■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章23
( 前頁 / TOP / 次頁 )
カラン、とグラスで氷が鳴った。
木漏れ日射しこむ卓の向かいで、ウォードは昼定食にかぶりついている。
「それにしてもノッポくん。どうやって町に入ったのぉー? 街道、封鎖されてたのに」
「なんとなくー」
……そお、とエレーンは力なく笑った。「なんとなく」で入れるのか?
こっちなんかてんやわんやで、クレーメンスさんが助けてくんなきゃ、未だに関所でうろついてたのに。
ちなみに目下、肝心の、ラトキエ総領アルベールさまが今一体どこにいるのか問題については、その居場所はようとして知れない。
意外にも普通に営業していた、町の茶店の片隅で、再会の祝杯をあげていた。
ゴクゴク水で喉を潤し、差し向かいに座った彼を見る。「もしかして、この町、きたことあったり?」
「いるでしょー、ここに」
「……そーだね」
つまり 「初めて」 だということか。
先に食べ終わった手持ち無沙汰に、人探しがはかどらないと──なんか下っ端のぺーぺーっぽいのに「知らない」とか言われちゃってさあーだったらここは偉い人かなー?ってそーゆー感じで捜してみたけどどれがどんだけ偉い奴だかまるでちっともわかんなくってなのに外は暑っついし足も痛くなっちゃうしなんだかお腹もすいてきちゃうしあっお昼ご飯は食べたんだけどね──と気合を入れてぼやいていると、今日も腹ペコだったらしいウォードは、タレ付き肉を口に運んで、事もなげにのたまった。
「そういう人は、たいてい徽章つけてるけどねー」
へなへな脱力、突っ伏した。「……ノッポくん」
早く言ってよ。
うだるような炎天下、闇雲に歩きまわるその前に。
魂抜けて、ぐんなり溶けた。「相手は子供」 とナメてかかったのが大間違い。いい年したこっちより、よっぽどモノを知っている。
片頬ぺったり卓につけ、むなしく「の」の字を書きまくる。「だったらノッポくんに訊けばよかったー。でも、なんで詳しいのー?」
「内緒―」
「……。あっそお」
無防備だった笑みが引きつる。相変わらずだなノッポくん。ばっさり一蹴この手並み。
とはいえ、これでめげてたら、彼との会話は成り立たないのだ。
うっすらたそがれた傷心から、頭をもたげてむっくり復活。「なら、どこだと思う? アルベールさま。あ、アルベールさまっていうのはねー」
「ラトキエを指揮する総領でしょー、病みついた当主の代わりに」
「へ?」
思いがけず、回答すらすら?
「でも、もういないと思うけどねー」
「え゛? な、なんで」
「どこものんびりしてるでしょー。兵の数も少ないし」
あわてて、きょろきょろ窓を見た。確かに軍服はうようよいるが、一人一人をよく見れば、みんな町をぶらつく風情。昼になって食事に出てきた、町でよく見る勤め人のように。いや、たぶん彼らも、その口だ。軍の持ち場を交代で離れて昼休憩にやってきた──。立て看板を吟味して、ご飯処に入っていくし。
でも、今の今まで気づかなかった。
町の人々が一掃された一面軍服の異様さに、占拠されたような光景に、すっかり気持ちが舞いあがって。なのに、十五のこの彼は──
よく見てる。見るべきところを。
見渡すかぎり軍服でも、大勢を占めるのはどの階級か。町にいる目的は何か。警戒の度合いはどの程度か。さすがにファレスやギイさんほどには的確に言ってはくれないけれど。
ウォードは何事もない顔つきで、フォークを口へともっていく。「まだ、いるかも知れないけどねー」
「え゛?」
どっち。
「あったでしょー、規制線」
「──あっ。う、うん」
そういえば。
振り回されて、しどもどうなずく。こういうところが、ちょっとアレだな。てか、どうも彼に弄ばれた気がする。もっとも、無心で食ってる彼には悪気なんか皆無だろうが。毎度のことだが、すでに二皿目に突入してるし。
頬杖の顔を両手で支えて、エレーンはげんなり窓を見た。「だったら、やっぱ、居場所を訊いて歩くしかないか〜」
地道に。
「……徽章かあ」
でも、そんな人いただろうか。通りをぶらつくあの中に。てか、そういう偉い人が、暑い日中出歩くか? どこかの涼しい一室で集合してたりしそうなものだが。なんかこう司令部っぽい所に。
とはいえ、さすがにノッポくんでも、その場所までは知るわけないし。でも、ここにいるのがギイさんだったら
(あんがい即答したりして……)
無断で出てきたあの町の、彼らの顔が脳裏をよぎり、グラスの氷をカラカラまわした。
なんだかんだと一緒にいて、色々助けてもらったけれど、ここから先は自分ひとり。ファレスもギイさんもクレーメンスさんもいない。周囲のすべての物ごとに自力で対処しなければならない。そう、だから、ここから先は
──もう、誰にも頼れない。
急にしんみり、心がへこんだ。
「……どうしたかな。みんな、今ごろ」
あの宿に帰りたい。
みんなの所へ帰りたい。布団が敷かれた馬車に乗り、みんなでにぎやかにご飯を食べたい。ファレスがヨハンと喧嘩して、クレーメンスさんが笑って仲裁、地図屋も意外といい奴だったし、たぶん、あのギイさんだって──
ぶるん、と首振り、手のひら握って決心した。
(ささっと行って、ご飯までには戻ろ!)
帰り道なら楽勝だ。ホーリーが乗せてってくれるだろうし。ノッポくん連れて戻ったら、みんな驚くだろうけど。
開け放った窓の外、空の高みを雲がゆく。西の空から東の方へ。あの彼がいる東の空へ──。
あの面ざしが脳裏をよぎり、にんま、と顔が赤らんでとろけた。
(待っててケネル! 話つけてくるからっ!)
そしたら、あたしも一緒に行くから!
そうとなれば勇気百倍! 会いさえすれば、説得するのは楽勝なのだ。アルベールさまなら、わかってくれる。筋道立った説明をすれば。
そもそも、地図屋の言い草じゃないが、これまでだって道は開けた。難儀な壁にぶち当たっても、都度どうにかなってきた。現に大陸北端から衝動的に出てきたけれど、こうして無事に辿りついてる。
目指す彼との面会は、もう目と鼻の先。この町のどこかにアルベールさまが
──いる。
それが済んだら、晴れてケネルと……
「オレさー、」
ひとりキャッキャと薔薇色に猛った妄想から、はた、と定食屋に引き戻された。
「やっぱり、あんたに、言わなきゃなんないことがあるんだけどー」
惰性で振り向けた笑顔で固まる。「え゛?」
この義務感ただようフレーズは……
なんかとっても聞き覚えがあるぞ。ていうかノッポくん、また目の前に現れたのは、
──まさか、それ、言いに来たのかー!?
あわあわポケットからハンカチを出して、食後のお口をゴシゴシふく。相変わらず唐突だなノッポくん!?
「エレーン。オレ、あんたのことを──」
でも、お構いなしに始めるウォード。
きちんと膝に両手を設置、居住まい正して拝聴の体勢。「あ、うんっ。何かなっ?」
「……。エレーン。オレ、あんたのことを──」
あ、初めからやり直し? ごめん。話の腰を折ってしまった。
ウォードは口をつぐんだままだ。あの、いつもの「あんたのことを──」で。
「あ、あのね、ノッポくん」
たまりかね、笑顔のままで小首をかしげた。「そこ、もしかして "を" じゃなくて」
「が」にするのが正解じゃないのか?
──あんたのこと「が」
それについてしばし考え、ウォードはゆるりと首を振った。
「これでいいー」
満面の笑みが、不覚にもヒクつく。
「……。すみませんでしたー」
親切心からの助言なんだが。
そして、再び始めるウォード。
「エレーン、オレ、あんたのことを──」
だが、しばし無言で見つめ合い、進退窮まり口をつぐむ。ほらあ。
でも、どーしてもそれで行くというなら、拝聴やむなし、大人しく座して先を待つのみ。
そして始まる不毛のループ。
繰り返し、繰り返し、寸分たがわぬ言いまわし。そして、沈黙、軽い溜息。まったく十五の少年の、考えることはわからない。なぜに、そこにこだわるのか。
エレーンは努めて口を閉じ、手持ち無沙汰に手をグーパー。上目遣いにうかがった。
卓に置いた長い指。木漏れ日ゆれる白い肩。伏せがちな長いまつ毛に、ふわりとかかる薄茶の頭髪。いつも見ている彼なのに、窓辺の光線の具合だろうか。
(……わあ、きれい。ノッポくん)
この世の者かと疑うほどに。
透き通った夏の陽が、白シャツの肩で戯れていた。薄茶の髪の輪郭が、金の輝きを放っている。なんだろう、胸が痛い。
もどかしいような、いたたまれないような、無性に泣きたくなるような。胸が強く締め付けられる。これは、
……切なさ?
息が、詰まる。
気持ちがざわめき、落ち着かない。胸が騒いで浮足立つ。なんだろう、この感じ。
どんどん彼から、何かが抜け出ていくような。
灼熱の道で熱せられ、大気がゆらめいているように。彼を形作る命の粒子が、どんどん、どんどん。どんどん、どんどん──。
体の外に抜け出たそれがとめどなく霧散して、その分、彼は澄んでいく。どんどん彼は軽くなり、体はうつろに、空っぽになって。
何もできない。止められない。だって、それは──だって、なにか、
──命じまいでも、しているような。
叫び出しそうな焦燥に駆られた。どうしよう。行ってしまう。
自分が何者かも知らないままで──。
すっ、と頬に、何かが触れた。これは、
……指?
ふと瞬いて、その先を辿れば、白シャツの腕が伸びている。
ウォードが戸惑いがちにうかがった。
「もしかして、見たー?」
彼には珍しい明瞭な喚起。日ごろは頓着しない彼の、こんな顔は初めてだ。
奇妙な気分を振り払い、エレーンはあわてて笑みを作る。「み、見たって何を?」
ガラスのように澄んだ瞳が、探るようにじっと見る。
息を吐いて、背を戻した。
「忘れていいよー、オレのこと」
「……え?」
「オレがあんたを探すから」
「だから、急に、なんの話を──」
往生したように頭を掻いた。
「そうやって、あんた、泣くからさー」
あわててエレーンは目端をぬぐった。
ぎょっと引きつり、わたわた平手で頬をぬぐう。「や、やだ!? ごめん。どうなってんの」
なんてことだ、滂沱の涙!?
「ご、ごめんっ、別に、なんでもないからっ」
張り裂けそうな胸の憂いが、ものの一瞬で霧散した。今となっては、何が何だかわからない。この世が終わってしまうようなあの絶望的な気分はなんだったのだ!? ウォードの視線が、ふと動く。
「それー」
指さしたのはこっちの胸!?──いや、天板の端っこか?
へばりついていたその紐を、エレーンはつまんでもちあげる。「あ、これ?」
いつぞや町でファレスが捨てた、きれいで高価なミサンガではないか。さっきハンカチを出した拍子に、一緒に出てきてしまったらしい。
だったらずっとなんかだらしない感じだったとかアタシやだな……などと思わぬ不手際に舌打ちしつつ、「それはなんだ」の顔に答えた。
「えっと、これ、今、商都で流行ってて、願掛けのアイテムっていうか、」
言ってるさなか、ひょいと向かいの手がよぎり、忽然と掻き消えたミサンガが。
向かいでウォードが、白いシャツの肩をかがめる。つられてエレーンも卓下を覗く。「なにやってんの?」
「つけてるー」
なるほど。つけてるね、足首に。でも、
「あたし、あげるって言ったっけー?」
ウォードが足にかがんだままで、気づいたように目を向ける。
「くれるー?」
……事後承諾か?
ぱちくり瞬き、たじろぎ笑い。
「ま、まあ、いっか……」
拾った奴だし。
それにしても油断大敵。ほんの一瞬で奪われるとは。見た目も背丈も成人だが、さすが中身は十五の男子。流行りものには目聡いらしい。しかもお高い。
とはいえ、そこには基本的な間違いが一つ。
「あ、あのねノッポくん。ミサンガっていうのは手に巻くも(ので──)」
「邪魔―」
皆まで言わせず、ウォードは一蹴。
「……。ま、まあ、いっか。足につけても」
毎度謎な我が道を行く向かいの彼に押し切られた。やっぱ色々釈然としないが。けど、まあ、本人も、あんなに喜んで……もいないじゃないかなんなんだ。
素足の靴をぶんぶん振って、ウォードは装着具合を確認している。動いてもほどけてこないかどうか。一々不明だ、男子のこだわり。
「これでわかるねー」
「……。えっと?」
どこにつながる? その話。
矢継ぎ早に発生した大量の「?」を処理しきれず、もやもや対応に苦慮していると、脇を通りかかった店員(婦女子)に「おねーさん」と笑顔を向けた。──て、三皿目に突入か!?
エレーンはぎこちなく笑みを浮かべる。当然おごりと思ってるよね?
(あ、相変わらずだな〜、ノッポくん……)
まったく彼にはブレがない。遠慮とか躊躇とか、控えめ抑えめ一切ない。自主規制など遠く圏外。資金に余裕があるからいいけど。
白いシャツの腕が伸び、ウォードがコップをとりあげた。
「オレ、どうしようかと思ったんだけどー」
口直しの水を飲みながら、意外そうな口ぶりで言う。「あんた、案外平気そうだねー」
「へ、平気っ、もちろん全然平気よっ」
ぎくりと引きつり、ぶんぶん手を振る。確かにやるには惜しい品だが、そこまで心狭くないぞファレスが捨てたの拾った奴だし。
「オレはびっくりしたけどねー。あの話、聞いた時には」
──は? あの話って、どの話?
「ザルト通ってきたでしょー」
疑問が顔に出たらしい。「だからー」とウォードは大儀そうに続ける。「少し前に、東のザルトで──」
愕然と耳を疑った。
心が凍てつき、動けない。
(今、なんて……?)
胃の腑が冷えた。
間違って飲みこんでしまった氷が、容易ならざる冷たさが、容赦なく広がっていくように。
しんしん痛いのに、取り出せない。何が起きたか、わからない。
心底ほっとしたように、ウォードが柔らかく微笑んだ。
その口が言葉を紡ぐ。彼が話しかけている。反応することができなかった。前の話の意味するところが、まだ、まるで呑みこめずにいる。
わんわん打ち鳴る警鐘のただ中、辛うじて声が聞きとれた。
「なら、あんた、オレと行く―?」
大事な話のはずだった。
彼は今、とても大事な話をしている。言葉面こそ拙いけれど、とてつもなく重要な。告白さえもままならない、十五の彼にしてみれば。
珍しく嬉しそうな向かいの顔に、だが、返事をすることができなかった。
息をつめて硬直したまま、ただただ言葉を失っていた。
だって、彼はこう言ったのだ。少し前に、東のザルトで──
あのケネルが暗殺された、と。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》