■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章27
( 前頁 / TOP / 次頁 )
ガレーの出口でホーリーを降り、川沿いに進んで、川から離れた。
でも、風と砂とで何も見えない。いったい彼は、どこへ連れて行こうとしているのか。
ごうごう打ち鳴る、風の音しか聞こえない。
一面、薄茶の大地だった。視界が砂で煙っている。少し先も、視界が利かない。
絶え間のない強風に、足をとられてよろめきながら、白いシャツの、背を見て進んだ。
強い風に背を押され、メイド服の裾がはためく。
無理に外に連れ出され、足が鉛のように重かった。
相手が彼でなかったら、自分よりずっと年下の子供が相手でなかったら、きっと見境なくなじっていた。けれど、彼に促されるまま、陰気に湿った部屋を出て、ホーリーに揺られて、ここまで来た。
正直何もしたくはないし、それどころではなかったけれど、今は務めを果たさないと。
ダドリーに残された時間は少ない。ラトキエ総領アルベールさまを捜し出し、説得に力を尽くさねばならない。
だって、ダドリーには助けてもらった。灰色の"沼"に囚われて、息もできなかったあの頃に。
ダドリーは辛抱強く寄り添って、明るい日常へ連れ戻してくれた。だから、馬群の傭兵たちとも、大好きだったケネルとも出会えた……
うつろな意識をかかえたままで、手を引かれてひたすら歩いた。
風の中を突き進む、彼が手を引いてくれている。すぐにもはぐれてしまいそうなほど、砂で先が見えないから。
砂を巻きあげ吹き荒れる薄茶の大地を見ていたら、ふと、伝えなければいけない気がした。そう、とても大事なことを。
「……もういいよ、ノッポくん」
シャツの裾を引っ張った。
「ここから先は、あたし一人で行けるから」
この彼は巻きこめない。まだ十五の少年なのだ。それに、トラビアに来るのに乗り気ではなかった。なるべく避けたいと言っていた。ずっと、彼は渋っていた。ずっと。ずっと。初めから。
「一緒に来てくれて、ありがとう。ノッポくんはもう戻って」
「どこまで行くのか、あんた、わかってないでしょー」
面食らい、エレーンは眉根を寄せる。「なら、ノッポくんは、わかってるわけ?」
「ラトキエと話をするんでしょー」
溜息をついて顔をあげた。「本当にもう、ここでいいから。この先はあたし一人で」
「この辺りで、いいかなー」
ウォードが無造作に足を止めた。
たたらを踏んで、エレーンも止まる。つられて辺りを見てみるが、相変わらずの荒れ野が広がるばかりで、やはり、建物一つない。
「……なに、ここ」
非難まじりに息をついた。ここが目的地だとでも言うのだろうか。まったく意味が分からない。今日ばかりは、彼の不思議な酔狂に付き合えるような気分じゃない。
苛立ちをこらえて彼に言った。「ねえ、ノッポくん。本当にもう帰っていいから──」
「忘れていいよー、オレのこと」
ついにたまりかね、彼を仰いだ時だった。
その背を、腕が引き寄せた。振り仰いだ唇が重なる。
「なにするの!」
手の痛みに気がつけば、彼の頬を叩いていた。
ウォードは片手で頬をさすって、ガラスのような瞳を戻す。
「忘れていいから、オレのことは」
ひるんで、彼をねめつけた。「わ、わけわかんない。何度も何度も──!」
ふと、口をつぐんで、耳を澄ました。
何か大きな音がする。
鬱々とした気分に捉われ、今まで気づきもしなかったが。
大地がゆらぐような低い轟音。車輪の音も混じっている。これは、
……なんの音?
聞いたこともない音だった。
そして、足裏を伝わる不気味な振動。大地が絶え間なく掘り起こされているような。それに──なんだろう、これは。さっきから感じている心許ないような違和感は。
ああ、とようやく気がついた。気づけば些細なことだった。ずっと吹いていた、風がない。
だが、気を留めている暇はなかった。
立ちこめた砂ぼこりの向こうから、黒い櫓が近づいてきていた。
不気味で大きな軋みを立てて。
いくつも旗がひるがえっていた。それが荒れ野いっぱいに広がっていた。ひどい砂塵が収まった、荒れ野の向かいを埋めていた。数万規模と一目でわかる、
青い軍服の軍勢が。
「──きましたね」
東を見渡す回廊で、ひゅう、と地図屋が口笛を吹いた。
青い軍服の大軍が、砂塵の向こうでひしめいていた。徐々に街壁に近づいてくる。
数多の軍靴の進軍に混じって、ガラガラ地を這う車輪の音。ゆらゆら揺れている黒塊は、可動式の攻城櫓。そして、数基の投石器。
吹き荒ぶ砂風に顔をしかめて、地図屋はつくづくというように振りかえる。
「しかし、上手くやったもんですね。あの別嬪のお姫さんを頂いちまうってんだから」
ギイは苦笑いで腰に手を当て、空に向けて紫煙を吐いた。「頂くってお前、人聞きが悪いな」
「こんなことを言うのも今さらですが、まったく頭は殺生ですねえ。困った相手の足元見て、大事な愛人取り上げようってんだから。未練たらたらのあの様子じゃ、手放したくはなかったんでしょうに」
「ま、大軍勢が迫った今なら、どんな条件でも呑むだろうぜ。領主にとって、民は急所だ。あの領主なら尚更な。なにしろ他領の敵陣で、盾になろうってお人好しだ」
防護服の懐を探り、煙草を出してガスパルはくわえる。「で、どうする気です? 姫さんの方は」
領主の正夫人、エレーン=クレスト。ラトキエを指揮する総領アルベールとの面会を求めて、先日まんまと出奔した、曰くつきのあの客だ。
「ま、ここは確実にいくさ。こっちに有利に、安全にな。客の身柄の返還については、戦後、ラトキエと交渉する」
「つまり?」
「身柄は、領主に取り戻させる。幕引きをさせた、その後でな」
ぽかんとガスパルが見返した。「……は? 領主にって、だけど頭」
「なにが悪い。正式な伴侶だ」
「なら、特務を先行させたのは何だったんすか。つか、クレストに手柄をくれてやる気ですか」
「貸しを作ったわけですか」
笑いを含んだ声がした。
「渡りに船で結構ですねえ」
日照りの回廊をやって来たのは、丸眼鏡をかけたクレーメンス。
ギイは嫌味に肩をすくめる。
「いいじゃねえかよ。損はねえだろ誰にとっても。むしろ、八方上手く収まるってもんだ」
辣腕家の手配師が、表情を引き締め、向き直った。
「部隊の準備が整いました。合図次第で、いつでも出せます。ですが、」
額の汗を腕でぬぐって、戸惑い顔で振りかえる。「頭の指示は伝えましたが、本当にいいんですか。威嚇だけで」
「なるべく兵は損なわない、それが雇い主の要望だからな」
「ですが、」
「あの国軍をやっちまうと、国境の守備にも支障をきたす。だから、後々困るんだろ」
運搬で生じる重低音がやみ、攻城兵器が停止していた。周囲に軍服が取り付いて、投石器を設置している。いつでも稼働できるように。
それを見やって手配師は、困惑顔で振りかえる。
「ですが、あの勇ましい様子じゃ、本気ですよ、ラトキエは。なにせ、覇権がかかっていますし」
「だが、あいにく、俺の方が上だ」
地図屋が手配師と顔を見合わせ、呆れた顔で腕を組んだ。
「そりゃ、頭の有能さは認めますがね。けど、それだけで勝てますかね。のらりくらりと追い散らすだけで。あれだって立派な軍隊ですよ」
「まあ見てな。もっとも、あの玩具については処分させてもらうがな。あんな物騒なもんで遊ばれちゃ、いくらなんでも身がもたねえし」
微笑ってギイは煙草をくわえ、ふと視線をめぐらせる。今かすかに女の声がした気がしたのだ。
だが、住民の避難は完了している。こんな所にいるはずもない。まして、荒れ野に女など。声の出所は、向かいの軍隊からではない。それよりもっと、ずっと手前の──
ぽつんと佇む人影を見つけ、愕然と石壁にかぶりついた。
「──な、に?」
くわえた口から煙草が落ちる。
二人の部下も、異変に気づき、あわてて石壁に取りついた。
「……なんてこった。なんで、そうなる!?」
目をみはり、言葉を失う。まさに灯台下暗し。この回廊の足元とは。街を守る堀の向こうの。
いるはずもない顔が、そこにいた。あの客ともう一人。だが、進軍は始まっている。着々と包囲を狭めるように。旗をひるがえし、整然と。
戦で気分が高揚し、掘の手前の人影など、おそらく目にも入っていない。設置を終えた投石器は、街壁に狙いを定めている。
刻々迫りくる軍勢に対し、その姿はあまりに小さかった。
あたかも敵前に捧げられた、哀れな生贄であるかのように。
「──まだ早いが、仕方ねえ。特務に連絡! 早急に始めろ」
うなずいた地図屋の指笛が、荒れ野に鋭く響き渡った。
すくんだ人影に、ギイは乗り出す。
「おい! 姫さん、そこにいな! すぐに迎えをやるからな!──クレーメンス!」
舌打ちで手配師を振り向いた。
「向こうの軍との間に入って、客の身柄を確保する。部隊に指示しろ。全軍突入!」
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》