■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章46
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整列した部隊のそこここで、ラトキエの旗がひるがえっていた。
晴れたトラビアの夏空の下、青い軍服の兵隊と、黒い覆布の騎馬隊が、数万の目で見守っている。誰ひとり言葉を発すことなく。
肩章をかけた礼装が、ラトキエ総領アルベールさまが、片膝折って跪いた。
そして、白い礼服の胸に手を置いて、丁寧な仕草で首を垂れた。
「貴女に敬意を表します」
それは、嘘偽りのない、心からの言葉だった。
あわてて止めようとした高官を斥け、最大の礼を尽くしてくれた。
了解した旨、伝えた後に。
渇いた地面を睨みつけ、唇を噛んで立ちつくした。
感覚のない手の先で、メイド服の生地を握る。
軍靴が大地を揺るがして、国軍が通り過ぎていく。
ダドリー=クレストが立てこもる、トラビアを奪取するために。
いともあっけなく、話はついた。
言葉を尽くせと言われたが、話にも何もならなかった。
すべてに勝るラトキエには仄めかすだけで十分だった。自領民の今後の処遇を。
力が、あまりに違い過ぎた。筆頭領家の総領と、弱小領家の夫人では。
それぞれのまとうその衣服が、如実にその差を示していた。
一分の隙もない礼装と、背中の裂けたメイド服。
大ラトキエと弱小クレスト。主たる者と従たる者。現に、かつて仕えていた、彼の屋敷の使用人。上下の定まった力関係が、覆ることはないのだと。
厳かな進軍のかたわらで、騎馬隊が散開、引きあげていく。
撤収を指示したギイの顔に、悪びれた様子はない。
彼の口添えは一切なかった。この彼の関心は、回廊での呼びかけのあの言葉の額面通り、歴史書の片隅に残るのだろう、この場に「立ち会う」ことにあったらしい。
国軍の動きを気にしてか、さりげなく視線をめぐらせていた。整列した国軍を、どこかもどかしげに眺めやり、街壁の回廊を振りかえり。
そして、一言の介入もなく、すべての決着がついてしまった。
ラトキエ総領アルベールさまとの、今のやりとりを反芻し、エレーンは強く手を握る。手のひらに爪が食い込むほどに。
強い拒絶に、血の気が引いた。アディーを失ったアルベールさまは、やはり、ダドリーを
──許さない。
いや、初めから無理だった。彼を翻意させるなど。
どんなに言葉を尽くしても、動かぬものは、やはり、ある。
どんなに力を尽くしても「譲れぬもの」が人にはある。例えそれが傍目には、どれほど理屈に合わないことでも。だが、白い礼装の彼の、あの拒絶が意味するものは──。
たまらず硬く目をつぶった。なぜ、自分は準備もなしに、この場に臨んでしまったのか。
トラビアの空は青く澄み、砂が大地をさらっていた。
平時と何一つ変わらない、西の大地の凪いだ午後。
進軍するラトキエの、勝利を称える祝砲だろうか。薄茶の街壁の上空で、場違いな花火が打ちあがる。
昼空に、大輪の花が咲く。いくつも、いくつも。いくつも、いくつも──。
無力感がこみ上げて、強く奥歯を食いしばった。
この自分の存在が、どれほどちっぽけか思い知った。
なぜ、もっと考えなかった。考えて、考えて、考え抜かなかった。彼と自分の歴然とした差を。なぜ、教えを乞わなかった。事情をよく知る優秀な人なら、周囲に大勢いたはずなのに。大ラトキエの総領を、大陸の端まで追いかけて、ただがむしゃらに食い下がるばかりで。
なんとなく上手くいくんじゃないか、と根拠もなく思っていた。その努力を怠った結果がこれだ。
涙が頬を滑り落ちた。強く、手のひらを握りしめる。
「……ごめん、ダドリー」
彼を救うと言いながら、彼をこの手で
──売り渡してしまった。
隣で空を仰いだギイが「──成ったな」と呟いて、こちらの肩に手をおいた。
そして、ささやくように耳元で告げた。
「あんたの勝ちだ。お姫さん」
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