【ディール急襲】 第3部2章


〜 予 感 〜

 
 

 最後の客を送り出し、店の看板を取り込んでしまうと、遠野がカウンターに戻ってきた。
「悪いね、モップ掛けまでしてもらって」
「食わせてもらっているからな」
 煙草をくわえて火を点けながら、「むしろ、ありがたいよ」と男は笑う。
「でも、怪我してただろ、あんた、腕。なのに、その、なんか悪いね」
 言われて、腕を見せてやる。
「問題ない」
 飴色に輝くカウンターの皿から、遅い夜食をつまんだ遠野が「え?」と目を丸くした。
「……なに、もう治ったの? まじか。あんなに深かったのに」
 あの傷も今はもう、うっすら白く残るばかりだ。
 まじまじ遠野がそれを見て、自分の腕を、やれやれと見せた。「俺なんか見てよ。まだこれだよ」
 その手首から肘にかけ、ミミズ腫れになった裂傷の痕。
「たくましいんだな。見かけによらず」
「昔の傷が残っちゃって。まあ、ろくに手当てもできなかったし」
 腕を引いて袖にしまい、遠野は顔をしかめて頭を掻く。「それにしても驚いたよ。だって、まさか思わないし。あんな所で・・・・、急に足をつかまれるとか」
 ガラスの灰皿を男は引き寄せ、指先の灰を苦笑いで落とす。「生憎なくてな、つかまるものが」
「まあ、それはいいんだけどさ。困った時はお互い様だし。なんにせよ無事に戻れたし。けど、まさか、人がいるとは思わないって普通」
「やっぱり俺は、よほど行いが悪いんだな」
「え、やっぱりって?」
「少し前にも、危うく暗殺されかけた。まあ、察知はしていたが、読みが甘かったらしくてな」
「──なに。暗殺とか、よくあるの? さすがにすごいね。あっちの・・・・人は」
 たじろぎ顔で言いながら、遠野が隣に腰をおろす。「それで、これから、どうするつもり?」
「なんとかなるだろ」
「ならないでしょ」
「俺は存外、運がいい」
「……。そうらしいね」
 あんな崩落をやり過ごして、こっちに逃げ切れるくらいだし──続けて、はた、と口をつぐんだ。あわてた顔で振りかえる。
「あ、それはさすがに無理だからね俺。あんたを向こうに戻すとか」
 男は含み笑いで一瞥をくれる。「俺の勘は当たる・・・・・・・んだがな」
「だからさー、たしか言ったよね俺。あそこにいたのはたまたまで、俺だって別にこっちと向こうを自由に行き来できるってわけじゃ──」
 ふと、眉根をよせて口を閉じた。
 はあ、と溜息で脱力し、顔をしかめて頭を掻く。
「あのさ。そういうの、やめてくんない? からかうとかマジ勘弁。言っとくけど俺、そこらのガキとは違うから。たぶん、あんたより場数踏んでる」
「だろうな」
「──えー。本当に分かってるー?」
「"ろくに手当てもできなかった"んだろ?」
 面白くなさげな舌打ちで、飲みかけのグラスを取りあげた。
「ま、店は助かるけどね。ずっと、あんたがいてくれた方が。だって、ウチみたいなおんぼろバーに、女のお客さんが来るとかさー」
 前代未聞だよ、と店内をながめ、壁の時計で目を留めた。
 やべ、とつぶやき、せかせかスツールを滑り降りる。
「ごめん。ちょっと店頼める? マスターの様子見てくるからさ。──たく。なんで、俺がおっさんの世話まで。さっさと嫁をもらえってんだよ」
 愚痴って、壁から鍵をもぎ取り、店を突っ切り、戸口を出ていく。風邪で寝込んだ店主のために。

 その背を、男は苦笑いで見送り、カウンターのグラスに目を戻した。
 早仕舞いした深夜のバーで、ひとり煙草をくゆらせる。ぼんやり眺めた向かいの壁を、びっしり酒瓶が埋めている。
 こぢんまりとした隠れ家のような、薄暗い照明の店にいた。
 つややかに磨いたカウンター。壁にかかった丸い時計。文字らしきものが書かれた鏡──遠野言うところのパブ・ミラー。天井付近に設えられた、遠野言うところの洒落た"電灯" 炎を使わない手間のない灯り──。
 ふと、頬を男はゆるめた。すねを引っ掻く爪の気配。
 遠野が看板を取り込んだ際に、潜り込んでいたらしい。するりとドアの隙間を抜けて。むろん、店の残飯目当てで。
 営業中に見つかると、すぐに遠野に摘まみ出される。だが、看板をしまった後でなら、見逃してもらえると心得ている。
 とん、と猫が卓に飛び乗り、皿のハムをかじり始めた。
 男はそれを咎めもせずに、くわえ煙草で懐を探り、折り畳んだ便箋を取り出す。
 ずっと持ち歩いた紙片の折り目は、毛羽立ち、すでに擦り切れている。紙片をそっと慎重に開けば、余分な装飾を一切省いた、一言だけの簡素な文面。
 一文字一文字、丁寧に書かれた丸い文字。
 だが、幼稚な文字面とは裏腹に、悲愴な決意が綴られている。これまで受け取ったどんな手紙も、これには遠く及ばない。
「……死んでも文句は言いません、か」
 くすり、とケネルは頬をゆるめた。
 突きつけたのはあの彼女。世の苦難の上限が「友との喧嘩」くらいが精々の、子供のような顔つきで。それでも、あの時、すべて委ねると言ったから──。
 苦笑いして首を振り、灰皿を取って手紙を置いた。捨て身の覚悟を突きつけられて、一体どこへ逃げられるというのか。
 店のマッチをとりあげて、紙片の端に火を点ける。
「潮時、か」
 めらめら燃えゆく便箋を眺める。帰る手立ては、どこにもない。
「だが、あいつのそばなら安全だ。領主の嫁なら、不自由もない。俺の業のとばっちりで、命を落とすこともない」
 皿を舐めていた野良猫を、片手で懐に抱き寄せた。
「お前もそう思うだろ」
 猫の額にうつぶせ、微笑う。
「……悪い。母さん。息子は嫁とりに失敗したよ」
 堂々巡りの行き着く先は、想う相手の幸せだけだ。
 だが、疼くような胸の痛みは、どこへ葬ったらいいのだろう。
 誓いを立てたはずだった。あのカノ山の洞窟で。あの彼女を生涯守ると。苦い思いでボトルを取りあげ、卓のグラスに酒を注ぐ。
 どこへでも付いてきて、あっけらかんとよく笑った。すぐに拗ねて、すぐに怒った。少しでも姿が見えないと、大あわてで捜し回った。
 しがみついて、どうにも離れず、どこまでも後を追ってきた。その相手が急に消え、一人残され、どうしているのか。
 それでも、やがて、顔をあげ、また歩いて行くだろう。
 時おり道でへこたれて、しゃがみこんでは文句を言い、それでも他人を道連れにして。密かに唇を噛みながら。もう守ってはやれないが、せめて、彼方の彼女に贈る。
 君の健勝を、切に祈る。
 いかなる異国の地平にあっても。
 グラスを取りあげ、飲み干した。
「さよなら。奥方さま」
 ひょいと横から覗きこむ顔。不安そうに怯えた顔。けらけら笑う無防備な顔。口を尖らせたふくれ顔。いつの間にか忘れていた。
 他人のものだということを。

 煙草の先が、白く崩れた。
 あっけなく灰になった、紙片が灰皿でくすぶっている。
 とん、と猫が床に飛び降り、尻尾を立てて歩いていく。
「──こら。そこで爪を研ぐな」
 またトーノにどやされるぞ、と床を引っ掻く猫を抱きあげ、ふと、今の床を見返す。
 小さな泉が涌き出すように、光が床からあふれていた。
 腰かけていたスツールを降り、近寄り、怪訝にしゃがみ込む。いくら何でも、さすがに照明ではなさそうだが──。
 ふわり、と腕が発光した。
 あの時負った傷痕だ。猫が引っ掻いた床のそれと、同調するような萌黄の光──。
 ケネルは無言で眉根を寄せた。見覚えのある件の光が、今、目の前で湧いている理由を、うっすら察して唖然と固まる。
「……諦めの悪い奴だ」
 頬をゆるめて、くすりと微笑った。
 別れ際の彼女の声が、必死な顔がよみがえる。
『 待ってて、ケネル! 迎えに行くからっ! 』
 ぜったい、ぜったい迎えに行くからっ!
「……。どこにいるのか、わかっているか?」
 なにせ、ここは遥かな異界。彼女の暮らす地平ではない。それにしても──。
 ぐいぐい持ちあがる光を眺めて、ケネルはつくづく腕を組む。
「よく見つけるよな〜、どこにいても」
 そう、不思議と捜し出すのだ。一切迷うふうもなく。赤い糸でもたぐるように。
 例えどこかに隠れても、すぐに気づいてやってくる。いや、事と次第によっては、顔面崩壊で突っ込んでくる。
 じりっ、じりっ、と光が広がる。
 ふんぬ、と顔を押しつけて、ぐりぐり力づくで押し広げようとしている。なんとなくだが、それがわかる。
「……。ほれ。がんばれ」
 しゃがみ込んだその前で、ケネルも思わず彼女を応援。
 微かな音を聞きつけて、凝視した目を瞬いた。今のは、こちらの空耳だろうか。
『 大好きよっ! 大好きだからねっ! 』
 床からほとばしる光に紛れて、無理にねじ込んだような叫び声?
「……なんか、あったか?」
 大好き攻撃がなぜかやまない。
「わかった。もう、わかったから」
 しつこくしつこく念を押す、必死な形相を思い浮かべて、たじろいだ頬が知らずほころぶ。
 ──もう充分、伝わってるよ。
 越境許すまじの時空の蓋と、顔をねじ込もうとするせめぎ合いは、今も熾烈に続いている。異界の果てだろうが何だろうが、彼女には関係ないらしい
 なんでこんなことができるのか理由は皆目不明だが、その確信にケネルもうなずく。
 いつでも捨て身のアレならば、ものともせずに突き破る。絶対不可侵の境をも。
 そして、こちらを見つけたら、突っ込んでくるに違いない。
 町から戻ったあの時のように。
 ゲルから裸足で飛び出して、緑にかがやく原野を駆け抜け、両手を広げて踏み切って。なんの躊躇も頓着もなく。
「……そうだな。いつか、片がついたら」
 ケネルはそっと相好を崩す。
「"サムの店"で祝杯をあげよう」
 ついにせり上がった萌黄の光に、笑って手を差し伸べた。
「さあ、来い」
 そう、そして今度こそ、万難排して君を守ろう。
 例え、行く手に待ち受けるものが、茨の道であろうとも。

 彼女が裸足で駆けてくる。
 大海原の彼方から、大地をさらい、街路を駆け抜け、天の高みに吹きあげて、
 はるか時空までをも飛び越えて。
『 大好き、ケネル! 』
 原野の陽を浴び、白い寝巻で飛びこんだ、彼女の声が耳元で弾けた。 

<了>
 
 
 
 
 

CROSS ROAD 『ディール急襲 』
〜 姫とやさぐれ傭兵団 〜

 ( 連載期間 2005.8.8 - 2018.10.23 )

 
 
☆─ あとがき ─☆
 
 
 

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