CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章53
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 少し歩くと、視界がひらけた。
 高い木立に挟まれた、涼風吹きゆく街道が終わり、道の先には、薄青の空。
 小川のせせらぎを聞きながら、陽に凪いだ橋を渡る。
 春の薄青い空の下、冬を越した枯れ草が、弱い日差しを浴びていた。
 その広い空き地の隅で、木箱に腰かけた道化師が、休憩中なのだろう、膝で紫煙をくゆらせて、素の顔で空を眺めている。
 移設とともに打ち捨てられた、あの旧天幕群。
 鍵のあいた動物の檻。片隅に停めた巡業の幌馬車。隅につながれた馬がいななく。数十もの天幕がかつて犇めいたその場所は、今はがらんと凪いでいる。
 深呼吸して、踏み出した。
 待ち合わせをしているのだ。敷地の奥の、あの場所で。

 先日、夜の廊下の先に、ユージンくんが現れた。
 取り次ぎの者も従者も連れず一人で立っていた彼に驚き、あわてて執事を呼ぼうとしたら、彼は微笑って首を振った。
『 すぐに帰るからお構いなく。ちょっと君に話があってね 』
 あっ、そうなんだー、と返しそうになって、すぐに(待てよ)と思い直した。
 気さくに見えてもユージンくんは、トラビア貴族オベール伯爵。彼のお家は西の国境、トラビアの南の山麓あたり。一方、こっちは大陸の北端。でも、夜もどっぷり暮れているというのに、すぐに帰るとか言ってるし……?
 軽く混乱をきたしていると、彼は急にあわてた顔で、ガッシとこちらの手をとった。
『 ぜひ、君に任せたい! 』
 聞けば、これから、商都にお店を開くのだそうな。
 だけど領土は遠いから、代わりにやってくんない? とそんなお話。そして、じぃっと見つめると、そそくさダッシュで帰って行った。
 後日、追い打ちをかけるように手紙が届いた。てか、便箋にみっしり十枚以上にも及ぶ、あの甘味に対する情熱はなんだ……。まあ、毎度のことではあるけども。

 春先の風に吹かれつつ、がらんと広い空き地を歩く。
 青空に映える壁の煉瓦が、午後の日ざしを浴びていた。
 蔦の這う二階のあの窓。あの日、あの端正な統領代理と面会した──。
 懐かしい思いで仰ぎやり、無人のほの暗い玄関をくぐる。
 石造りの館内はひんやりとして、廃墟のように人がいない。待ち合わせ場所へ向かうべく、ひっそり静かな廊下を進む。
 すぐに、右手の壁にもたれて、腕を組む人影に気づいた。
 年季の入った革の上着。黒のランニングに暗色のパンツ。おもむろに、その背を引き起こす。
「どこほっつき歩いていやがった!」
 あのトラビアでの終戦時、皆の記憶が飛んだ中、当たり前のように認識していたファレスがまなじり吊り上げた。
「ぼけっと一人でうろつきやがって! また買い食いしてたのか!」
「あ、別宅寄ってた。お別れ言いに」
「別宅だァ!?」
 たちまち額の青筋プチプチ、がなって指を突きつけた。
「なんて危ねえ真似をしやがる! 狙われてんだぞ。貴族の野郎に!」
「なに。誰。ラッセル伯のこと? や。ないってないない〜。親切だもん」
「んなわけあるか! 向こうにしてみりゃ正妻なんざ、邪魔でしかねえに決まってんだろっ!」
「ほんと、あんたって考えすぎー。謁見したら、名実ともに、マルグリッドあっちの方が正妻じゃないよ」
「だから気ぃ抜くなっつってんだ! せめて謁見が済むまでは用心して大人し──」
「あーもー。うっさい! わかったってばっ」
 顔をしかめて指で耳栓、てくてく廊下を部屋へと向かう。荷物を取ってこなけりゃならないのだ。
「てんめえ、本当にわかってんのか!」
 苦虫かみつぶしたしかめっ面で、ファレスもガミガミくっついて歩く。
「ほいほい寄り道しやがって! なんかあったら、どうするつもりだ! やっぱりちょくにしょっ引いてくりゃ良かったぜ!」
「それダメ絶対。すーぐ、ちょっかい出すんだから、ラッセル伯に」
 そして、あわてた守衛を巻き込み、大騒動になったあげく、銀縁めがねのおじさんに、ぽい、とつまみ出される羽目になるのだ。ダドリーがトラビアから連れてきた、腕利きの側仕えヒースさんに。
 がるがるファレスは不穏に唸り、ぶんぶん指を振り立てる。
「だったら、てめえがとっとと来やがれ! あちこちチンタラうろつきやがって! て、その顔ぜってーわかってねえな!? お陰で何べん往復したと──!」
 今か今かと到着を待ちわび、玄関と領邸の間の道を、ぐるぐる往復したらしい。
 今に始まったことでもないので、エレーンは無視して扉を開ける。

 ふわり、と春風が頬をなでた。
 向かいの腰窓が開いている。
 がらんと白んだ午後の部屋には、誰の姿も見当たらない。
 年季の入った板張りの床が、ひっそり西日を浴びていた。
 酒場のような丸い卓も、雑然と置かれたたくさんの椅子も、隅に片づけられている。煙草で黄ばんだ部屋の壁。無造作に積んだ古い木箱。いくつか丸めて立てかけてあるのは、端が日焼けした大きな地図──。
 懐かしさが不意にこみ上げ、エレーンは軽く唇をかむ。
 そう、ここで彼らと出会った。
 すべてがここから始まった。
 ディールの使者を追い返し、悪評高い遊民の拠点に、捨て身の覚悟で赴いた。
 ファレスが連れてきたこの部屋はさながら、実戦部隊の待機所のようで。
 言葉を尽くして説得しても「帰れ」と皆にせせら笑われ──。
 けれど、それでも最後には、心強い味方になってくれた。そのすべてのきっかけは、窓辺の彼のあの一言。
『 俺が行く 』
 物々しい雰囲気の中、そこだけひっそりたむろした一団。その内の一人だった。
『 ちょっと行って、始末してくりゃいいんだろう 』
 ぶっきらぼうに言い捨てた、あの一言ですべてが変わった。じっと見ていたあの彼の。そう、夏日射しこむ窓辺にたむろす二人の首長とこのファレス──
 え? と戸惑い、首を傾げた。
 三人だけ、だったろうか。あの時、窓辺で見ていたのは。
 あの現実が記憶と合わない。何かが決定的に欠けている。そう、
 ……誰か、足りない。
 だって、あの時あそこにいたのは──

 バン! と叩きつけるようにして扉があいた。
 激しい音に驚いて、部屋の戸口を振りかえる。
 口を真一文字に引き結び、ぎゅっと両手を握っている。籐の籠をぶらさげて、仁王立ちしたあの女子は、
「……リナ?」
 面食らって瞬いた。クレスト邸での元同僚。双子の片割れ、あのリナだ。てか、商都の市民が、なぜ、ここに?
 ファレスもそう思ったようで、きょろきょろ辺りを見回している。
 一人きりのリナを見て、不思議そうに首を傾げた。
「おい、てめえ。なんで、いんだ? てより、なんで、おめえ、この場所が?」
 はた、とエレーンは思い出す。「──あ、そういえば、あたしが知らせてたー。近々ファレスと帰るから、又ランチしましょうねって」
 だけど、商都に着く前に、まさか、やって来ようとは。
 つかつかリナが踏み込んだ。
 とっさに気圧されたファレスを目がけ、高く片手を振りあげる。
 パン、と小気味良い平手の音が、静かな午後の天井に鳴る。
「──あ゛?」
 ぷっくり腫れた頬を押さえて、ファレスがリナの顔を見た。そして、
「てめえ!? いきなり何しやが──!」
「連絡くらい、しなさいよっ!」
 リナが涙目で食ってかかった。
「ミサンガの男が戦死したって──こっちがどれだけ心配したかっ! なのに、まったくあんたときたら、生きてんだか死んでんだか音沙汰ないし! お陰でこっちは夜も昼も全然まったく眠れないしっ!」
 リナが一気にまくしたて、目いっぱい詰まった籠の中身を、ファレス目がけてぶちまけた。
 ばらばら転がった真っ赤な玉を、ファレスがわたわた追いかけ、拾う。
 四つん這いの床の上から、ギッとリナをねめつけた。「てめえ! せっかくのチェリートマトを! なんてことすんだオカチメンコ!」
「オカチメンコオカチメンコ馬鹿の一つ覚えみたいに言ってんじゃないわよっ!」
「踏んじまったら、どーすんだコラ! 食いもん粗末にしてんじゃねえぞコ──」
「どーだっていいっつーのよ食いもんなんかっ!」
 まるで噛み合ってない不毛さに、エレーンは目が点、無言で突っ立つ。
 一言口を開いた途端、婦女子を敵に回すファレスだが、リナがわざわざ持ってきた籠一杯のその意味も、案の定ちっともわかっちゃいない……。
 ふと、眉をひそめて当惑した。
 自分の手のひらを、のろのろ見る。なんだか前にも、これと似たようなことがあったような。
 何だろう、妙に引っかかる。ファレスがぶたれた今の
 ──
 大事なこと、だったはず。何より、とても大事なこと。一体どこで聞いたのか──。
 頭にずっと立ち込めていた、霧が徐々に薄れ始める。
 意識を凝らして記憶を追いかけ、ぎゅっと強く瞼をつぶる。
 あの日、窓辺でたむろしていたのは、
 じっと不躾なほど見つめていたのは、
 ずっと、そばにいてくれたのは、
 ……黒い髪。
 不躾なほどに直視する瞳。
 そして、憎たらしいほど落ち着いた物腰。陽射しの中で彼が身じろぎ、抑揚を伴いあの声で告げる。
『 俺が行く 』
 ついに、くっきり容姿が浮かび、げっ、と頬が引きつった。
「……あっ」

 ケネル。
 
 
 

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