■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章42
( 前頁 / TOP / 次頁 )
滅びの轟音に抱かれて、ケネルと深く唇を合わせる。
瞳を合わせ、彼の首にしがみつき、シャツの肩に顔をうずめた。背中に回したケネルの手が、背中の肌にじかに触れる。
「服に、穴があいちまったな」
くすりとケネルが苦笑いした。「まったく、あんたには驚かされる。もう平気か、背中の怪我は」
え? とエレーンは面食らう。「そ、そういえば」
痛くない? むしろ、今まで忘れてた。あんなにばっさり斬られたのに。血だって、いっぱい噴き出たはずで──。はた、とケネルを振り仰いだ。
「ケネルの方こそ大丈夫? さっき腕から、血がだらだら──!」
ああ、と持ちあげたケネルの腕に、虚をつかれて口をあける。
「え、治ってる?」
かつての傷の名残りを示す、赤い線があるきりだ。
「波及したらしいな。あんたの治癒が」
ちゆ? と訊くもそれには応えず、ケネルは軽く息を吐いた。
「すまなかったな、黙っていて」
ダドリーの話と気がついて、エレーンはあわてて首を振る。
「う、ううん、ううんっ! あたしこそ! だって、ダドは友達で、極秘の話は漏らしちゃ駄目で、むしろケネルは板挟みみたいになっちゃって、だから、その、」
「だが、俺は、あんたを選んだ。あの商都の時計塔で」
──"あの商都の時計塔"?
肌に、気配がよみがえった。
正午すぎの真夏の屋上。手すりに吹いた夏の風。ボリスと入れ替わりにやって来て、そして、初めて口づけを──
熱い記憶がよみがえり、ぼっ、とたちまち耳までのぼせた。
直視された目をそらし、のぼせた赤面パタパタ仰ぐ。それにしても、
(どーなってんの?)
歯の浮くようなこんな台詞を、ケネルが平気で言うなんて。ひょい、とケネルが顔を覗いた。
「聞こえなかったか? 一番大事なのは、あんただと、」
更に言葉を重ねられ、あわあわ動揺、思わず訊いた。
「ファレスより?」
「──。なんで、ファレスが出てくるんだ」
ケネルがどん引きで頬をゆがめる。
「だ、だってぇー」
動揺しきりで、しどもど笑う。「ケネル、ファレスと仲いいしぃー。いっつもファレスと一緒にいるしぃー」
ケネルが困ったように相好を崩した。
「部隊の副長と張り合われてもな」
「そっ、それは、そーなん、だろうけどもぉー」
本当に彼はどうしちゃったというのか。あんなに素っ気なかった隊長が。とはいえ、急に軟化されても、心の準備というものが。
猶予を作るべく話を変えた。「そ、そういえばケネルは、なんで、ここにぃー?」
「誰のせいだと思ってる」
やれやれとケネルは天を仰ぐ。
「あのトラビアの戦場で、あんたが取り乱して叫んだ後に、あんたの姿が急に薄れて」
とっさに捕まえようと振りかぶったら、この《 あわい 》にいたのだという。
「へ、へえ。それは災難で」
「あのな、なにを他人事みたいに」
呆れた顔で額を弾かれ、たじろぎ笑いで絶句した。他愛もないじゃれ合いに、ケネルが際限なく付き合ってくれる。珍しいことに怒りもせずに。
せっかくだから、やーん、やーんと頬を赤らめ、百万年分ほど甘えておく。だって、そんなの前代未聞。このタヌキの朴念仁が無駄に歓談するなんて槍が降るより珍しい。
とんとん、脇腹を突かれた。
(なによ、今イイとこなのにぃ……)と、うんざりお邪魔虫に一瞥をくれる。
即行、ケネルを突き飛ばした。
すまなそうに眉を下げ、もじもじ遠慮がちに見あげたこの顔。
「ご、ごめんね? エレーンさん。いい雰囲気のところ」
そう、額の広い、愛らしいこの顔。
「……あ、あでぃー!? いつからそこにっ?」
ひくりと喉が引きつって、名を呼ぶ声が裏返る。
断崖の縁で両手をばたばた、たたらを踏んだケネルを後目に、華麗に反転、愛想笑い。
「や、やだもー勘弁。いるならいると早く言ってよー。今、あんたを捜しに行こうと。てか、あんた何したのよ。あの後、怖い女の人がっ」
そんで、すんごく怒られた! とぺらぺら直ちに喋り倒す。
その勢いに押されたように、アディーがぎこちなく小首をかしげた。
「あっ、それってあれかな。わたしが逝く時、あの人、石に閉じ込めたから」
そろりと斜め上に目をそらし、「だって悪さがすぎるんだもの〜」とぶちぶち続けた話によれば、お守りの石は《 あわい 》に通じ、さっきの怖い美女は元々、自由に行き来していたのだという。
「で、そもそもアレって、誰なわけ? あんたと一体どういう関係?」
「あれは月読。もう一人のわたし」
我が身に思いを馳せるように、アディーは自分の手のひらを見る。
「この血脈の中に棲む、わたしたちの原始の人格」
……へ?
「そんなことより、エレーンさん」
キッとアディーが振り向いた。
「ここから早く脱出しないと。《 あわい 》があなたを見つけたわ!」
「……み、見つけた?」
て、生物か。
「発動したでしょ、治癒の力を」
(あー。そういえばケネルも、そんなようなことを〜)と当人の様子をチラ見すれば、崖っぷちまで吹っ飛ばされて、わたわたたたらを踏んでたことなど、おくびにも出さないまるで涼しの佇まい。
「聞こえるでしょう、胎動が」
薔薇色に染まった天蓋を仰ぎ、アディーは気づかわしげに眉をひそめる。
「新たに命が芽生えたの。どこかで母胎も、それを受け入れる準備をしている。この生成の役割を終えれば、《 あわい 》はたちどころに消滅するわ。その時まだ、ここにいたら」
「いたら?」
エレーンはごくりと、眉根を寄せて、唾を呑む。
「新しい命の一部になる」
つまり、ヨハンたちと混じり合って? ちなみに、あのジャイルズとも!?
「ちょっと勘弁! いや、その前に死ぬよね!? 確実に死ぬよね!?」
あたふた指組み、必死で祈る。死んでも命がありますようにっ!
「個人の死は一時の終わりよ。命はぐるぐる循環していて、この大地がある限り、なくなることはあり得ないもの」
薔薇色の起伏の彼方へと、アディーは遠く視線を投げる。姿を変え、形を変え、命は永久に巡り続ける。役割を終えては分解され、別の命と混じり合い、また新たな魂となって──
ぎくり、とその顔が強ばった。
きゅっと唇をかみしめて、怯えたように後ずさる。そろりとエレーンは彼女をうかがい、その視線を怪訝に追う。
「え、さっきの蛇?」
長く黒い巨大な影が、天蓋の彼方でひるがえっていた。
ひげを蓄えた頭をもたげ、視線を巡らすその様は、何かを探しているような。
「じゃ、じゃあね、エレーンさんっ」
アディーが忙しなく振り仰いだ。「迎えの人も、すぐに来ると思うから!」
もう、我慢がならないというように、せかせか華奢な背を返す。
思い出したように、はたと振り向き、両手を広げて抱きついた。
「あなたのこと大好きよ」
はっとエレーンは息を詰めた。今、何か、わかった気がする。
わかりそうでわからなかった、探し続けた最後のピース。こんなに簡単なことなのに。
ふわりと長い髪がなびいて、アディーが身をひるがえした。
ぱっと懐で消え入った直後、ひときわ大きく風がうなった。
砕けた岩塊が飛び交う中、ぐんぐん近づく大振りな物体。天蓋がはがれて、
──落ちてきた!?
素早くケネルに肩をかばわれ、とっさにエレーンは目をつぶる。
「まさか、ランデブー・ポイントが 《 あわい 》 とはね」
声がした。
首をすくめた頭上から。恐る恐る目を開けて、不可解な光景に目をみはる。
天蓋の破片が浮いている。止まっているのだ、空中で。しかも、人が乗っている。
破片を支える対流の、風で煽られる長い金髪。綺麗な顔立ちの若い、男性?
破片の上に立った相手が、金の髪を波打たせ、自分の胸に手を置いた。
「お迎えに参上しましたよ、我が姫君」
ぎょっとエレーンはたじろいだ。
誰。
「初めまして。俺はアスラン。ま、俺は君のこと、よーく知っているんだけどね」
内なる疑問に答えて笑う。綺麗な金髪の青年が。──ああっ、と気づいて指さした。
「じゃあ、アディーが言ってた迎えの人って! でも、なんで、ここにいるって」
「ま、あれだけ強く発光すればね」
アスランは軽く肩をすくめて、破片をこちらの足場に寄せる。
「話は後だ。さ、乗って。この《あわい》とトラビアの、境になってる亀裂がある」
差し出された手をとって、エレーンは恐々破片に乗りこむ。ケネルも怪訝そうに見まわしながら、破片に続いて乗りこんだ。
「行くよ」
アスランが往く手を見やった途端、足元の破片が動き出した。
ぐんぐん景色が流れ去る。
エレーンはあわあわ四つん這いで破片の縁にしがみつき、まじまじ金髪を盗み見る。
(……な、何者?)
このアスランには驚いたことに、物体を風で操作する奇妙な力があるらしい。
これにはケネルもさすがに驚いた顔つきで、だが、幾多の修羅場を潜り抜けてきた傭兵部隊の隊長は、肝の据わり方が違うらしい。一言「すごいな」とつぶやいただけで、平素の顔を取り戻した。
「しかし、これが役割とはね」
崩れゆく《あわい》をつくづく見まわし、アスランはぶつくさ天を仰ぐ。「わかるわけないよな〜こんな所。確かに"目的地はトラビア"だけどさ〜」
彼に何があったというのか、しばらく、げんなりうなだれていたが、やがて、首を振って顔をあげた。
「それはそうと、さ、出して」
ぽかん、とエレーンはアスランを見る。「出すって何を?」
「とぼけても無駄だから。持っているだろ《 極楽鳥の夢 》を」
「て、もしかして、夢の石のこと?」
あの白装束のオカッパが、テンポーとかいう小生意気なガキが、確かそんなふうに呼んでいた。とはいえ、あれは、もうとっくにトラビアで──
急に破裂したあの石の無残な最期が脳裏をよぎるが、じっとり凝視のアスランは、恐いくらいにきっちり真顔。
「さ、早く俺に渡して。防人が──いや、俺が未来を組み替える」
眉根を寄せてエレーンは固まり、引きつり笑いで頭を掻いた。「や。ごめん。ちょっと意味が」
「君は"死"を受け渡したろう」
大儀そうな溜息で、それでもアスランは説いて聞かせる。
「お陰で時が、本来の流れから外れてしまった。元に戻さないと支障が出る。それには、その鍵が必要なんだ」
へらとエレーンはたじろぎ笑った。「よ、よくわかんないけど、あの石なら粉々に」
アスランが目を見開いた。
「あの、なんか破裂しちゃって?」
絶句で立ちつくしていたアスランが、へなへなくずおれ、膝をつかんだ。
うなだれ、首を振っている。「……破裂って」
はあ……と溜息を含んだ息を殊更に大きく吐き出して、吹っ切るようにして身を起こした。
「ともあれ、そっちは後回しだ。今は早く外に出ないと。ぐずぐずしてたら 《 あわい 》 の崩壊に巻き込まれる」
轟音とともに風が吹き荒れ、砕けた岩塊が飛んでいた。
それが崩れた岩肌にぶつかり、激しい音で砕け散る。天蓋の破片はぐんぐん進み、崩壊の景色が流れ去る。
やがて、アスランが速度をゆるめた。
「見えたよ。あれがトラビアへの出口だ」
延々続く景色の先に、黒い筋が見えていた。
薔薇色の起伏の切り立った斜面に、横に一本大きく走った、洞窟のように開いた口。
アスランが破片を操って、亀裂に近づけ、縁に寄せる。身軽に縁に降り立って、振り向き、手を差し伸べた。「さ、こっちだ」
その手を取ってエレーンも、恐々亀裂との隙間をまたぐ。
抱きとられるようにして飛び移り、ほっと胸をなでおろした。ついに、ついに辿り着いた。色々あったが、これで出られる──。ふと、後ろを振り向いた。
「どうかした? ケネル」
宙に浮いた破片の上に、ケネルはまだ佇んでいる。その目が、おもむろにアスランを見た。
「後のことは、よろしく頼む」
後を託されたアスランが、事情を呑み込んだように眉をひそめる。
「取引したのか、天鳳と」
エレーンはおろおろ交互に見やる。「なに? 取引って。どういうこと?」
促されたアスランが、思案するように目をつぶり、ケネルの顔に目を戻した。
「なら、事情は天鳳から聞いたろう。あの時君がしたことを。今、彼女に話しても?」
ケネルのうなずきで了解を取りつけ、溜息まじりに振りかえる。
「元はといえば、彼の素性、翅鳥の末裔であることが、すべての変事の発端なんだ」
ああ、この翅鳥というのは、天鳳が使役する僕のことだ。
君らの住む境域とは異なる、「天鳳の境域」の住人なんだが、「荒竜の境域」が滅びた弾みで、君らの境域に飛ばされてしまった。そして、女性との間に子が生まれた。本来出会うはずのない、異界に属する二人の間に。
だが、異界の者の接触を、まして「合いの子」の誕生を、世界は予定していない。つまり、それはあってはならない「禁忌」に属する事柄だ。姿形はヒトのそれでも、そうして生まれた「禁忌の者」は、全てを滅ぼしかねない脅威となりうる。
「禁忌の者」の誕生を、境域は当然、阻止すべく動いた。
だが、異物を排除しようにも、どの境域にも属さぬ彼らに、境域の理は通じない。
機能においても能力においても最も発達した最高点で、成長を止めた生物としての肉体。体の組織の再生速度を無視した、回復の速い強靭な肉体。常人には及びもつかない、桁外れな身体能力。その上、無作為に芽生えた異能。常人を容易く凌駕する、そうした強い特質は、幸い「禁忌の者」一代限りで、彼らの子孫・末裔については、まばらに発現するに留まるようだが。
「だが、翅鳥の末裔たる彼の血は、それほど特殊だということだ。禁忌の者とて人間だから、子孫がいるのは仕方がないが、なるべく拡散は押さえたい、そうした境域の思惑からすれば、彼の行為は違背にあたる」
重きを置くように仄めかし、アスランが嘆息、振り向いた。
「君は不思議に思わなかった? なぜ、君が助かったのか。あんな猛者に斬りつけられて、瀕死の重傷だったのに」
そう、あの晩居室に駆けつけたファレスは、こちらの通常の応答に、面食らったような顔をした。翌日には寝台を抜け出し、普通に歩いて街道へ行った。事件のあった翌日にだ。よくよく冷静に考えてみれば、そんなことができるはずもないのに。
ざわざわ胸が不吉に騒いで、思わず、つぶやきが口をつく。「──ケネルは、何を」
「君に血を分けたんだ。翅鳥の血の特殊さを、重々承知した上で。そして、君が生き延びてしまった」
「本当はあたし、死んでいた?」
愕然とエレーンは絶句した。首長に斬られたあの夜に。
「そう、君は死ぬはずだった。あの襲撃に巻き込まれてね。その君が生き延びたことで、世界の在り様が狂ってしまった」
怪訝にアスランの顔を見る。一体、何が狂ったというのか。
「君は、他人の人生に介入したんだ。《極楽鳥の夢》を使って、その生死をも左右した。もっとも君も、この件の被害者ではあるんだけどね。そもそも死を免れたのは、君の預かり知らないことで、君のか弱いヒトの血を禁忌の血が駆逐して、元の体には戻れない。皆、彼がしたことだ」
名指しされたケネルの顔を、返事に窮しておろおろ見る。
ケネルが踏み出し、手を伸ばし、真顔でおもむろに肩をつかんだ。
「すまない。他にやりようがなかった」
けれど、とっさに、うまい言葉が出てこない。
「最後に、あんたに謝れて良かった」
とん、とその手が肩を押した。
反動のついた天蓋の破片が、ゆらゆら縁から離れていく。
「じゃあな、奥方さま」
「……ケ、ケネル!?」
呼びかけ、あわてて手を伸ばす。
「危ない! 落ちるぞ!」
乗り出した体を、取り押さえられた。
腕を振り回して闇雲にもがく。だが、振りほどこうにもほどけない。優男の見た目と異なり、アスランの力は意外に強い。
「放して──放してよ! だって、ケネルは!」
「彼はすでに取引したんだ。自分の咎を償って、君の"死"を引き受けると」
予定していた君の"死"を認識していない境域が、取り込むべき"死"を探している。次の命に繋げるために。
「だけどっ!」
それは確かに、あの夜ケネルがしたことで、禁を犯しもしたのだろう。だけど、
──だけど、ケネルは助けてくれた。
ケネルを乗せた天蓋の破片が、どんどん離れ、遠ざかる。
煽り立てる突風に、顔をゆがめてエレーンは叫ぶ。
「飲みに行くって言ったじゃない! あたしと一緒に"サムの店"に!」
いや、そんなことより言うことはないのか。もっと何か大事なことが。ああ、だけど、なんて言ったら──!
「危ない! 崩落に巻き込まれるぞ!」
崩壊の爆風に髪を踊らせ、アスランが顔をしかめて引き戻す。
どくん、どくん、と鼓動が大きく息づいていた。
生命誕生の歓喜に沸いて 《 あわい 》 全体が脈打っている。いたる所で突風が吹き荒れ、天蓋がぼろぼろ砕け落ちる。
滅びの歌が始まっていた。新たな命を生み出すための。もう解体が始まっている。ここに留まれば、ケネルもいずれ──。せめて、何か言わないと。世界で一番、
誰より大事な人だから。
けれど、彼に何と言えば──。
胸をよぎった面影に、はっと息を呑みこんだ。きゅっと胴に抱きついた人懐こいアディーの笑顔。そうだ、悟ったはずではないか。わかりそうでわからなかった、探し続けた最後のピース。
ひときわ強く天蓋が輝き、ガラガラ盛大に崩れ始めた。ケネルが乗った天蓋の破片に、巨大な落下片が直撃する。
瞠目して、息を詰めた。もう、何もかも、
──間に合わない。
「ケネルっ!」
奈落へ落ちゆくケネルを見据え、思い切り声を振り絞った。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》