CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章22
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 開け放った引き戸の向こうに、ひょいと男が顔を出した。
 きょろきょろ部屋を見まわしている。
「ありゃ? 姫さんは?」
 ギイは怪訝に顔をしかめた。「──それはこっちの台詞だぜ」
「あ、いえね、」
 あわてたような愛想笑いで、地図屋ガスパルが小首をかしげる。「徒歩じゃ無理だと諦めて、てっきり、こっちに戻ってきたかと。規制線の関所まで馬で往復しましたが、どこにも姿がなかったんで」
「そうか」
 密かに胸をなでおろした途端、ほっと背後が息をついた。聞き耳を立てていた特務の二人だ。
 男所帯を顎で示して、ギイは軽く肩をすくめる。「見ての通り、ご帰還はまだだ」
「おっかしいな……」
 地図屋はしきりに首をかしげて、片手で頭を掻いている。もう一方の手でぶら下げているのは、ご機嫌とりの菓子折りか?
「じゃあ、どっかで茶でも飲んでるんですかね。女子ってヤツは、飯より茶が好きだから。きっと、ぶつくさ言いながら、戻る頃合いでもうかがってるんじゃ──」
「──か、かしらっ! かしらっ! 大変ですっ!」
 階下で、けたたましい叫び声がした。
 あわただしく階段を上がる音。そのどこかで蹴っつまずいて、どたどた廊下を走る音。
かしらっ! 大変──大変なんですっ!」
 突っ立った地図屋を押しのけて、式台に転げこんだのは、丸っこい体格の丸眼鏡。
「──なんだ。クレーメンス、騒々しい」
 いささか面食らって、ギイは見る。珍しいこともあるものだ。余裕綽々な手配師にも取り乱すことがあろうとは。
 ごくりと唾を呑みこんで、手配師が顔を振りあげた。「きゃ、客がっ、軍のっ、規制線の先へっ!」
「ああ、その話なら、もう聞いた」
 本当に珍しいこともあるものだ。常に周到な手配師が、粗忽な地図屋に後れを取るとは。
 そそくさ目をそらした地図屋の頭に、ギイは顔をしかめて舌打ちする。「たく。ガスパルが早トチリしやがってよ」
「だからかしら、違うんですって! そうじゃなくてっ!」
 手配師がもどかしげに首を振り、必死な顔で目を据えた。
「客が規制線を越しました!」
 真犯人確保の報を聞き、驚いて飛んできたらしい。汗だくで駆け込んだ経緯を聞いて、一同、絶句で目をみはる。
「……勘弁してくれ。なんで、そうなる」
 ギイは額をつかんで脱力した。
「なんでわざわざ、手配しちまうかね、乗り物を」
 ザイも釈然としない面持ちながらも、つくづくというように腕を組む。「まさか、軍の補給にねじ込むたァね」
「……も、申し訳ありません」
 丸っこい肩を小さくすぼめて、手配師は身の置きどころのない様子。「まさか真犯人があがるとは……俺はただ、なんとか客を逃がそうと……」
「わかった。もういい、クレーメンス。雁首ならべて同じことを言うんじゃねえよ」
 有能で知られる手配師の、辣腕ぶりが仇となった。
 彼は上手くやりすぎたのだ。常なら通過できない関所の先へ、確実に客を送り込んでしまった。
 強みが逆転したこの皮肉に、ギイは苦虫かみつぶす。「関所を越せば、最寄りはバスラか」
「だったら、俺が」
 押し黙っていたセレスタンが動いた。
「潜入して連れ戻します。駐留地は街道の北。軍人相手に商売する店が残っているでしょう。店員に化けて紛れこめば──」
「いや、すでに、敵の手に渡った、と見た方がいいな」
 首を振ってギイは斥け、壁にもたれて腕を組んだ。
「なにせ客の目的は、ラトキエ総領との面会だ。わざわざ敵の総本山を・・・・目指してる。土地鑑のない初めての町で、ちょっと道を訊いたが最後、たちまち取っ捕まって引き出される」
「──けど、首長!」
「苦心惨憺さんたん潜入しても、どうせガレーに移されるのがオチだ」
「ガレー?」
 ふと、ザイが聞き咎めた。「あの、トラビアの門前の?」
「総領が領主を脅す肚なら、人質は前線に持ってくさ」
 街道の終点トラビアの、一つ手前のガレーの町は、国境トラビアの玄関口。
 そこまで行けば、トラビアに着いたも同然だ。
 
「おう。どうした」
 ぎくり、と空気が凍てついた。
 廊下の先から異質な声。この横柄な呼びかけは──
 その相手に思い当たり、ギイは密かに舌打ちした。よりにもよって失念するとは。この一番まずい相手を。
 話に夢中で気づかなかった。部屋に近づく足音に。まったく、今の今とは間の悪い。廊下の気配と足音が近づく。
 大きな紙袋を両手で抱え、ひょっこり顔を覗かせた。
「何やってんだ、シケたつらして」
 副長ファレス。いつになく上機嫌だ。これまで見たこともないほどに。無論、理由はわかっている。
 ── 客の容疑が・・・・・晴れたから・・・・・、だ。
 蒼白な顔でおろおろと、あえぐように手配師がつぶやく。「副長……」
「よう。お前らも来てたのか」
 特務の顔を見つけたらしい。視界をふさいだ紙袋をよけ、まるで気負いなく部屋を覗く。
 耐えかねたように手配師が、ファレスに取りすがるように振りかぶった。「副長、客が──っ!」
「副長。客が出奔した」
 あえて訴えに声をかぶせて、ギイは即座にさえぎった。
「軍の規制線を越えたらしい」
 突っ立ったままのファレスの顔を、緊張しきりで手配師がうかがう。「あ、あの、副長、実は、その、俺が──」
 小太りのその背が、吹っ飛ばされた。
 尻もちをついたその腹に、ふくれた紙袋を抱えている。横倒しになった紙袋から、ぎっしり詰まった菓子が散らばる。とっさに動けず見やった間にも、廊下で長髪がひるがえる。
 廊下の先に駆け戻る気配。ファレスが階段を降りていく。
「──たく。どいつもこいつも、なんで勝手に突っ走るかね」
 ギイは舌打ち、顎を振る。「おい、副長を連れ戻せ!」
 硬直していたガスパルが、はたとようやく我に返った。
 ぎくしゃく階段へ走り出す。突き飛ばされた手配師も、あわてて床から起きあがる。
「いいか、クレーメンス」
 ギイはあえてゆっくりと、強ばったその顔に言い聞かせる。
「お前のヘマは、間違っても言うんじゃねえぞ」
 浅い呼吸でうなずいて、手配師が階段に駆け寄った。
「気をつけろ。喧嘩だけは強ええからな」
 ばたばた階下へ降りていく、忙しないその背に釘を刺し、ふと、窓辺を振り向いた。
「どうした。手は足りてるぜ」
 表情の読めない黒眼鏡で、セレスタンが歩いてくる。
「ちょっと迎えに行ってきます」
 とっさに真意を計りかね、思い当って見返した。「迎えってのは、お姫さんのことか? さっきも言ったろ。客はもう──」
「おいとましますよ。もう、ここに用はねえんで」
 言い捨てザイも、隅に置かれたザックへ歩く。
「だから、ちょっと待てってんだよ。お前ら、客に入れ込みすぎじゃねえのかい」
「お構いなく。首長とやり合うつもりはねえんで」
「少し落ち着け」
 まったく珍しいことが立て続く。
 冷静沈着なあの特務が、こうもカリカリ取り乱すとは。
「相手は国軍。逆上して乗りこんだところで、二人きりじゃ勝ち目なんざ──」
 ふと、ギイは合点した。セレスタンが押し黙り、ずっと密かに苛立っていた理由わけを。ずっと、やきもきしていた理由わけを。日ざし射しこむ暑い窓辺を、片時も・・・離れなかった・・・・・・その理由わけを。
「たく。恐れ入るな、姫さんには……」
 ようやくすべてが腑に落ちて、顔をしかめて頭を掻いた。「敵の懐に飛びこんで、ちっとも怖がってねえんだからよ。むしろ、」
 そう、むしろ、こいつらの方が、よっぽどビクビクしてんじゃねえかよ。
 底の知れぬ残忍さで、周囲に恐れられる男たちの方が。
 日ざし射しこむ暑い窓辺を、片時も離れようとしなかったのは、
 ──逸早く・・・客を見つけるため・・・・・・・・か。
 腹の底から合点した。
 首長を守備する側近が、自分の任務を放り出し、不眠不休で駆けつけた理由わけを。
 いや、盤石だった秩序を乱し、亀裂のごとく走った動揺は、この二人に限らない。冷酷で知られる副長の、手のひら返したような変貌はどうだ。地図屋に手配師、隊長の出奔。判断力をことごとく奪い、周囲を惑乱、走らせる、否応なく巻き込んでいく獰猛なまでの影響力。その様はまるで、
 ──"傾国"か。
 ふっとよぎった彼女の・・・笑みを、眉をしかめて追い払う。潰滅しかけた部隊の秩序を、まずはこの手に取り戻さねばならない。
 ギイは二人の顔を見た。
「客については、確保の指示が統領から出ている。例の・・契約も活きている。俺の言う意味はわかるな」
「話が見えねえ」
 ザイが剣呑に畳みかけた。
 前髪の下から殺伐と射貫く、業を煮やした険しい視線。「どうするってんで」
 靴を履いて振り向いた二人は、明らかに気が立っている。
「まずは戻れ」
 顎の先で部屋をさし、ギイは真顔で腕を組んだ。
「任せろ。俺に考えがある」
 
 
 

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