CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 9話5
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 茂みの向こうにズラリと並ばれ、エレーンは涙目で後ずさる。
( もうっ! なんで、あたしばっかり、こんな目に! )
 自慢じゃないが、一度や二度の事ではない。慣れたくもないが慣れてきた。もっとも昨日の標的は、自分ではなくクリスだったが。
 賊に追われてあくせく逃げつつ、クリスはしきりに首をひねっていた。心当たりなどなさそうに。もっとも、そんなの、こっちにだってないが。
「どこ見てんだコラ!」
 荒っぽい恫喝に我に返った。エレーンは向かいを慌てて見返す。一列の中央に立った親玉らしき中年の男が剣呑に唾を吐き捨てた。
「おう! よくも、この前は逃げてくれたな!」
 とっさに曖昧に引きつり笑い、エレーンは「……こ、この前〜?」とたじろいだ。言われてまじまじ見返すが、どの顔もボコボコに腫れていて、元のご面相さえよく分からない。てか誰。
 そうだ。そもそも誰なのだ。向かいの男達は何故だか全員あざだらけ、皆が皆ということは、ここへ向かう道すがら、乗り合い馬車が運悪く横転でもしたんだろうか。ともあれ、そういう無様な有様だからか、こいつら何気にヘボい気がする。こう言っちゃなんだが、見てくれは大事。それに、こうもしょっちゅう襲われてると、どの程度の手合いであるか一目で格付けできてしまう。
 一様にボロボロな外見だ。( やっぱ日頃の行いが悪いと、バチとか当たっちゃうってヤツ〜? いやマジでご愁傷様〜 )と眺める視線に哀れみさえこもる。いい年こいて馬鹿な真似ばっかしているからだ真面目に働け揃いも揃って。
 左端の小太りが口端ひん曲げ、舌舐めずりで隣に笑った。「──やっぱり、あの女、、、は鼻が利く。後をつけたら案の定じゃねえかよ」
 エレーンは、はあ? と眉根を寄せる。あの女って誰。
 下草を踏み分ける音がした。賊と対峙した左手だ。藪を掻き分け、ガサガサこちらにやって来る。
「──たく、勝手にどこへ行きやがる!」
 舌打ちでぼやく声がした。と思ったら、藪から顔が、ぬっ、と出た。かったるそうに眉をひそめ、肩紐掴んだポシェットを片手でぷらぷらさせている。そして、こちらの顔を認めた途端、
「おい、ケツ拭くチリ紙忘れてんぞ。小便行くなら、なんで俺を起こさねえ。ウロチョロするなとあんなに口を酸っぱくして──」
 眉を吊り上げ、ズカズカ踏み込み、お? とファレスが足を止めた。惰性でなおざりに一瞥した目をパチクリ瞬き、居並ぶ一同に目を返す。ひょい、と向かいを指さした。
「何してんだ。知り合いか?」
 今にも飛び掛りそうな前傾姿勢が、仲良く語らっているように見えるのか!?
 一列に居並ぶ男達の顔を、ファレスは踏ん反り返って ( んんん……? )と見た。何故だか向かいも同じ反応。両者の間に微妙な沈黙が立ち込める。そして、氷結してから三秒後、
「あーっ! あん時の吊り目野郎っ!」
 賊が一斉に殺気立った。顔面を朱に染め、どやしつけ、ファレスに指を突きつけている。えらい剣幕だ。もっとも、皆が一度に喚いているから何を言っているのか定かじゃないが……。ファレスは端からげんなり見やって、かったるそうに舌打ちした。「──懲りねえな。また来たのかよ」
 また? とエレーンは瞬いた。面識があるらしい。どころか、恨みがましい賊らの視線と異様に過剰な反応からして、野良猫のヤツ、どうも、なんかしたらしい。しかも、結構ひどいことを。
 親玉らしき中年の賊が眦(まなじり)吊り上げ、唾を飛ばした。
「ここで会ったが百年目! あれから陸に上がるまで、どんだけ泳いだと思ってんだコラ!」
 ……て、いったい彼らに何をしたのだ?
 つくづく相手を見返すが、顔がデコボコ変形してるこんな奴らはやっぱり知らない。いや、親玉らしき中年の、縦に長い馬面だけは、何とはなしに見覚えが──? 視界上方の即席再生領域に、最近追加されたとある記憶がむくむく急速に蘇る。ああっ、とエレーンは見返した。
( あんの馬面オヤジ、アドの腕をよくも〜っ! )
 " ここで会ったが百年目 " とはこっちの台詞だ。そうだ、忘れもしないあの時の! 顔に見覚えがなかったのは、あの時は覆面をしていたからだ。樹海を散歩中に襲ってきて、アドルファスが飛び込んでかばってくれて、( 使えない )ジャックが横から湧いて、ウォードがボコボコにしたあの輩だ。因みに、あの場にいなかったファレスに対して、どうしてこうまで憎悪するのか不明だが。
 前回は短剣のみだったが、今日は棍棒まで持っている。ウォードにぶちのめされた時、彼の動きがあまりに速くて全然届かなかったもんだから、彼らなりに学習し、短刀よりもリーチの長い別の武器も用意したらしい。てか、しつこい。
 むかむかしながら見ていると、ファレスが溜息で足を踏み替え、一応という感じで顎をしゃくった。「誰に頼まれた。どこの貴族の回しもんだ」
「……はあァ〜? 何の話だよ、そりゃ」
 ごろつき共はせせら笑った。的外れな反応だったらしく、ファレスは怪訝そうに眉をひそめる。一同が小馬鹿にしたように一頻り囃すと、不敵に笑って馬面が凄んだ。「何の話か知らねえが、用があるのはお宝だ。──おい女! 今日こそ、きっちり出してもらうぜ!」
「 " お宝 " だ?」
 きょとん、とファレスは訊き返し、胡散臭そうに振り向いた。「おい。どういうこった、そりゃ」
「……さ、さあ?」
 おいコラなんだコラ、と平気でよそ見をする野良猫を( こら!? 前見ろ前! )と内心驚愕でどつきつつ、エレーンは曖昧な笑みで首を傾げる。左手の指輪はさりげなく視界から隠しつつ。馬面の苦笑いが割り込んだ。
「とぼけてもらっちゃ困るな兄ちゃん。コチトラわざわざ出直して来てんだ。おうよ。ちゃあんと聞き直して来たんだ。奇跡が起きたって話をよ!」
 ふと、ファレスが振り向いた。「奇跡?」
「軍とクレストが一戦交えたってあの話さ」
「──ああ、先だってのな」
 一応同意はするものの、ファレスはますます理解不能な顔。又も「──おい、」と振り向いた。「お前、知ってるか」
 普通に会話しているその顔は、普段と何ら変わらない。ごろつき共はニヒルに笑って不敵に凄みを利かせているのに、まるで無頓着な通常モード。なんて協調性のないヤツだ。ああ、力抜ける……。
 噛み付きそうな賊を見やって内心そわそわ苛々しつつも、エレーンは「……さあ」と引きつり笑った。奇跡だなんて華々しい話はついぞ聞かない。賊はどうやら辛くも勝利した過日の戦のことを言っているらしいが、どこでどう間違うと、あのボロっボロの防衛戦がそんなお伽話に変身するのだ?──てか、いつまでのんびり話しているのだ! 事態が本当に見えてるか? 棍棒持った怪しい輩が今にも殴りかかってきそうだというのに! 不甲斐ない野良猫に向かい「──あんたねー!」と堪りかねて踏み出す。
「──わっ!?」
 突如ぐいと引っ張られ、後ろ向きにたたらを踏んだ。胴を手荒く引っ抱えられ仲間の元まで引っ立てられて、エレーンは慌てて遮二無二足掻く。馬面はこちらのことなど見もせずに、唾を飛ばしてファレスに凄んだ。
「おい、てめえ、動くんじゃねえぞ!」
 ピクリとファレスが眉をひそめた。組んでいた腕をゆっくり解き、威圧する馬面に向き直る。エレーンは必死で手を伸ばした。「お、女男っ! たすけ──」
「お前ら、そいつをどうするつもりだ」
 ファレスは馬面に目を向ける。馬面は残忍に頬を歪めた。「決まってんだろ。お宝さえ取り上げたら、後腐れなく口を封じる、それで終いさ」
「そりゃ助かる」
「……え゛?」
 一同、あんぐり引きつった。予期せぬ事態に口を開けて唖然。
「聞こえなかったか。好きにしろと言ったんだ」
 ファレスはケロッとした顔つきだ。かったるそうに頭を掻いた。「実際このアマにはホトホト手ぇ焼いてたんだよな。ま、煮るなり焼くなり、どうとでもしろや」
「──ちょっ!? あんた、なに言ってんの〜っ!」
 人質という己の立場は怒りのあまりに忘却の彼方。その場でドスドス地団駄踏んで、エレーンは眦(まなじり)吊り上げた。
「ちょっとお女男! どーゆーことよっ! あたしがこんな危機一髪なのにっ!」
 そういう態度をとるか普通。ファレスは、ぷい、と知らん振り。いや、チラと一瞥、返事はした。「別に?」
「信じらんないっ! 冷血漢っ! か弱い女性を見捨てるなんてっ!」
「か弱い〜? はっ、誰のこった」
 ファレスは手を振り、カラカラ笑う。「よっく言うぜ、じゃじゃ馬が。冗談は休み休み言えってんだ。そもそも俺よりてめえのが、よっっっぽど逞しいって話じゃねえかよ」
「ぁあんですってえ! 薄情だ薄情だと思っていたけど、そこまで薄情とは知らなかったわ!」
「うっせえ。てめえはすっこんでろ」
 ファレスは煩わしそうに一蹴し、ポケットに突っ込んだ手をさえ出さない。むしろ舌でも出しそうな勢いだ。背後のごろつき集団も、突如始まった罵り合いに、ぽかん、と呆気に取られている。エレーンはギロリと振り向いた。「──あんた達もあんた達よっ!」
 己を指さし、賊らはたじろぐ。
「強請る相手を間違ってるわよ!」
 ファレスを指さし、エレーンは吠える。「そーよ! あんな冷血漢に何言ったって無駄なのよ! どうせ交渉するんなら、もっとまともなヤツにしなさいよ!」
 人差し指をぶんぶん振って、迂闊な人選を厳重抗議。
 あらぬ事態に、賊らは呆気にとられている。そう、味方同士の筈である。なのに今や険悪に顎を突き出し 「こっち来なさいよ卑怯者っ!」「あ? やんのかコラ。ちんちくりんがコラ!」と幼稚に罵り合っている……。つけつけ言い合う応酬を、賊らは交互に見ていたが、はっ、と馬面が正気に戻った。哀れみを込めた苦笑いで顎をしゃくる。「よせよせ兄ちゃん。そんな下手なはったりはよ。仲間割れと見せかけて、実は油断させようって肚だ。姑息な茶番はよすんだな。さもなきゃこの女、この場でバラしてやってもいいんだぞ」
 はっ、と一同が我に返った。各々強面を取り戻す。顎を突き出し凄んでいたファレスが「あ?」と面倒そうに振り向いた。そして、
「だから好きにしろって」
 うんにゃ、と首を横に振り、長髪揺らして、うむ、と頷く。「俺は全っ然、構わない」
「──女男ぉ〜っ!」
 エレーンはもちろん、ぶち切れた。ジタバタ暴れキーキー地団駄。戸惑い気味に見交わした一人が胡散臭げに念押しした。「なら、もらっていくぞ。いいんだな」
「但し」
 おもむろにファレスが遮った。居並ぶ賊に端から順に目を向ける。「こんなもんでも一応他所からの預かり物でな。みすみす持っていかれたとあっちゃあ、こっちの顔は丸潰れだ」
 ギロリと賊を睨めつけた。
「落とし前はつけさせてもらうぜ」
 場が一斉に色めき立った。もっとも挑発されたのは、賊ばかりでもなかったが。
「何それっ! つまりは あんたの都合 じゃないぃっ!」
 絶対届かないと知りつつもファレスにじたばた蹴りを入れ、手足を振り回してきいきい暴れる。賊は押し込めるべくおおわらわ。当のファレスは一顧だにしない。
「いいぜ、わかった。コイツをお前らが始末して、そのお前らをこっちの方で始末する。それなら、こっちの顔も立ち、煩せえじゃじゃ馬も厄介払いできる。こっちとしちゃあ一石二鳥だ」
 賊のみを見やってクツクツ笑う。「しかし、安く見られたもんだぜ。こんな雑魚風情に吹っかけられるとはな。さてと、どう料理したものか」
 算段するように眺め回す。
「一族郎党引きずり出して根絶やしにでもしてやるか。無論、女子供も容赦はしない。拷問した後、炎の中にでも投げ込んでやるか。それとも串刺しにして吊るし上げてやろうか。ああそれとも、煮えたぎった湯ん中に頭の先から突っ込んで欲しいか」
 陰惨な目論見を挙げられて、賊は面食らってたじろいだ。慌てて隣と目配せする。馬面が気を取り直して、せせら笑った。「そいつはいい。やってみろよ。そんな細っこい兄ちゃんに何が出来るかお慰みだ。女みたいな面しやがってよ」
「そうか、わかった」
 ファレスはゆっくり腕を組んだ。居並ぶ賊を端から眺めて、値踏みするように目を細める。「本当にやるぜ。脅しじゃない」
 一同たじろぎ、ジリ、と僅かに後ずさった。左端の小太りがゴクリと唾を呑み込んで、隣の肘をそっと突付く。「──なあ、おい。まさか、な」
 笑って平静を装うも、分厚い頬が引きつっている。同意を求められた隣の男は、己の士気を鼓舞するように慌てて何度も頷いた。「お、おうよ! イカレてら。そんな事して喜ぶヤツがどこの世界にいるって──」
「そーよ! 本当―にやるヤツよっ!」
 内輪の話に割って入られ、一同「んんん? 」と中央の人質を振り返る。向かいの三白眼をビシッと指さし、エレーンはぷりぷり糾弾した。
「意地悪そうなあの顔見りゃあ分かるでしょーが! そんなの、あいつには朝飯前よ! ついこないだだって、何百人もいっぺんに誰彼構わず吹っ飛ばしてきた根っからの悪党なんだからあっ!」
 賊らは( え゛え゛え゛──!? )とたじろいだ。
「……な、何百人も?……吹っ飛ばして……?」
 膨れっ面を唖然と見、愕然と顔を見合わせる。顔から血の気が一気に引いた。(……それじゃあ、こいつが例の話の…… )とコソコソ向かいを盗み見る。及び腰のこの様子。ノースカレリアでの一件をどうやら知っているようだ。奇跡の話を入手した折、軍兵大量爆死の情報も併せて仕入れていたらしい。
「どうした。早くバラしてみせろよ」
 顎先でぞんざいに促され、ビクリと賊は震え上がった。向かいのファレスと人質に交互に忙しなく目を向ける。
「──たく、ザマアねえな、情けねえ」
 ファレスがぶらぶら踏み出した。「そういう事なら返してもらうぜ。──おう、退けコラ。命が惜しけりゃ離れてろ」
 かったるそうな一瞥で、賊は弾かれたようにビクリと飛び退く。ファレスは見向きもせずに直進し、硬直していた馬面から、ぞんざいに人質をもぎ取った。「たく、手間かけさせやがって結局はこれかよ。他人の縄張りに手ぇ出す気なら、覚悟を決めてからかかって来いや」
 存分に脅して睥睨し、ギロリと三白眼が振り向いた。「──たく、ど阿呆のド間抜けが!」
 忌々しげな舌打ちで、ぞんざいこの上なく腕を引っ張る。
「来い! 勝手にウロチョロ消えたかと思や、こんなコソ泥風情に捕まっていやがってよ!」
 野良猫の態度は普段も十分ぞんざいなのだが、それより更に強引だ。エレーンは、むかっと顔を上げた。
「間抜けってなによ間抜けってえ! なんか他に言いようはないわけえ! せめて優しく労わるとかさあ、大丈夫かって気遣うとかさあ!」
 けっとファレスはそっぽを向いた。「贅沢言うな洗濯板が。おめえなんぞ、こんなもんで十分だ」
 エレーンはぴくりと反応した。握った拳がぷるぷる震える。無礼な態度にキレたのではない。こいつが無礼なのは初めからだ。そうだ、そんな瑣末な枝葉より、ゆめ言ってはならぬ由々しき禁句が今の発言には混じっている。露気づかぬ鈍感ファレスは、さっさとキャンプ方向に踵を返した。「おう、行くぞ、あんぽんたん」
「……言ったわねえ!」
 ギロリと下から不穏に見やって、鋭く片手を振り抜いた。ばっちん、と響き渡る小気味良い平手。
「──なっ、何しやがる! このアマ!」
 長髪広げて仰け反ったファレスが、張られた頬をとっさに押さえ、驚愕の顔で振り向いた。エレーンは拳固を握って食ってかかる。
「洗濯板って何よ! 洗濯板ってえ!」
「……あァ?」とファレスが見返した。面食らった胸倉掴み上げ、ぶら下がりつつも吊るし上げる。身長差があるから迫力に欠けるが、仕様なのでそっちはやむなし。
 周囲が素早く目配せした。片足を引いて身を屈める。五人が一斉に地を蹴った。
「──もらった!」
 はっ、と慌てて振り向いた刹那、何かが素早く視界を掠める。認識する暇もなく、横合いから何かがぶつかってきた。勢いに押されて地を転がり、視界が激しく反転する。
「……な、なに」
 肩を強かに打ちつけて、痛みにうめいて顔を上げた。目の前には固い地面、次に視界に映ったものは、空を覆い尽くすほどの野草の葉先。
 草むらに転がっていた。垂直に切り立つ野草の先で、ファレスが肘を突いて起き上がろうとしている。肩を滑り落ちた長髪が俯いた横顔を覆っている。賊に突き飛ばされでもしたのだろうか。いや、それにしては何かが変だ。短気で凶暴な野良猫にそんな真似をしようものなら、すぐにも怒り狂って飛びかかって行きそうなものだが──。如何にも様子がおかしかった。ファレスの動きがいやに鈍い。横顔を覆う髪の狭間に、異変の理由わけをようやく見つけ、ギクリと全身が凍り付いた。
「女男っ! 怪我したのっ!?」
 すぐさま地を蹴り駆け寄った。俯いた横顔のこめかみから鮮血が滴り落ちていた。額の傷が痛むのか、ファレスは忌々しげな舌打ちで、眉を堪えるようにひそめている。賊が殺到したあの時に一緒に転げたというのなら、ファレスがこちらを引っ抱え、横っ飛びに転がったのか。
「なあんだ、まだ立てるのかよ」
 肩越しの嘲りに、ギクリと体が強張った。見れば、賊がニヤニヤ、手に手に棍棒を弄び、ゆっくり包囲を狭めてきている。
「あの近距離でかわすとはな。中々すばしっこいじゃねえかよ。大口叩いただけのことはあるな、兄ちゃんよ」
 馬面が弄ぶ棍棒に赤い血糊がついている。ならば、あれで頭を横殴りにしたというのか──。力任せの棍棒にファレスが弾かれる光景が脳裏にまざまざと浮かび上がり、頭に一気に血が上る。息を呑んでファレスを見つめ、憤然と賊を振り向いた。
「なんてことすんのよ、あんたたちっ!」
 蹲ったままのファレスの肩に、覆い被さり両手でかばう。「それ以上こっち来たら、ただじゃおかないんだからっ!」
 無内容な上に声が情けなく引きつるが、緊急事態だそこはやむなし。ファレスが眉をひそめて片手を挙げ、煩そうに押し退けた。「離れろ。──騒ぐな。大したことねえ。それより、お前はすぐに戻れ」
「できる訳ないでしょー、そんなこと! あんた、自分の状態わかってんのっ!」
 流血の横顔に目を瞠り、腹立たしい思いで叫び返す。こんな怪我を負ってまで、つまらぬ意地を張ろうというのか!
「悪いが、女は貰っていくぜ。色々訊きたい事があるからよ」
 声が冷やかし混じりに割り込んだ。あの憎たらしい馬面だ。ファレスは小首を傾げ、目を眇める。「いい気になるなよ、こそ泥風情が。怪我するくらいじゃ済まなくなるぜ」
「負け犬の遠吠えかよ。精々そこで吠えていな」
 馬面はせせら笑った。睨めつける端整な横顔を鮮血が滴り落ちていく。賊はへらへら笑って眺めている。賊が各々、手にした棍棒を構え直した。「さてと、兄ちゃん。さんざっぱらぶん殴ってくれた恨み、精々ここで晴らさせてもらうぜ」
「──おい、走れ」
 馬面を睨み据えたまま、ファレスはゆっくり膝を立てる。驚いて首を横に振ると、苛立ったように一瞥した。「走れ! 早く!」
 ──向かって行く気だ。
 賊とファレスの横顔を、エレーンはおろおろ見比べた。「……そっ、そんなの行ける訳ないでしょう。頭からそんな血ぃ流して、あんた一人で、それに向こうはあんなに大勢──」
「俺のことは、いい」
「なによ! あたしはあんたのことを心配して」
「──だからっ!」
 ファレスが眦(まなじり)吊り上げた。「その俺がいいってんだから、素直にさっさとズラかれよ! めんどくせー女だなっ!」
「はあっ!? めんどくさいって何よっ!」
 今の暴言、聞き捨てならん!
「何をしている」
 静かな声が割り込んだ。訝しげに賊が振り向く。包囲の向こうで、声の主が藪を掻き分け現れた。足さえ止めずに淡々とこちらを見回している。
「──なんだよ、又かよ」
 棍棒を弄んでいた馬面が気を削がれて舌打ちし、煩わしげに向き直る。「ああ、やんのかよ、兄ちゃん」
 風が動いた。忽然と消えた相手を捜して、賊がきょろきょろ見回している。相手は既に踏み込んでいた。抜いた刃先を地に向けて、低く身を屈めている。
「──おい、ケネル!」
 ファレスが鋭く制止した。ケネルは一瞥、忌々しげに舌打ちし、短刀を素早く持ち替えた。賊の鳩尾を刀柄つかで突く。小太りが呻いてくず折れた。
「──野郎っ!」
 仲間をやられ、色めき立った賊が殺到、出し抜けに乱闘が始まった。
 膝をついたまま睨み据えるファレスの背を宥めつつ、エレーンはおろおろ見回した。あれよあれよの急展開だ。群がる賊の人垣で、ケネルが何をしているのかは分からない。だが、棍棒を振り回す喧騒の渦中にケネルの頭が過ぎる度、人垣が吹っ飛び、賊が転がる。五人の賊はすぐにその数を減らし始めた。四人、三人、二人──。もたれかかる肩を片手で掴むと、ケネルは無造作に突き放した。気絶した賊の体が草を鳴らして茂みに沈む。
 地面に賊がのびていた。あれほどの賊を相手にしたのに、ケネルは呼吸一つ乱していない。あっという間の出来事だった。息を呑んだ強張った肩から、ほっと力が抜け落ちる。刹那、視界の端を影が過ぎった。はっと振り向けば、馬面だ。切羽詰った形相で、舌打ちでこっちに駆けてくる。
( 人質にする気だ! )
 避ける間もなく掴みかかった。分厚い掌が目前に迫る。
 首をすくめた顔面に激しい風が吹き付けた。怪訝に思い、固く瞑った目を開けると、馬面の姿が消えている。
 ──どこ!? 
 動転して慌てて捜す。右の茂みで何かが動いた。男が一人横倒しになり、腹を押さえてうめいている。今襲ってきた馬面だ。ファレスがすぐさま跳ね起きた。ごくごく僅かな反動のみで。ツカツカそちらへ歩いていく。頭を振って身を起こしかけていた馬面が、途端、右の幹まで吹っ飛んだ。頭と背中を強かに打ちつけ、ズルズル幹にくず折れる。
「──汚ねえ手で触るな、ゲス野郎」
 ファレスが舌打ちで吐き捨てた。立ちはだかった横顔を、エレーンはへたり込みつつ、ぽかん、と仰いだ。馬面が目の前から掻き消えたのは、ヤツが蹴り飛ばしたせいらしい。ほんの一瞬の出来事で、隣にいてさえ分からぬくらいにその動きは素早かったが──いや、そんな事ができるんだったら、なんで、さっきは避けなかったのだ? お陰で額からはドクドク流血。なんか色々凄んでいたが、格好つけてて気づかなかったのか?
( ……しょうもない )と額を押さえ脱力の溜息で見ていると、カクリ、とファレスが膝をついた。眉をひそめて額の傷を押さえている。はっ、と現実に引き戻された。あんな棍棒で横殴りにされたのだ。しかも場所は、
 頭だ!
「──女男っ!」
 真っ青になって駆け寄った。頭をぱっくり割られたら、馬鹿になるどころの騒ぎじゃない! だが、腰が抜けてて立てないので、あたふた膝歩きでスカートを踏ん付け、つんのめりそうになりつつ前進。蹲った背に覆い被さり、うつ伏せた長髪を涙目で揺すった。「いやあ! 死なないで! 死なないで女男っ!」
「やめろ、縁起でもねえ!」
 ギッ、とファレスが跳ね起きた。元気なようだ。
 いきなり暴れたもんだから、クラッときただけらしい。かったるそうに嘆息し、地べたに脚を無造作に投げ出す。「──たく、俺が連中をびびらせてる内に、なんで、とっととズラからねえ。いつまでもガタガタくっ喋りやがってよ」
 ぶちぶち文句を垂れている。いつもの苦虫噛み潰した顔で。てか、額からだらだら血ィ流しながら三白眼で睨むな恐いぞ。
 ファレスの切れた額からは、言ってる傍からどくどく流血。だが、そういう態度に出られると、憎まれ口の一つも叩きたくなる。ぶんむくれて腕を組み、エレーンはしらっと一瞥した。「なによー、案外弱っちいのね。あーんな大見得きっといて、顔とか簡単にぶたれてさあ」
 ギロリとファレスが睨め付けた。
おめえが邪魔で避けられなかったんだよっ!
 やっぱり、たいそう元気なようだ。
 
 
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 )  web拍手
■ SIDE STORY ■



オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》