっ、そこ・・から離れなさいよっ!」
 アホウあんぽんたんラインから。
 ファレスはふて腐って口を尖らす。「だったら、なんて呼びゃあいい」
「あたしには、エレーンって名前があるでしょ」
 不可解な物でも見るように、眉をひそめてファレスは停止。
 ぱちくり瞬き、見返した。「……え、れ?」
 うむ、とエレーンは腕組みでうなずく。「そうそう」
「──。えれ、」
 ぷい、とあさっての方向に、ファレスが全力で振りかぶった。て、なぜにそこまで抵抗する。
 背けた背中をつんつん引っ張り、エレーンは、にんまっ、と己を指さす。
「ねっねっ、ファレス? あたしはだあれ?」
 渋々肩越しに振り向いたファレスが、ぎくしゃく胡乱に顔をゆがめる。「──だから──え、れ……だろ」
「んー、惜しい。もう一声っ!」
 あぐあぐファレスは口を動かし、二度の開閉で口をつぐんだ。
 顔をゆがめて、そっぽを向く。
「とにかくだ、エレ……ん。へらへらくっついて歩いてんじゃねえっ!」
 何かが喉に引っかかったように、しどろもどろでギクシャク難癖。
 一応、努力はしているようだ。

 食事をとって向かった先は、やはり、ザイたちが寝泊まりした、宿と似たような造りだった。
 建物の広い玄関を入り、奥の鳥師に挨拶に行ったガスパルらと一旦別れて、玄関右手の階段を、各自荷物を持ってあがる。
「じゃあな」
 室内に一瞥をくれた途端、ファレスが廊下で足を止めた。
 そして、きっぱり宣言した。
「俺は、阿呆と宿をとる」
 
 

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