■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章16
( 前頁 / TOP / 次頁 )
近ごろ、クレーメンスが大人気だ。
四人がけの隣はヨハン。向かいの席には件の客。人気の秘訣はあれだろう。丸い眼鏡と丸っこい体型、そして、あの人当たりの良さ。常に周囲に目を配り、他愛のない雑談にも付き合ってやる辛抱強さ。
女子供に囲まれて同じ卓で歓談など、あれがガスパルであったなら、すぐに膝をゆすって貧乏ゆすりを始め、雰囲気を険悪にしたあげく、助けを求めるところだろうが、クレーメンスならば問題ない。
だが、女子供の相手にはなっても、覇気がない、というわけではない。
客も子供も知らないだろうが、呑気そうに見えてもクレーメンスは、根回し、裏工作の辣腕家。いかなる利害関係者とも折り合いをつけ、交渉の場を設定することにかけては、随一の腕を持つ手配師だ。
ちなみに客の隣の席、四人がけの窓際には、副長ファレスがぴったりと、当然のごとく居座っている。あくびをかみ殺した仏頂面で。
自ずと席にあぶれたギイは、同じくあぶれたガスパルと連れ立ち、店の戸口にほど近い、四人がけの卓に座を占めた。
通りに面した窓辺には、副長がさりげなく陣取っているから、あとは出入り口を固めてしまえば、大抵の事態には対処できる。
コップの水で、タオルを浸して顔を拭き、ついでに首の後ろもぬぐう。
それを卓に放り投げ、ギイは椅子に背を投げた。
暑いさなか御者を務めたガスパルも、ばてた様子で足を投げ出す。
どさりと降ろしたザックの縁から、にょっきり "耳"が飛び出ている。盲目の少女に持たせ損ねた、あのウサギのぬいぐるみ。
客にやるには幼すぎ、男児のヨハンは欲しがらない。引き取り手はなく、嵩張るが、少女の形見というのでは、捨てるというのも、ためらわれたのだろう。だから仕方なく、という態で、ガスパルは律儀に持ち歩いている。
だが、どうせ持って歩くなら、と一計を案じたものらしい。
馬車の御者の交代時、後部の荷台へ戻った際に、ザックの中から取り出しては、頭に敷いている姿を見かける。要は枕代わりだが、予定外の弊害も出たようだ。
がさつな振る舞いが災いし、ガスパルには寄り付かないあの客が、うつ伏せたその代物が「ウサギのぬいぐるみ」と知ったらしい。
ぎょっとたじろいだあの時以来、ガスパルが傍に寄るとすぐさま、あわててきっちり距離をとり、ぎくしゃく愛想笑いをし始める。まあ、無精で不愛想な中年男が、ピンクのウサちゃんにしがみつけば引くか。
誰の反応も気にしない地図屋は──むしろ気づいてもいないらしいガスパルは、ダレて天板に突っ伏している。上官の前だが構うことなく。
だが、ギイは咎めない。暑い日中、馬車を駆るのは重労働だし、代わってやる予定も、ギイにはない。それはガスパルもわかっている。
「──たく。こんな街道くんだりを、まだうろついてるってんだからな」
出された飯をさっさと掻きこみ、食後の茶を飲み干して、溜息まじりにギイは零す。
「つくづくあれが、ケチの付き始めだったよな〜。ザルトで統領に捕まったのが。たく。客の移送はとっくに済んで、闇医師の所じゃなかったのかよ」
現在、護送中の客の話だ。
「ウォードが外に出したとか。──あ、いえね、どうやら客を気に入っちまったようで」
同じくさっさと飯を終え、ザックにかがんだガスパルは、ごそごそブツを取り出して、早々に天板に突っ伏した。目下の元凶ウサギ枕に。
中年の黒髪の後頭部に、ギイは軽く顔をしかめる。
「しかし、よりによってウォードとはな。あの得体のしれねえ怪物に、よくもついて行ったもんだぜ」
「どうやら客も気に入ってたようですよ。ま、馴染みやすかったんじゃないんすか。部隊の連中にしては凄みのない、きれいなツラしてますし。もっとも、商都を出てすぐに、客に置いてけぼりを食らったようで」
「ヤバイと気づいて逃げ出したわけだ。ま、それが正解だ」
まだもたもた食べている、窓辺の連れをながめやり、ギイは煙草の紙箱を取りだす。
ウサギに突っ伏したその顔を、ガスパルがちらと横向けた。「で、何を企んでんです?」
「何が」
「ばかに親切じゃないですか。客の条件呑んでやって、こんな所まで付き合ってやって。いつもだったら問答無用で部隊へ連行してるでしょ。こんな所まで来ちまっちゃ、引き返すだけでも一苦労ですよ」
部隊のいるトラムの位置は、街道より南だが、山と田畑のこの地帯、馬車で行くなら、分岐はザルトだ。つまり、トラムへ行くのなら、再び要衝ザルトまで戻り、支線を南下する必要がある。
「何なんですか、愚図ってる理由は」
「──いいじゃねえかよ、なんだって。なんで、今ごろ文句を言うかね」
「また、そうやって、すぐ隠すー。なら、頭代わってくれますー? ザルトに戻る、帰りの御者をー」
「──そんなことより、あの坊や、」
雲行きが怪しくなり始めた、話の矛先をやり過ごし、ギイは煙草をくわえて火を点ける。「なんで一度も、ツラ出さねえんだろうな」
「ツラ?──ああ、ウォードの話ですか」
未練がましく見ていたガスパルが、眉根を寄せたその顔を、渋々諦めたように突っ伏した。
「飽きたんでしょう、あの客に。見た目こそ一端でも、なにぶん十五のガキですよ」
「あの癖のある闇医師から、手間暇かけて分捕っておいてか? あれはただの診療所じゃない。名うての用心棒で病室を固めた、同業でも手こずる監獄だ。難攻不落の守りの硬さは外敵排除にはうってつけだが、お代未納で取り戻すには、同じ分だけ手がかかる。客に愛想をつかされたくらいで、引き下がるとは思えねえがな」
「──なら」
はっとガスパルが背を起こした。
窓辺を一瞥、声を落とす。「まさか、奪還の機会をうかがっている、と?」
「奴さんは、今どこに?」
「拠点で聞いた話では、姿をくらましたようですが。客と別れたその後に」
「奴を、客に近づけるな」
端的に言いつけ、紫煙を吐く。
「きれいなご面相の十五のガキでも、腕力はそこらの一端以上だ。客の身柄が奴に渡れば、収拾はもっと厄介になる。逃げた獲物を捕らえれば、今度は牙を剥きかねねえ。別の奴ならまだしもウォードには、道理を弁えねえ弊がある」
「了解。直ちに」
座ったままで身をよじり、ガスパルが扉の外へと目配せする。
道の向かいの庇の下で、待機していたグリフィスが、つかつか近寄り、店に入った。
目で軽く会釈して、呼びつけたガスパルに背をかがめる。
耳打ちに軽くうなずくと、すぐに店から飛び出した。
中継地点に向かったその背を、椅子にもたれて見送って、ふと、ガスパルが振り向いた。
「そういや、なんでわかったんです? ザルトで、副長の次の手が」
出奔した方角を、すぐさまギイは言い当てた。
「このカレリアの国土の中で、トラムにある武装部隊が、唯一進めねえ場所がある」
どこだと思う、と促され、ガスパルは困ったように苦笑い。「まあ、馬じゃ進めねえ海だとか、峻険な山中ってとこですかね」
「トラビアだよ」
卓の端に片づけられた、灰皿をギイは引き寄せる。
「ディールの拠点トラビアを囲んで、国軍が駐留しているからな。なら、必ず西へ打って出る。カレリアの国軍を盾にして部隊の追手を牽制しつつ、隣国へ越境、逃亡を図る──抜け目のねえ副長なら、それくらいの計算はするさ」
「──つまり、別の部隊を自隊にぶつけて、当面の逃げ道を確保するって寸法ですか。しかし、完全武装で結集した敵の懐に飛びこもうたァね。つくづく肝の太いことで。女連れで動くなら、交戦中の現場は避けて、潜伏するのが常でしょうに」
「腕に覚えがあるんだろうぜ。そもそも、東へ戻るのは、常にも増して危険を伴う。このディールの騒乱で、連絡要員が街道に張り付いている。あっという間に足取りが割れる」
当のファレスは窓際で、ぼうっと頬杖をつきながら、あくびの口をあおいでいる。
誰かが客に近寄れば、子供でも排除するファレスだが、向かいに座ったクレーメンスの柔和で丸っこい体型には、どうにも闘志が湧かないらしい。
お陰で窓辺の食卓は、安閑を絵にかいたような平和な光景。落ち着きのない子供の口を、クレーメンスが拭いてやっている。
正午前の飲食店。食事時には早いため、店はがらがらに空いている。
「しかし、こんなに、チンタラやってていいんですかね。統領からの言いつけじゃ、無視しようもありませんが。でも、どうするんです、当初の目的は」
「仕方がねえだろ、副長があの調子じゃ。副長に渡してお役御免、と初めは俺も思ったが、あの今の副長に、預けるなんざ論外だ。たく。俺たちだけなら幾らでも、進みようはあるんだがなあ」
「トラビアに抜けようにも、まさか地下道には潜れませんしね。部外者が見てるってんじゃ。幸い向こうは砂風で、国軍は未だに足止め食ってるからいいようなものの──あ、だから、待ってるんですか」
はっと得心したように、ガスパルが目を見開く。そう、街道の封鎖それ自体は、出かける前からわかっていたのだ。
ギイは頭の後ろで手を組んで、くわえ煙草で椅子にもたれる。
「進行方向が一緒ってんなら、動かねえのが得策だからな」
「要はここで時間を稼いで 押し付けよう って肚ですね?」
「──人聞きが悪いな、ガスパル君。ここは然るべき適任者に、お任せしようって話だろ」
「つまりは、それで身軽になって、ずらかろう、って話でしょ」
目論見をきっちり指摘され、ギイは苦虫かみつぶして舌打ちする。
ふと、ガスパルが眉を曇らせ、苦々しげに目を伏せた。
卓の天板で手を組んで、やりきれない面持ちだ。ギイは怪訝に見咎める。「どうした」
「──いえ、なんてぇのか、その、」
枕にしていたウサギの耳を所在なげに取りあげて、単純な造作のその顔に、見るともなしに目を据える。
「なんていうのか、俺は、その、──やっぱり、俺は、嫌ですねえ」
日ごろ率直な地図屋にして、何やら珍しく口が重い。
「そりゃ事が事だから、仕方がねえのはわかってますが、連中のやり方はあまりにも」
「そう言ってやるなよ、あれも仕事だ。規律と威信を保つには、汚れ仕事も誰かがしなけりゃ──」
「けど、頭」
ガスパルが遮り、顔をあげた。
「相手は柔な堅気ですよ。たぶん何もわかってないすよ。連中、女子供でも容赦がねえし。あの徹底した冷徹さには、いくら身内でも、ひやりとする。奴らに客を引き渡せば、一体どんな目に遭わされるか、そんなこと頭もわかってるでしょうに!」
つかのまギイはあっけにとられ、真剣に訴える部下を見た。
やきもき、焦れたように言い募る目。斜に構えたこの部下の、上気した顔など初めてだ。そんなことは一言も、今までただの一言も、口にしたことはなかったのに。
「……うっかりしてたな」
頭の後ろの手を解いて、片手を部下の頭に置く。
「お前にだって、感情はあるよな」
直視しているガスパルに、改めて静かに向き直った。
「まだ許せねえか、自分のことが」
あの時、女児から目を離したことが。
人の死には慣れている傭兵という仕事柄、そうまで傷を引きずるのは稀だが、今回の発生は不意打ちで、常とは異なる子供だったからか。
こういうのは見落としがちだ。
粗雑なガスパル、柔和なクレーメンス、だが、そうした見てくれとは裏腹に、子供に寄り添っていたクレーメンスより、実はこのガスパルの方が、ずっと参っていたのかもしれない。元々このガスパルは、体は十分鍛えても戦闘に直接かかわるのは嫌で、地図製作に携わった変わり種。
とはいえ、あのクレーメンスにしても、堪えていないはずがなかった。あれほど子供の近くで過ごし、親身になって世話をしていた。だが、どれほどの傷があろうとも、心の奥底にしまいこみ、誰にも見せない、そういう男だ。
「なるほど不幸な結果にはなったが、あれはいわば、起こるべくして起きた因果だ。責められるべきは、お前じゃない。キャンプから連れ出したのは、俺だしな」
ガスパルは頭を垂れて押し黙っている。
「その情けは見当外れだ。客の行状を見過ごしたところで、ガキどもに対する贖罪にはならない。客は部隊に引き渡す。期待はしない方がいい。もう、副長にも手は出せない。手を出させるつもりもない」
常なら手強い副長も、腹部に刺傷をかかえている。
しかめっ面でうつむいた、節くれだったガスパルの手が、無意識のようにウサギをいじる。
「けど……客を逃がしたのは副長でしょうに」
皮肉な口調に、非難がにじむ。
「なのに、そっちの咎には目をつぶり、客は切って、副長は守る、つまりはそういうわけですか」
「ああ、そうだ。その通りだ」
きっぱり、ギイは一蹴した。
「あの飛び抜けた器量は貴重だ。こんな一時の気の迷いで、大事な稼ぎ頭を潰すわけにはいかない。副長一人いるだけで、部隊の数人の命が助かる」
卓に置いたガスパルの手が、固く拳を握っている。
「……頭は、付け込む隙を与えねえからなあ」
ぽつりと落ちた、声がかすれる。
晴れた外の、ひと気ない町角。向かいの窓が、夏日に光る。
ガスパルが吹っ切るように顔をあげた。
「忘れてください、今の話は」
頭を掻きやるその頬に、照れたような苦笑い。
「すいません、頭。妙なことを口走っちまって。今日も暑かったもんだから。──で、どうなんです、心証は。それとなく探ってましたよね」
飄々とした口調に戻っている。だが──。
ギイは横目で、ちらと見る。
「──尚早だな」
唐突に探りを入れてくる腹に一物ありげな顔つき──だが、それについては気づかぬ振りで、ギイはくわえ煙草で天井を仰いだ。
「事ここに至った筋道が見えねえ。あのエレーン=クレストは、隊長と交流のあった唯一の女。事件当日の証言も、目撃者も揃っている。だが、あの客の態度には、見たところ何の計算もねえ。過ちを悔いる様子もねえ。あれを芝居と切り捨てるには、一事が万事不用意すぎる」
がらん、と呼び鈴。人の近づく気配がした。
足早に近づいた人影が、会釈し、平服の肩をかがめる。
耳元で告げ、立ち去ったのは、連絡に行った先のグリフィス。取り次ぎに行ったその先で、別件の情報を受け取ったらしい。
無言で見ていたガスパルが、辺りを憚るように声をひそめた。
「──相変わらずですね。いつの間に指示を?」
こちらの声など届かぬくらい離れているにもかかわらず、窓辺の客をちらとうかがう。
「呼びつけられて戻ったわりに、連中の足も相当速いが──って、つまりは応援の話ですよね?」
「──ご名答」
煙たげに紫煙を吐きながら、ギイは煙草をすり潰した。
「特務がザルトに到着した」
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》