■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章18
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ラディックス商会、一階ホール。
正午のほの暗い帳場の脇で、ファレスは町の下回りから、取り分の路銀を受けとっていた。
釈然としない面持ちで。
今の内に、と連れから離れ、宝石を金に替えるべく、鑑定屋へと赴いたのだが、なぜだか、やっぱり 「本日休業」
だが、屈した振りで騙くらかして一行の仲間に加わったから、例の妨害工作については、とうに解除になったはずだ。なにせ、維持には金がかかる。街道沿いの鑑定屋をもれなく休業させるとなれば、店の売り上げ相当を補填してやる必要がある。
「なんだ、本当に逃げたのかよ」
その閑散とした光景を思い浮かべて、ファレスは「根性ねえな」と舌打ちする。「これだからひ弱な連中はよ。まだまだじゃねえかよ、火元まで」
対象の居場所が特定した今、ギイは最寄りの一店だけを押さえてしまえば事足りるわけだが。
そこに気づかぬ副長ファレスは、逃亡資金には程遠いものの、補充を終えた財布をしまい、ぶらぶら商館の出口へ向かう。昼でもほの暗いホールには、談笑している客の姿。商談の順番を待っている者。身なりの良い商人たち──。
ふと、ファレスは足を止め、先の帳場を振り向いた。
「おい。外套はあるか。この地方の奴が着る──」
当面の目的地トラビアは、近年稀にみる悪天候。砂を巻きあげて風が荒れ、竜巻まであると聞く。お陰でずっと、トラビアとの交信が途絶えている。途中で竜巻にやられたか、青鳥が戻ってこないのだ。
野宿を見据えて客の外套は用意したが、今の内に自分の分も、入手しておくべきだろう。街道をそれて支線に入れば、手に入れようにも店がない。ギイたちから離脱して、地元民ばかりのトラビア圏に逃げ込めば、防護服ではいかにも目立つ。
奥から出してきた外套を、ファレスは受けとり、ためしに羽織る。ボタンの有無や、ほつれなど、不都合な箇所の有無を検め、フードをかぶって丈をみる。裾の長さはいいようだが──
まだ無灯のほの暗い戸口に、外から射しこむ日差しとざわめき。
入店した初老の紳士が「ほう?」と瞬き、足を止めた。
白ひげの頬を心もち赤らめ、ぼうっと戸口で立ちつくしている。少し遅れて、ざわめきが止んだ。
「……あ?」
怪訝にファレスは顔をあげた。なぜだか注目を浴びている……?
奇妙な空気に顔をゆがめて、すぐに片頬ひくつかせた。男女を問わず、この感覚には覚えがある。ふわふわのぼせた甘ったるい熱気。称えるかのような和やかな微笑み。野郎どもの熱い視線──。
「ジロジロ見てんじゃねえぞコラっ!」
一喝でフードをむしり取る。
ぎゃ!? と悲鳴で飛びすさった周囲に、ファレスは視線を走らせた。そういや、鑑定屋の前からだ。
「誰だ! 出てこいっ! おちょくりやがって!」
そう、誰かにくすくす笑われている気がする。
鑑定屋の前から、ずっと。
連絡を受け、急ぎ宿舎に戻ったギイは、予期せぬ客に面食らった。
「これは首長。お久しぶりで」
気配に気づいて振り向いたのは、主力部隊・バパ隊の主席。諜報、内偵、工作を受け持つ特務班を率いるザイだ。軽く会釈した禿頭は、敏腕で知られるセレスタン。
ギイは視線を走らせる。
がらんと広い大部屋に、脱ぎ捨てたままの子供のズボン。窓辺の隅に赤いリュック。客の姿は見当たらない。
一同、到着直後のようで、部屋の中央に突っ立っている。地図屋ガスパル、特務の二人。だが、首長の側仕えが、なぜ、ここに──。それについて視線で問うも、ガスパルも事情が呑みこめない顔。
先の一報「バパ隊の現地入り」から、まだいくらも経ってない。
だが、現に目の前にいる。いるはずのないバパ隊の配下が。現地ザルトからここまでは、馬で軽く一昼夜の距離──。
「異名の通り、か」
さらりとした薄茶の髪は「鎌風」の異名を持つ、速さで定評のある首長の右腕。
猶予が消えて計算が狂い、ギイは唇を舐めて時間を稼ぐ。「ばかに速いな」
ザイが肩で向き直った。
「いえなに、畦道を突っ切ったんで」
「──道なんかねえだろ、無茶しやがる」
二人が所属するバパ隊は、確かにザルトに到着している。首長に同行していた二人がここにいるということは、ザルトから部隊に南下する途中で、別行動をとったことを意味する。おそらく事件の連絡を受けて。
青鳥による通信は、発信した当日に、トラムの本隊に到達し、翌日には現地ザルトに向けて、応援が出立、北上する。
ザルトまでは一本道。部隊を出た応援は、帰還途上のバパ隊と遭遇、ザルトでの事件が伝われば、犯人確保の手柄を競い、バパ隊も必ず引き返す。つまり、事件発覚から都合三日で、ザルトに結集、手筈が整う。そうした筋書きを描いていたが──。
「一応訊こうか。用向きは?」
「客の身柄を引き取りに。帰還の途で連絡がきまして。なんでもザルトがえらい騒ぎになっているとか」
「隊長がやられて物騒な時局に、なんで、首長についてない」
「ま、首長もご承知の通り、元より特務は、この手の処理がお役目ですから。だが、ここのところ、ちょいと隊内がゴタついていましてね。頭の手があかねえなら、こっちだけも先行しようかと」
「つまりは無断で来たわけか」
「
「へえ、そうかい」
「もしや、何か不都合でも?」
「まさか。あるわけねえだろ、そんなもの」
完全に誤算だった。いつも素っ気なく冷めていた、この二人が突っ走ろうとは。ギイは苦虫かみつぶす。「うっかりしてたぜ。まさか特務の双璧が、そんなにお祭り好きとはな」
「これでも勤勉なつもりですがね」
軽い皮肉にせかせか応答、ザイはたまりかねたように目を返す。「そんなことより、」
「客なら、ちょっと外してる」
「そのようで。お戻りは?」
「飯の後で、部下とここに戻ったはずだぜ。用足しにでも行ったんじゃねえのか」
隅に置かれた赤いリュックを、ザイは確認するように一瞥する。「──そうですか。ザルトからの続報は?」
「そっちの頭の"現地入り"が最新だ」
「例の事件の進捗は。その後どんな塩梅ですかね」
「ザルトの拠点で隊長が、一服盛られて昏睡状態。丁度ザルトに居合わせたクロウが、当面の処置は済ませたが、薬の種類が特定できず、打つ手がないのが現状らしい。あの体質じゃなかったら、とうに往生しているところだ」
応援部隊との合流時で──つまり、事件が発覚した三日前で、情報が途切れた特務の二人は、無言で聞き耳を立てている。
「それで、一服盛った犯人だが、連絡員の証言によれば、事件の直前、接触したのは、外套姿の若い女。隊長とは懇意らしいが、地元ならともかく国外だ。その上、今回は任務中で、外部との接触も限られることから、かなり容疑者は絞られる。つまり、その最有力は、近ごろ部隊で預かった──」
「違う、そんなはずはねえ!」
ガスパルが激しく頭を振った。
食い入るように目を据える。
「違いますって。違うでしょう頭。そんなはずがねえでしょうに。頭もそう思えばこそ、俺に手引きさせようと──」
「手引き?」
すかさずザイが聞き咎めた。
「何スか、その手引きってのは」
はた、とガスパルが自分の口を鷲づかんだ。
だが、言い立てた後では後の祭り、"脛に傷"は明白だ。渋い顔で、ギイは舌打ち。「──なんでもねえさ。ちょっと行き違いがあったようでな」
そうですか、とザイは応じ、あわてて背を向けた地図屋の顔を、腕を組んでながめやった。
「気になりますねえ」
はっと一同、耳を澄ました。
館内の階段を駆け上がる音。
取り乱したように踏み板を蹴立て、続いて廊下を走る音──。
引き戸をつかんで開け放ち、転げこんだ男が顔をあげた。
「今、ザルトから連絡が! 隊長の意識が戻りました!」
部屋の全員が固唾をのんだ。
とっさに図りかね、ギイは呟く。
「──意識が、戻った?」
打つ手がないのではなかったのか?
予想を裏切る報告に、誰もがとっさに言葉を継げない。
部屋に飛びこんだ伝達係が、もどかしそうに顔をゆがめた。「ほら、首長が連れてきた班長ですよ。ザルトに着いた、衛生班の。なんでも解毒剤を持っていたとか」
「──つまりは助けた、あの風見鶏が?」
つぶやいたのはザイだった。口をついた、という風情で。
呆気にとられて立っている。そして、同じく呆気にとられた、セレスタンとすばやく見交わす。
伝達係は唾を呑んで続ける。「そういや、犯人も捕まったとか」
「──捕まった?」
今度こそ、面食らって訊き返した。「つまり、それは、ザルトで、ってことか?」
「ええ。なんでも近くをうろついていたとか。様子を見に来たんじゃないすかね」
「どこの誰だ、犯人は。まさか領家の関係者か?」
「いえ、あの、カレリアの女ってわけじゃ──」
「この国でなけりゃ、隣国ってことか? 聞いてねえぞ、そんな話は」
「──はあ、それが」
伝達係が上目遣いで、言いにくそうに報告した。
「うっかり報告が抜け落ちたらしくて。普段見ている地元の女と、見た目が一緒なもんだから」
「──そういうことか」
ようやくギイは事情を察し、盛大な溜息で額をつかむ。
「応援部隊か、証言したのは」
こたびのカレリア内戦に応じた、増員が招いた事故だった。
カレリアには元より連絡員が少ない。大きな都市でも配置は数人、街道沿いの町村となれば、わずか一人の勘定だ。戦をしないこの国では、日々の些細な連絡しかないため、少人数でも事足りる。
ところが今回、内戦が勃発。膨大な量に膨れ上がった日々飛び交う情報を、収集、管理、更新すべく、急きょ人手が必要になり、隣国から大量に増員した。これが仇になった。
戦地に近い町々では、暴力沙汰に巻き込まれるのを恐れて、大抵の者は外出を控える。中でも非力な女子供に、この傾向が顕著だ。
入国から日が浅く、事件で混乱した連絡員は、目撃した女の容姿になんら違和感を覚えることなく、女児か老女か中年かの年頃、小柄か大柄かの体格の別、背丈等の情報を加味して「小柄な若い女」と証言したのだ。日ごろ目にする、今さらな箇所は無意識に省いて。
ギイはやれやれと天を仰ぐ。「なんてこった。凡ミスかよ」
思索にふけっていたザイが、ふと、合点したように顔をあげた。
「──ああ、それで。あの頭のやりそうなこった」
何やらセレスタンも察したようで、相槌の視線をザイに送る。「妹ってことね。交換条件」
「なんだ、その交換条件ってのは」
「──いえ、なに。こっちの話でして」
ギイは怪訝にザイを見た。頭、妹、交換条件──二人は何の話をしている?
先の報告を聞き咎め、ザイが口をつぐんだのは「隊長の意識が戻った」件。そして、衛生班の班長が隊長を助けたのが意外だとでもいうような口振り。だが、
「そんなに不思議か? 衛生班が処置するのが」
「ですから別に、なんでもねえんで」
ザイがつぶやいた「風見鶏」すなわち衛生班の班長は、確かカルロという男だったが──。
ギイは嘆息、苦笑いで諦めた。「──だろうな」
見るからに曰くありげだが、追及しても無駄だろう。こっちに弱みなど、見せるはずがないのだ。
「ともあれ、副長にも教えてやらにゃ」
思い出して、窓を見る。
ようやく不在に気づいたように、ザイもふと振り向いた。「そういやあの人、今どこに?」
特務到着の一報が、町角にもたらされたあの時に、ファレスも近くにいたはずだが、気づけば、姿を消していた。慌ただしい気配で、勘づかれたらしい。
「また勝手に消えましたか」
話を聞くと、ザイはうんざりと嘆息した。
「あの人、何気に 厄介 ですよね」
のどかな午後の大部屋に、瞬時にどんより沈黙が落ちた。
一同、不意打ちの辛辣さに、二の句が継げず、天井を見る。
ギイは軽く息を吐く。
「ともあれ、これで落着だな」
身じろぎ、懐に煙草を探る。「客は任せる、連れて帰りな」
これで身軽にトラビアへ──願ったり叶ったりだと思っていると、拍子抜けしたようにザイが見た。「よろしいので?」
「よろしいも何も、客を留め置く理由はねえしよ。疑いも晴れたことだしな」
「だろうっ? な? そうだろう」
鼻の下を指でこすって、ガスパルが得意そうに笑いかけた。
「そうじゃねえかと睨んでたんだ。なのに、連れて行こうとしやがるからよ」
「おや」
当てこすられて見やったザイが、向き直って腕を組む。
「こっちはてっきり、あんたが手柄を独占しようとしてんじゃねえかと」
「な゛っ!? 俺がそんなにさもしい男に見えるかよっ!」
「知りませんて。オトモダチじゃねえんだから」
「──よしな、ガスパル」
取り出した煙草を口にくわえて、ギイは部下をたしなめる。「お前に敵う相手じゃねえよ」
地図屋が情けない顔で眉尻を下げた。「頭、それはないでしょう。誰の味方なんですか〜」
「俺はあんたを信じるよ」
横から声が割りこんだ。
ずっと口を挟まずに、経過を見ていたセレスタンだ。
「さっきの必死さは、信じるに足る。な?」
ぽかんと口あけて振り向いた地図屋に片頬で笑いかけ、部屋の隅へとぶらぶら歩く。
客の持ち物の赤いリュックを、しゃがんで片手で取り上げた。
「あとは、姫さん連れて帰るだけか。それにしても、遅いな姫さん。腹でも壊しちまったかな〜」
ぎくり、とガスパルが引きつった。
あたふた泡食い、窓辺へ急行。階下をきょろきょろ見回している。「……いや、まさか、な」
「どうかしたのか」
ギイは一服、地図屋を見る。「そういや、ばかに戻りが遅いが、連れて戻りはしたんだよな?」
「あ、いえ、確かにあの後、四人で部屋には戻ったんですが、その……」
地図屋は目を泳がせて、後ろ頭をガリガリ掻く。
「その、実は──」
事情を聞いて、瞠目した。
「規制線!?」
しばらく、あぜんと言葉を失う。
「──なら、関所を越えるよう言ったってのか」
予想だにしない展開だった。
小さくなった地図屋のかたわら、特務の二人も呆気にとられて固まっている。
いたたまれないという顔で、地図屋がぎこちなく首をかしげた。「いや、ちょっと焦っちまって──なんとか客を逃がそうと」
「それにしたって、ラトキエは敵だぜ。懐に飛びこませてどうするよ。逃がすにしたって、まずは潜伏が基本だろうが。なんで、そんな突拍子もねえことを」
「……い、いや〜……あの時は、とにかく……逃がそうと……」
進退窮まり、盗み見たその目が、セレスタンのそれとかち合った。
「前言撤回」
ぷいとセレスタンは無下に一蹴。
「出奔かよ。参ったね」
ギイは頭を抱えて嘆息する。「だが、そもそも、どうやって外へ。階下には人が詰めていて、玄関からは出られねえはずだが」
そろりと逸らした地図屋の視線の先を追う。
「──窓?」
窓辺へ歩き、下を覗いた。
「……折れてるな、枝が一本」
庭にぽっきり、その切り口は真新しい。まだ葉が青々している。
そして、なぜだか隣の窓に、ぱっと張りつく特務二名。
想定される状況がよぎり、あぜんとギイは地図屋を見た。
「おい、待て。まさか、ここから──」
地図屋が言いにくそうに頭を掻く。「……そういうことも、ありえるんじゃねえか、と」
「ねえだろ、まさか。山野を駆ける野猿ってんでもあるめえし。商都で育ったお姫さんが、どうしたらそんな野郎じみた豪気な遊びを──」
なぜだかそろりと、特務二名が目をそらす。──いや、地図屋、お前もか。
後ろ暗そうな面々を、呆気にとられて端から見、再び階下の庭を見た。
「──ひとまず、怪我はしてねえようだな」
視線をめぐらせ、目を戻し、溜息まじりに腕を組む。
「ま、支障はねえだろう。馬車なんぞ早々捕まりゃしねえし、規制線まで、徒歩では無理だ。散々街道をうろついて、引き返すのが関の山ってとこか。──ガスパル、身柄を保護してやんな。ほっといても支障はねえが、厄介なことになっても面倒だ」
「は、はいっ、直ちに」
地図屋が弾かれたように背を起こし、バタバタ部屋を駆け出していく。
「──けど、首長」
ザイがたまりかねたように目を向けた。
「何かの拍子に、関所を越したりしませんかね。地元の馬車でも拾っちまったら」
「運よく関所に辿り着いても、そこから先は、まず無理だ。現に体よく追っ払われて、戻って飯にしたんだからよ」
「それでも万一、越しちまったら」
「──あのな、鎌風。お前らみたいな腕利きが、潜入するならまだしもよ、相手はずぶの素人だぜ。常時兵隊が張りついた軍の規制線を越すなんざ、本職だって至難の業だ。どうせ、どうにも諦めきれずに、ふらっと様子でも見に行ったんだろ。荷物はこっちに置きっぱなしだから、戻ってくる気はあるんだろうぜ」
「いえね、あの客、なんだかいやに運が強いもんだから。どうした訳だか、するりするりと、」
ザイが右手の五指を開いて、溜め息まじりに手のひらを見た。
「指をすり抜けていくんスよねえ」
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