interval 2 〜 思惑 〜
深夜の手すりに腰をおろし、ファレスは煙草をくわえて火を点けた。
寝静まった月影の部屋、ひらいた窓の、外に向けて紫煙を吐く。
濃紺の空に、丸い月。じめり、とした生ぬるい夜風に、秋の気配が混じっている。
煙草をくわえて瞑目したまま、ファレスは深く溜め息をついた。
くわえ煙草で月をながめ、眉をひそめて目をつぶる。
舌打ちして目を開いた。雑念を追い払うように頭を振る。
「──トラムの手前で仕掛けるか」
下回りの話では、街道封鎖はすぐそこだ。
ギイの話に乗ったふりで、馬車に同乗、西へと進み、国境近辺バスラ辺りで連れをまく、そうした算段をしていたが、ここではまだ遠すぎる。
街道封鎖で引き返せば、次の移動先は必然的にトラム。ならば、部隊手前で馬車から離脱し、トラビア以南の町に逃げ込む。その町より更に南の国軍本部を盾にして、部隊を牽制、地下道から越境、隣国の広大な大陸を、馬で横断、追手を振り切る──
馬はともかく、問題は路銀だ。
部隊を離れるというのなら、費用はすべて自前となる。
煙草を捨てた右の手を、上着の懐に突っこんで、ファレスはそれをつかみだす。
片手に載るほどの大きさの、端のすり切れた革袋。
中から一つ無造作につまみ、窓の外の月光にかざす。五十を超えて生き延びて、まだ命があったなら、異民街の片隅で、店でも張ろうかと思っていたが──。
硬い石が、月影にきらめく。
稼いだ財貨は、宝石に換えて持ち歩く。我が身一つで渡り歩く傭兵という商売柄、札束より携帯が楽だからだ。同じ事情の旅芸人は、ジャラジャラ宝飾品にして身に着けるが、着飾る趣味はファレスにはない。第一、動作の邪魔になる。
換金すれば、一つでも、そこそこの金になる。今の手持ちの金だけでは、当面の資金も覚束ない。
まだ街道にいる内に、換金しておく必要があった。
街道封鎖でザルトに戻り、トラムの部隊へ南下すれば、到着するまで野営が続く。田畑の畦の脇道に、町のような店など存在しない。
町には商会の支所もあり、移動手段の手配も、路銀も物資も受け取れるが、一たび部隊を離れれば、そうした恩恵は受けられない。それどころか、チラとでも顔を見せたが最後、たちどころに末端まで連絡がいく。
街道上に位置する町には、鳥師がもれなく待機して、情報収集に明け暮れている。そして、随時、交信している。青鳥の空を往く速さたるや、地を駆る馬の比ではない。
『 我と、ここで暮らさぬか 』
虚空をながめた気憶の底に、ぽつり、と落ちた虚ろな声。
天を仰ぐ桜色の唇。
流れる黒髪。無防備な瞳。音もなく記憶が降り積もる、索漠と白い無限の世界に、ひとり立ち続ける、か細い背──。
淡い気配がまとわりつき、だが、目を向けた途端に、ふつりと消え入る。戯れるような振る舞いで。
儚い影を捉え損ねて、ファレスは舌打ち、眉をしかめる。
あれは、裏切りだったのだ。信義を踏みにじる、重大な。
セカイを弾いた、あのミサンガは。
気に入ったから一人だけ、そっとセカイに連れてきた。
立ち入ることを、だから許した。
何のくすみもない、白い気持ちで。ひらひら舞い降る雪のように。
木造建築のぐるりを取り巻く、社殿の回廊、朱の欄干。
木々も丘も埋め尽くす、見渡すかぎりの雪原と、ほの明るい薄灰の空に、丸く大きな三つの月。見渡すかぎり人影のない、一切音のない世界。
何をそんなに恐れたのか。不意にひるがえった黒い髪──。
「出てこい、月読」
ひとり立ち続ける、か細いあの背が、あの荒野の光景とかぶる。
幼いあの日に逃げこんだ、樹海の夜の深さとかぶる。目を凝らしても、誰もいない……
「──そんな所に、一人でいるな」
さわさわ、庭木が夜に鳴る。
床の影は動かない。守り抜くべきあの連れは、子供と頭をくっつけて、微かな寝息を立てている。
「構いたいなら、遊んでやるから、」
やるせなさを吐息に紛らせ、ファレスは苦々しくつぶやいた。
「阿呆をお前の依り代にするな」
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