■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章19
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靴は履いたが、リュックは忘れた。
着替えを詰めて、そのまんま。
まあ、後で返してもらえばいいか。まさか捨てられはしないだろうし。勝手にリュックをあけられて、中のパンツとか見られたら嫌だが。
でも、そういうことは、やるとすればファレスだ。誰かれ構わずガルガル唸って、どうせリュックに触らせないから。
……ん?
なら、いいか、ファレスなら。パンツ見られようが今さらだし。
横を行きすぎた軍服が、ふと、こちらを振り向いた。
軽く驚いた面持ちで。
すぐに合点したように、その視線は逸れていく。夏日にざわめく雑踏へ。
凪いだ昼の日を浴びて、兵が大勢行き交っていた。
ぶらぶら気の抜けた足取りで。青い軍服を身に着けて。
「えっと。どこかな、アルベールさまは」
エレーンはてくてく、バスラの町を歩いていた。
きょろきょろ町を見まわして。そう、誰に訊いたらいいのだろうか、アルベールさまのいる場所を。
さっきの若い軍服には、あっさり「知らない」とか言われたし。もっとも、そこらを歩いているなら、軍でも下っ端だろうけど。
でも、偉い人を見つけようにも、みんな似たような制服で、どう違うのか区別がつかない。大体、軍の階級なんて門外漢が知るわけないし。その上、ここは知らない町で、どこにどんな建物があるやら、そうかといって知り合いなんて、それこそただの一人もいないし……
どんどん積みあがる前途多難に、はあ……とエレーンはうなだれる。
はた、と気づいて、にぃ、と口角引きあげた。
顔をあげて、前を見る。
密かに気合を入れ直す。ここまで来たのだ。後には引けない。そう、
──アルベールさまに、会いに行く。
監禁されたラトキエの別棟で、彼と顔を合わせはしたが、肝心な話ができてなかった。彼を説得できてない。
あんな異常な状態じゃなくて、きちんと会って、話をするのだ。そして、彼に何が何でも、ディールの所領トラビアのどこかに囚われた、ダドリーの立場を計らってもらう。
そして、ダドリーと話し合い、この結婚を解消する。
──ケネルと共に行くために。
小走りの腰で、ポシェットが跳ねる。
ちらちら振り向き、軍服が行き交う。怪訝そうというよりは、むしろ称賛のまなざしで。
拳を握ってほくそ笑み、エレーンはほくほく我が身を見やる。ほ〜らね、やっぱり大当たり。「へえ。中々うまい手だなあ」と、あの彼にも褒められたし。
「ああんもうっ! ほ〜んと自分の才能が怖いぃっ!」
閃いたのだ。あの部屋で。
地図屋が部屋を出た後に。
関係者以外は通さないというのなら、「関係者」になればいいのだ。
そういうことなら超強力な武器がある。他の追随を許さない天下無敵の通行証。問答無用で燦然と輝く
── ラトキエ領家メイド服が!
失くすとリナが怖いので紛失せぬよう持ち歩いていたが、よもや、こんな所で役に立つとは! 兵士は無理でも、メイドならイケる。
そして実際、効果てきめん、この通り。
軍服を着こんだ兵士の中に明らかな部外者が混じっていても、誰も気にせず、構わない。軍を監督するラトキエ領家の、同じ系列の誰かであると、衣服が示しているからだ。
わずかに威光さえ漂わせて。
そう、ラトキエの領邸は、軍の指揮官のお膝元。組織の上層だ。つつくと面倒──。
「ああ、制服って、なあんて便利っ!」
エレーンはうっとり、制服の肩にスリスリする。白襟紺服・メイド服。
皆、チラチラ見はするが、ああ、と気づいて気を許す。辺境勤務でも軍人ならば「領邸の」制服くらいは知っている。もっとも、ラトキエのメイド服は、全国的に有名だが。
あとは「ちょおっと事務連絡に参りました〜」ってなふうを装い、澄まして通過で万事オッケー。もう、上手くいきすぎて怖いくらいだ。これなら誰にも見咎められず、つまみ出されず、存分に探せる。
ラトキエ総領アルベールさまを。
「これは、我ながら上手かったっ!」
ふんぞりかえって自画自賛。あのクレーメンスさんにも褒められたし。
庭木伝いに窓から抜け出し、路地を走って街道に出ると、クレーメンスさんが待っていた。大型馬車を従えて。
そして、こちらの頭に笑って手をおき、小ぶりの革袋を渡してくれた。「幸運を」と言い添えて。
ぎっしり木箱を満載し、五人も相乗りが座っていた荷台の隅に乗りこんだ。財布をそわそわ懐にしまった、二人の御者に急かされて。
荷馬車が街道を走り出し、「がんばれよ」と笑って見送るクレーメンスさんの姿が小さくなり、そうこうする間に関所を通過、あれよあれよと見まわす間に、あっさり町に入れてしまった。今日の昼前に来た時は、あんなにつんけん拒否られたのに。
「幸運を」と言われた通りにたいそうラッキーだったわけだが、謎なのはあのクレーメンスさんだ。
なぜ、街道に一人でいたのか。なぜ、御者は何も聞かずに、荷台に乗せてくれたのか。なぜ、こちらを待つように、軍の荷馬車が停まっていたのか。
そう、あれは軍の荷馬車だ。
御者は軍服。五人の同乗者も皆軍服。満載していた木箱の中身は、おそらく軍の補給品。
メイド服の腕を組み、うーむ、とエレーンは首をかしげる。
「なんでクレーメンスさん、あの人たちと……?」
お友だちなのか?
まあ、それは置くとして──顔をゆがめて、きょろきょろ見回す。
「とりあえず、どっかで、なんか飲みたい……」
まだ大して歩いてないが、暑さと緊張で喉がカラカラ。財布の中身を確認すべく、横掛けしているポシェットをつかむ。
「──あれ?」
ポシェットの中、財布の横に、押し込んだらしき革袋……?
はた、とそれを思い出し、取り出し、何だろう、と袋をひらいた。もらった直後の荷台では、同乗者を警戒してて、すっかり忘れていたけれど、クレーメンスさんが出がけにくれた、手のひらサイズの革袋。
(──神か!?)
思わず仰天、あわあわ拝んだ。
ニコニコふくよかな丸眼鏡の、"神さま"がいる方角を。
ひーふーみー……と、かぶりついて枚数を数える。都合十枚、トラスト札。
そう、カレントじゃなくてトラスト札でだ!?
「……ひぇ〜。クレーメンスさん、太っ腹〜」
まさか、大枚持たせてくれるとは。
今、欲しい物をわかってる!? ちなみに一トラストは「定食」換算で十人前。
──それが、十枚、ということは?
ぱあっ、と笑みが顔に広がる。
「ご飯の心配、しなくてよしっ!」
よっしゃ! とゲンコで気合を入れた。
こうなりゃ怖いものはない。もやもや不安なんか吹っ飛んだ。元気もりもり。勇気凛々!──え? とスキップの足を止めた。
呼びかけられて気がついた。
雑踏のどこかで、誰かが自分の名を呼んだ。こちらに向かって「エレーン」と。
でも、ここはバスラの町、初めて来たこの町に、知り合いなんて、いないはず──。
心が暗くざわめいて、唾を呑んで振りかえる。
面食らって見返した。
「ここにいれば、来るかと思ってー」
柔らかな笑みを向けた相手に、呆気にとられて口をあける。
「え、なんで……あ、ホーリーは?」
薄茶の髪の輪郭が、強い夏日を包まれて、金の輝きを放っていた。
ひょろりとした高い背丈。ガラスのように澄んだ瞳。
一点の曇りもない、夏の空が広がっていた。
商都を出てすぐ明け方に、雑木林に置いてきた、ノッポの彼がそこにいた。
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