■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章30
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……いや、これは別の思念だ。
なぜ、そんなものが紛れこむ?
竜の記憶に、赤髪の思念が。
強い光が差しこんだ。
闇を、光が凌駕する。
萌黄の霧が、たゆたい、渦まく。
カッ──と景色が一変した。
戦場一面、青みがかった白い靄。
天空の夏雲が降りてきた。
それが地表に敷き詰められて、眼下に一面、雲海が広がる。
それが中央に佇んでいた。さわさわ枝葉を茂らせた巨木が。あれは、中心に据えられた、三界を貫く、
──ユグドラシル。
いや、あの世界樹は、「ここ」にはない。景色が二重写しになっている。
像の強弱が交代し、軍勢が遠のき、薄れて消える。
白く死んだ細い木立が、それに代わって林立する。
渦まくように焔が燃え立ち、萌黄の火柱が立ちあがる。
虚空で輝く、三つの月。
分厚く立ち込めた雲海の上、影が怒りの咆哮をあげた。
顎が吐き出す萌黄の炎。溶鉱炉の前にいるかのような揺らぎ。
「ポイニクス」と呼ばれた巨鳥と、竜の影が対峙していた。
竜が牽制、ぐるぐる回る。じりじり、巨鳥から後ずさりながら。
あっけなく、決着はついた。
いや、端から敵うわけがない。実体をもつ巨鳥に引きかえ、竜はしょせん本体の「影」。
白銀の翼を広げた巨鳥が、全身の輝きを増していく。
鋭い嘴を大きくあけて、竜に向けて巨鳥が突っ込む。
影を呑んだその瞬間、おびただしく発光した。
一瞬で喰らって、空の高みへ飛翔する。
巨鳥の軌跡が、青く尾を引き、輝いた。
だが、空の彼方へ飛び去るも束の間、大きく旋回、戻ってきた。
翼を広げた滑空の先には、繰り広げられる対決を、瞳を輝かせて見ていた、
──少年。
《 ありがとう、ポイニクス 》
鈴を振るような声がした。
《 ぼくのお願い、きいてくれて。悪い竜をやっつけてくれて 》
巨鳥の翼が、虹色を帯びる。
何事か少年に返したのかもしれない。少年は困ったように笑いかける。
《 ごめんね、君を呼び出して。けど、あのおばちゃんのこと、ぼくも助けてあげたかったんだ。ごめんね。だけど、ぼくだって── 》
飛来した巨鳥の嘴に、少年は微笑って唇を噛む。
《 ぼくだって、仲間に入りたかったんだ 》
轟音を伴う突風とともに、巨鳥が回廊を行き過ぎた。
青く輝く軌跡の向こうで、一旦呑まれた小さな体が、ゆっくり回廊にくずおれた。
ユージンは駆け寄って抱き起こし、眉をひそめて顔を見おろす。瞼を閉じた幼い顔を。
空に留まる巨鳥を見、苦々しくつぶやいた。
「戻せないなら、呼び出すな」
腕で、少年は事切れていた。満足そうな笑みを浮かべて。
「よくやった」
魂を喰われた少年の、亡骸を置いて立ちあがる。
「ここ数日のこの異変、お前が一番の殊勲者だ」
この子供がいなければ、竜を斥けることはできなかった。たとえ姿が見えたとしても、誰にも手出しはできなかった。影と同じ質を持つ《あわい》の霊獣ポイニクスでなければ。
そして、霊獣ポイニクスは、小さな子供の呼びかけに応えて、遥かなる《あわい》から飛来した。子供の命と引き換えに。子供も代償を覚悟の上で。
子供は霊獣と契約したのだ。幼いなりにも対等に。
「後のことは、俺に任せろ」
空の巨鳥を、ユージンは仰ぐ。だが、こうも巨大では、果たして送り返せるかどうか。
何やら、いやに好都合だ。丁度この場に居合わせるとは。この場に誂えでもしたように、自分にそうした力があるとは。あの《あわい》に干渉する──
思案の深みで連鎖がひらめき、ユージンは軽く息を呑む。
不意に、その理由を知る。
そう、まさにそれこそが、居合わせた理由ではなかったか。やんわりと隔たった、だが、極めて不通の時空の壁を、この場で唯一すり抜けることができる者。
この場に最もふさわしい《あわい》を開く能力の持ち主。だからこそ道が通じた。弾かれ続けたトラビアへの道が。
──いや、違う。そうではない。そんな上辺のあいまいな、因果だけの話ではない。波動の密な圧力を破って、故意に招いた者がいる。
それは、この力なしには重篤な事態を引き起こしかねない者。そう、それは他でもない。
「呼んだのはお前か、ポイニクス」
《あわい》を通過する際に、何度か姿を見かけている。つまり、まさしくこういうことだ。
──"お前が深淵を覗く時、深淵もまた、お前を見ている"
時の先まで見通す界主は、最適な相手を知っていた。
天空に留まる霊獣の顔を、ユージンは見据える。あんな巨体を送り込むほどの力は、おそらくないと思われた。けれど、その対象が招いた当人というのなら、やりようがなくもない。
晴れた空をながめやり、ユージンは静かに瞼を閉じた。すべきことは心得ている。
《 Secundum nostrum 》
意識を研いで、呪文を紡ぐ。
青い天空の一点に、ぐんぐん意識を集中する。
──繋がれ。
ピシり、と空に亀裂が走った。
そこを起点に空を裂く。力任せに全力で。
横一線に空が剥け、口をあけた空の向こうに、混沌の闇が現れる──。
「あるべき場所へ、速やかに戻れ」
時間と空間が分離する先へ。
三つの時空が交差する、ただ一つの焦点へ。
白銀に輝く翼を広げ、霊獣が戦地を滑空した。
天空の裂け目、闇の果てへと去っていく。それをユージンは見届けて、空の裂け目を閉じにかかった。一刻も早く。
彼我を繋ぐ空の裂け目が、わずかでも残ってしまえば、どんな深刻な災いが降りかからぬとも限らない。《あわい》の混沌が漏れ出して拡散してしまったら──
くらり、と意識がぐらついた。
力を振り絞った詠唱で、体力が極限まで奪われる。
「──もう少し!」
何とか意識を保とうとするも、ふっつり気力の糸が途切れた。
張りつめていた意識が薄れる。たまらず、がくりと膝をつく。
灼けた石の感触を、頬に感じて意識が遠のく。
彼我の境が完全にふさがるのを見届けぬままに。
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