番外編 「メガネちゃん狂想曲」 10
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「たく。な〜にが、恋わずらい、だよ。ウブなガキでもあるまいに」
 両手を隠しに突っ込んで、ぶらり、ぶらり、と肩をゆらして、ジョエルは階段を降りていた。
 階下の暗がりを睨みつけ、しかめっ面でぶつぶつ毒づく。
「いい加減なこと言いやがって。頭(かしら)は、いっつもアレだよな。だいたい班長が女なんかに、うつつを抜かすわけがねえだろ」
 近頃でこそ、だいぶ人当たりが柔らかくなったが、それも、客が崖から転落した、あの事故以降の話だ。
 それ以前の、女に対するザイの態度は、けんもほろろの有り様だった。今回のように部隊に女がやってきても、遠くから冷めた目で見ているだけで、近付こうともしなかった。むろん、女が苦手なわけでもない。こそこそ女から逃げまわるような情けない腰ぬけ風情とは話が違う。サランディーの酒場には、馴染みの女もいたようだし──。もしや、手ひどく振られた過去でもあるのだろうか。女を見る彼の目は、いつでもどこか忌々しげだ。むしろ、憎々しげといった方が近い。
 だが、ニヤニヤだらしなくやにさがる周囲の乱痴気騒ぎをよそに、女に媚びないザイの態度が、ジョエルは密かに気に入っていた。あんな下世話な連中とは違う。硬派なのだ。ストイックなのだ。あんな猿どもとは違うのだ!
 なのに……
 夏の虫の音が、しんしん響いた。
 階下にあいた踊り場の窓から、月の蒼光が射している。人があらかた出払った、本部の館内は静まっている。窓も壁も板床も、紺と黒とで覆われて、時刻は八時をまわっている。
 首長は部下より、メガネちゃんことオフィーリアの方が気になるらしく、しきりに気を揉んでいた。
『相手は質の悪い衛兵だぞ。そんな子供騙しで誤魔化せるのかよ。たかだか眼鏡を変えたくらいのことで』
 対処が甘い、と首長は言うのだ。商都に詰めた衛兵は、矜持が高い分、執念深い。
 だが、ジョエルは正直、彼女のことより、ザイの様子が気がかりだった。ザイは基本的に無愛想なので、これまでも決して懇意にしていたわけではないが、ああも上の空で、いい加減にあしらわれたのは初めてだ。何かに気をとられている。それは、確かだ。
「……女?」
 一番ありえる候補をつぶやき、ジョエルは階下の暗がりをねめつける。ならば、気にしていたのはあのメガネか? 危険な狩り場をうろついていたから、あえて脅して追い払った──。
 いつの間にか降りきった薄闇に沈む階下の床を、見るともなしに凝視した。素早くウインクを投げて寄越した、首長の声がよみがえる。
『男と女のことなんざ、なるようにしかならねえよ』
 忌々しい言葉を舌打ちで押しのけ、ジョエルはむくれてつぶやいた。「……あるわけねえだろ。班長が、女なんかに」
 ふと、板床に落とした目をあげた。だが、気配に気づいた時には遅かった。
 ぐっ、と腕が首にまわった。ぐいぐい、後ろから締められる。
「うわっ!──て、もうっ! なんすか! いきなり!」
 相手を思い切り突き飛ばし、ジョエルは顔をしかめて首をさすった。「──もうっ! 又すか、兄ぃっ!」
 ガシガシ頭を掻きまわしていた相手が、よう、と笑って声をかける。
「どこ行くの?」
 小首をかしげて眺めているのは、上背のある若い男だ。あの禿頭に丸眼鏡。
 外はもう真っ暗だぜ とセレスタンは顎で玄関をさす。
 いつもと変わらぬ飄々とした顔。きのう首長に命乞いをしたと知れば、どんな顔をするだろう。たぶん何も変わらない。せいぜい「へえ?」とか言うくらい。
 どことなく虚しい気分で、ジョエルは足を踏みかえた。「ちょっと、頭(かしら)の飯買いに」
 通常ならば、飯は調達班の受け持ちだが、彼らは既に本隊に同行する準備作業に入っている。
「なら、俺のも頼むわ、ジョエルちゃん」
 ぶらりと肩で、ジョエルは玄関を振りかえる。
「どうせなら、食いに行きません? 持って帰るの面倒だし。あ、そんでもって、あの……」
 言い淀み、気まずく顔をしかめて、目をそらした。「その、班長も、誘ってくれると……」
 ぼそぼそと小声で言う。
「なんだよ。自分で誘えばいいだろ」
「──あ、や、でも、俺じゃちょっと──けど、兄ぃだったら班長も、行くっていうかもしんねえし」
 セレスタンは小首をかしげて怪訝そうに眺めている。
 ジョエルはためらい顔で口ごもり、静かな虫の音で満ちている薄暗い廊下の先を見た。「なんか、すっげえ機嫌悪くて。さっきも誘ってみたんすけど……けど、なんも喋ってくんなくて……」
 すっ、と肩が、視界の端を追い越した。
 ふと顔をあげ、目で追えば、暗い廊下に、ぶらぶら歩く禿頭の背。
「……どこに?」
 呆気にとられ、ぽかん、とジョエルは突っ立った。
「いいよ。了解」
 禿頭が肩越しに振りかえる。「行くんだろ? ザイんとこ」
 はた、とジョエルは我に返った。
「あっ──なら、俺もっ!」
 ぶらぶら歩き出した背中を追う。
 蒼い月光を左肩に浴び、禿頭は廊下を歩いていく。今日ザイがいる部屋は、廊下の端から三番目。
 ややあって辿りつき、すっ、とセレスタンは扉をあける。
 目端で捉えたその動きに、え? とジョエルは面食らった。足さえ止めない流れるような身のこなし。扉をあけたことにさえ気づかなかった。物音一つ、彼はたてない。いや、問題なのは、
 ──ノックもしないで? 
 はっとそちらを振り向いた時には、セレスタンの姿は既にない。
(──ちょ!? まずいすよ!)
 小声でたしなめ、あわててジョエルは後を追う。それでなくてもザイは今日、ひどく機嫌が悪いのだ。うろたえ、続いて部屋に飛びこみ、
 戸口で息を飲み、棒立ちになった。
 部屋の奥の真正面、窓辺の寝台で足を投げ、ザイは雑誌を眺めていた。セレスタンは既にそこに、、、いる。
 ──速い。
 入って二秒も経っていない。窓まで、少なくとも十歩の距離だ。しかも──
 ひらいた戸口に立ちつくし、ジョエルはひとり困惑する。あわてて室内を見やった視界に、異様な光景が飛びこんだからだ。
 それは、一瞬の出来事だった。
 雑誌を見ていた、ザイの反応が刹那遅れた。
 肩が突き飛ばされたその直後、前のめりに突っ伏した背に、セレスタンが乗りかかった。ザイの背中に膝を乗せ、利き腕を後ろ手にしてねじ上げて。もしも、あのセレスタンの手が、既に刃を抜いていたら。
 ぞくり、と背中が凍りついた。第一級の暗殺者──彼の呼び名は伊達ではない。
 幸い、その手に刃はない。遅まきながらそれを見てとり、はた、とようやく我に返る。
「──ちょ!? 兄ぃ、何してんすか!?」
 ジョエルは憤然と目をむいた。だが、セレスタンはザイをねじ伏せたまま、戸口の方を見ようともしない。
 はらはら見まわし、ジョエルは気を揉む。なぜ、こんなことになっている? 玄関口で会った時、セレスタンは怒っていたろうか。いや、そんな素振りは全くなかった。ならば、ふざけているだけか? だが、冗談にしては、これはいささか過激で剣呑──。
 ためらい、廊下を振りかえる。この二人がやり合えば、自分では到底収められない。彼らは特務の双璧だ。止めに入れるはずもない。助けを呼びに行くべきか──
 廊下と室内を交互に見やって、足が一歩も動けない。人を呼ぶか、判断に迷った。セレスタンは昨日問題を起こして九死に一生を得たばかり。それが昨日の今日とは間が悪い。
 そして、おそらくセレスタンには、ザイを害する意図はない。あるなら、とうに成し遂げている。ザイの腕をねじ上げた時点で。ここで騒ぎ立てたりすれば、話が必要以上に大きくなる。
「ざまァねえな」
 セレスタンの冷ややかな声がした。
 ザイは顔をしかめているものの、利き腕を取られて動けない。背中に体重をかけられて、払いのけることも叶わない。
「何をぼさっとしてるんだ。そんなんだから、素人に背後をとられるんだ」
 素早く反転、ザイが拘束をすりぬけた。
 すぐさま体勢を立て直し、鋭く顔を振りあげる。
「なにしやがる、てめえ!」
 自分で手をゆるめたのだろう、セレスタンは飛んできた手を難なく避け、腕をくんで見おろした。「お前、あのに何をした」
「は。何って別に」
「とぼけるな」
 ザイは苦々しげに嘆息する。「──関係ねえだろ、てめえには」
「今日のところは、ぶん殴らねえでおいてやる」
 あ? と胡乱に、セレスタンをすがめ見た。
 ひねられた腕をザイはさすり、舌打ちして目をそらす。「──なに言ってんだか、死に損ないが。まんまと助かったと思って、調子くれてんじゃねえぞハゲ。用がねえなら、とっとと失せろ」
「用は、ある」
 右手の壁に肩でもたれて、セレスタンは懐から何かを出した。
 指先ではさんでいるのは、夜目にも白い、紙のようなもの。
「お前に、届け物、、、だ」
 
 

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