CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 12話2
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 ファレスに首根っこ掴まれて、エレーンはハジの店へとしょっ引かれた。「だあってえ! あのハゲちゃびんがさあっ!」 だの 「あたしは絶対悪くない!」 だの 「ねえー! ちゃんと聞いてるぅ?」 だの不平不満をてんこ盛り。追い立てられて階段を上がり、引っ立てられて廊下を歩き、拳固を食らった頭をさすって、ファレスに続いて部屋へと入る。ぶつぶつ長髪に振り向いて、びくり、とエレーンはすくみ上がった。
 窓を開け放った大部屋の窓辺で、見知らぬ男達がたむろしていた。五人ほどもいるだろうか。年の頃合はバラバラだが、皆、町でよく見る軽装だ。話をふと中断し、一斉に目を向けてくる。
「な、なにか……」
 視線の鋭さにたじろぎつつも、エレーンは曖昧に笑って、前の背中にそそくさ隠れた。長髪の腕に両手でシッカとしがみ付き、横からコソッと様子を窺う。どうしたというのだろう、訝るような険しい視線だ。いっそ敵視と言っていい。ファレスは「──ああ、そうだっけな」と足を止め、ぶっきらぼうに振り向いた。「大丈夫だ。ありゃあ、トリシだ」
「トリシってなに」
 引き続きガッチリしがみつきつつ、エレーンは眉根を寄せてちんぷんかんぷん。「大丈夫だ」とは言うものの、安心できる要素がない。一方ファレスは、ただの一言の質問で、既にたいそう煩わしげ。
「あー……《 バード 》の興行なんかで虎だの熊だの猛獣を使う連中がいるだろ。で、奴らのモノは鳥だから "鳥師" っつー話で──あー、要するに玉乗りピエロの一派ってこったな。まあ、妙な輩じゃねえからよ」
 以上、とぱかりに、ぞんざいに打ち切る。詳しく説明するのが面倒になったらしい。エレーンは不満たらたら顔を見る。名前の由来なんかより、何故に彼らがここにいるのか、そっちが知りたい訳である。
 僅か首を傾げて説明していた長髪が動いて、ファレスが構わず踏み込んだ。ぎょっ、と追い縋るも既に遅く、「──ああ、気にすんな。ヤバい奴じゃねえからよ」と今度は男達に声をかけ、すたすた先に行ってしまう。エレーンは取り残されて固まった。隠れ蓑が突如消失、不審げな視線にさらされる。
「──ねえ、ちょっと──ねえっ!」
 盾が勝手に消えちまい、あたふたおろおろ立ち尽くす。自分は知り合いだからいいんだろうが、こっちはまるっきり初対面なのだ。もっとまともに引き合わせんかい。てか "ヤバい奴"て何!?
 気楽なその背と窓辺の彼らを、おどおどしながら交互に見やる。鈍感で大雑把なケネルに比べ、野良猫はわりと細かいところに気がつくが、そういう気は回らないらしい。──いや、待てよ。そういえば、と由々しき事態をも思い出した。そう、あの草原での同行者にさえ、
 ……未だに紹介されていなかった。
 遅まきながら、ガックリへこむ。なんかもう人間並みに扱われてない。しかし、ここで気落ちしていても始まらない。
「……お、お邪魔しまあす」
 えへへと無駄なお愛想笑いで、エレーンは、そそそ……と踏み込んだ。視線はやはり、じろじろ不躾に追ってくる。気まずいことこの上ない。感じが悪くてムカつくが、しかし、孤立無援では追従もやむなし。廊下にずっと一人で立っている訳にもいかないし──。なるべく注意を引かぬよう小さくなってコソコソ続く。
( つまり、あの人達もケネルの仲間、ってことでいいのよね? )
 それにしては、今まで知り合ったどのタイプとも違う。ケネル達のように物騒ではないし、ローイ達のように鍛えていなさそうだし、羊飼いの人達のように肉体労働者風というのでもない。彼らには逞しさも締まりもまるでない。軽装ということもあるのだろうが、どこにでもいる小市民の態、ごくごく普通に緩い、、感じだ。もっとも、体裁は市民のそれと同じでも、明確に異なる差異もある。抜け目ない顔つきと佇まい。ただの市民とはどことなく違う。彼らの眼光は射抜くように鋭い。
 さりげなく観察していた横目の端を、ファレスは無責任にも、さっさと窓辺へ歩いていく。片頬ひくつかせ、エレーンは拳をぐぐっと握る。
( ちょっとは気ぃ使ったらどうなのよ。あんたが連れてきたんでしょーが! )
 ギリギリ毒づき、( もう! 使えないんだから! )と振り返る。ぎょっ、と息を呑んで足を止めた。今度は"鳥師"に対してではない。窓の外の大木だ。鳥が何羽も留まっていた。大型の黒い鳥。
( ……か、からす? )
 いや、ただの鴉ではない。単に野鳥というには鋭い相貌。光沢のある滑らかな黒翼が青みがかって艶やかだ。あんなもの、さっきまではいなかったのに。
 それは異様な光景だった。一本の庭木の枝葉の中に、大きな黒い塊が幾つもじっと身を潜めている。黒光りの羽毛に黒い嘴。それらがうごめき、金の眼(まなこ)が一斉に見た。幾つもの猛禽の目が射抜くように凝視する。
 ガア、と一声ドスの利いた声、ばさり、と左で黒翼を広げた。他の四羽もそれにつられて、ばさばさ大きく羽ばたき始める。俄かに騒がしくなった中庭の大木。鳥達が飛び立とうとしている──そう気づいたその刹那、左の枝が踏み切った。広げた黒翼で空を掻き、ばさり、と大鴉が舞い上がる。エレーンは目を見開いた。だって、自分目掛けて、
 ──突っ込んでくる!
 窓辺でたむろす"鳥師"達が腰を浮かせて目を瞠った。かったるそうに振り向いたファレスが、驚いて身構え、払い除ける。一瞬、鳥の動きが速かった。
 慌てて突き伸ばした妨害の手を、大鴉は軽々掻い潜った。天井に向けて、すい、と逃れ、そこでゆったり旋回している。暴走の意図が皆目分からず誰もが唖然と見守る中、鳥はおもむろに急降下した。エレーンは目を見開いた。迷いもなく突っ込んでくる。誰の干渉も許すことなく。みるみる迫る鋭い嘴──。
「きゃあ!」
 とっさに固く目を瞑り、頭を抱えてしゃがみ込む。バサリ、と耳元で大きな羽ばたき。無造作に踏み替える軽い体重、がっしり食い込む硬い鉤爪。左の肩だ。顔の真横でうごめく気配。
 恐る恐る目を開けると、羽毛の黒胸と鋭い嘴が目に入った。腹をつけて留まっている。攻撃するでも突付くでもない。一同呆然と見守る中で、鳥達は次々滑らかに窓から入ってくる。
 エレーンはぎょっと身構えた。たじろいで持ち上げた左腕に一羽、それに遅れてもう一羽、更には、空いた肩に、頭の上に、とばたばた羽ばたきながら留まっていく。バランスをとるべく、それぞれバサバサやっている。やがて、居場所を定めた鳥達は、よいしょ、とばかりに羽毛の腹で座り込み、己の毛づくろいを悠然と始めた。
「……あのね、あんた達ね」
 エレーンはあんぐり見返した。瞬く間に鳥だらけ。すっかり占拠されている。頭に一羽、左右の肩に一羽ずつ、そして、左の腕にはなんと二羽──二の腕に一羽と、手首近くにもう一羽。都合五羽の止り木にされてしまっている。寛いでいるらしい鳥を見て、"鳥師"が顔を見合わせた。
「……あんた、いったい何者だい」
 エレーンは「……ええ、まあ」と曖昧に笑って首を傾げる。鳥達の異変について知りたいとの仰せだろうが、生憎とんと見当もつかない。てか知る訳ない。そういや森でも小動物に人気だが、この熱烈歓迎ぶりは更に彼らの上をいく。頭を突付く奴がいるのは、こっちの毛づくろいまでしてくれているつもりなのか? 
 勝手に仲間と見なしたらしい。いささか困って( ねーどうしようー )とファレスを見れば、あんぐり口を開けて突っ立っていた。たぶん思考が停止している。肝心な時に使えない奴だ。
 ともあれ、大きな鳥にこんなにあちこち集られると、ただ留まっているだけでも結構重たい。それに、ガッシリ掴んだ鉤爪が痛い。あちこち向いている素知らぬ顔に「……ねー、そろそろどいて欲しいんですけどー」と文句をつけつつ、腕やら肩やらの鳥を見る。頭が動いたものだから、頭の一羽が髪を掴んで迷惑そうに羽ばたいた。鳥達はまるで無邪気な様子だ。そんなものを振り払うのも意地悪するようで気が引ける。しかし、これでは身動きが取れない。なにせ、ほんのちょっと動いただけで、バサバサ大仰に羽ばたいて " たいそう迷惑である " とアピールしてくれるのだ……。
 窓辺の一人が口笛を吹いた。最初に留まった左肩の鳥が、ぴくり、と素早く嘴を上げた。軽い重みが強く踏み切り、艶やかな黒翼を大きく広げる。すい、と滑らかに宙を滑った。口笛の男へと飛んで行く。一羽がそうして飛び立つと、他の四羽もそれに倣った。窓辺の"鳥師"達はそれぞれの手の甲に鳥を留まらせ、何事か彼らに言い含めている。窓の外へ手を放つと、大鴉は素直に従い、それぞれ元の枝へと飛んで行った。
 "鳥師"達が呆気に取られて振り向いた。何か言いたげな面持ちだ。敵視と言えるほどに鋭かった視線がずっと和らいだように思うのは、あの複雑そうな表情のせいだろうか。ファレスがゆっくり腕を組み、胡散臭そうに顔を見た。
「どーなってんだ、おめえ」
 むっ、と見上げて、エレーンは口を尖らせた。「知るわけないでしょー」
 鳥に言え。鳥どもに。
 土足であちこち踏みにじられて、こっちだって散々なのだ。傾げた頭を両手で払って立ち上がる。ファレスはまじまじ見ていたが、首を傾げ傾げ、踵を返した。部屋を突っ切り、窓の手摺りに腰を下ろす。懐を探って煙草を取り出し、顔を傾け点火した。煙たそうに一服吐きつつ、隅でたむろす"鳥師"に訊く。「クロウはどうした」
 一人が戸惑った顔で頭を掻いた。
「すいません、副長。なんか朝からいないんすよね、あいつ。まったく、どこに行ったんだか」
「──ああ? いねえ?」
 横柄この上ないファレスの態度と敬語の返答から察するに、あの彼らも野良猫の配下であるようだ。
「たく。どこにフケやがった、あの野郎!」
 ファレスはぶつぶつ眉をひそめて、マッチの燃えさしを、ぽい、と捨てる。
「あーっ! ちょっと! あんた、なに捨ててんのよ!」
 エレーンは瞠目で見咎めた。つかつか窓辺に歩み寄り、「だめでしょーが!」と窓の外を指でさす。ファレスは咥え煙草でうざったそうに振り向いた。ふっ、と煙を吐きかける。
「うっせーな、ガタガタ細かいこと抜かしてんじゃねえ。せっかくの煙草が不味くなんじゃねえかよ」
 顔にまともに食らってしまい、エレーンはけほけほ噎せ返った。部下がたくさん見ている手前、いいカッコしたいということらしい。ついては、偉ぶった野良猫に即刻蹴りを入れてやる。涙目で脛を擦った野良猫が「もう、やらない」と言ったので、「よし」と寛大に許してやった。
 手摺りにファレスは脚を組む。その足元で、エレーンはもそもそ膝を抱えた。腰窓の壁に寄りかかり、晴れた空を気鬱に眺める。「……ねー。さっきのアレ、ひどくない?」
 首だけよじって、ファレスを仰ぐ。ファレスは面倒そうに顔をしかめて、外に向けて紫煙を吐いた。「何が」
「だからあー!」
 あの雑貨屋だってば! とエレーンは拳を握って、ぷりぷり憤慨。大人しく行儀良く見ていたのに、いきなり万引き扱いされたのだ。
「なに、あのハゲ親父はぁー!」
 大いに息巻く。ここぞとばかりに。
「まあ、ある意味しょうがねえんだがな、あの親父の態度もさ」
 背後で穏やかな声がした。聞いたことのある落ち着いた声。ふと振り向いた視界の中で、件の相手がぶらぶら気負いなく近付いてきていた。「スリやかっぱらいで金をせしめる連中も、中には確かにいるからさ」
「──あ、さっきは、どうも」
 壮年の男の正体を認めて、エレーンは抱えた膝に頭を下げた。ほっそりした白シャツと肩までの緩いウエーブ。ハジだった。茶色い大振りの紙袋を左の肩に引っ掛けている。「服を見繕ってくる」と別れたが、もう買って来たらしい。ハジはまっすぐ歩いて来ると、その手を無造作に突き出した。エレーンは「……あ、どうも」と一礼で受け取り、がさごそ早速覗き込む。袋の中に見えるのは、折り畳まれた生成りの生地。
 ハジは小首を傾げて見下ろして、隅でたむろす男達に目を向けた。「隣に移れ」と顎の先を軽く動かす。"鳥師"達は顔を見合わせ、だが、文句を言うでもなく腰を上げた。開け放った引き戸から、かったるそうにぞろぞろ出て行く。そつなく踵を返したハジに目線で「来い」と促され、ファレスも「──今、出る」と煙草を消した。
「済んだら呼べ」
 ファレスが手摺りから腰を上げた。ハジに続いて部屋を出ていく。
 男連中が出払って、大部屋は、シン、と静まり返った。一人残されたエレーンは、開け放った窓から隅に移って、わくわくしながら、紙袋に早速手を突っ込む。助言に従い、お召し代え。
「……え、これ?」
 それを取り出し両手で広げて、エレーンは眉根を寄せて固まった。袋の中身はワンピースだった。生成りの膝丈、簡素なデザイン。そう、実にシンプルな作りだ。むしろ、あまりにシンプルすぎる。柄もなけりゃ、襟もボタンもベルトもフリルも、アクセントになるような物が何一つない。まあ、センスがないとまでは言わないが、絶対ろくに選んでない。たぶん店頭の吊るしだろう。服があまりに素気ないので、ハートのネックレスをつけてみた。万引き扱いされた挙句に、流れで買わされた曰く付きのアレだ。まあ、どうせ買う気はあったから、いいっちゃいい、と言えなくもないが。
 雑貨屋の無礼な態度を思い出し、一瞬むかつき、憮然と口を尖らせる。しかし、既に過ぎたことだ。
 気を静め、ボタンを外した服を被って、バンザイするように手を上げる。生成りの生地が、するり、と通過。実にあっさり着替えは終了。意外にも、サイズはぴったりだった。そりゃもう驚くほどに。ハジとかいうあの男、とんでもない目利きらしい。しかし、である。
 エレーンは肩を落として嘆息した。そう、問題なのはそこではない。あの小奇麗なウエーブ優男はまったくちっとも分かってない。自分はあんなに決めてたくせに。そもそも、こういうシンプルすぎる服というのは " びーなす " が着ることを想定しているのだ。スタイル抜群で服なんか元々要らないような。それに引き換え──。
 なんという荷の重さ……と己が姿をつくづく見下ろす。案の定、下まで、すとん、とつんつるてんだ。下手すりゃ路地の子供並み。まったく何故にこんな目に……。敗因はやはり、別れ際に野良猫が余計な注文をつけやがったせいだろうか。"地味なヤツ"とか要らぬ無駄口を叩いていたし。いやいや、この由々しき事態の元凶はやはり、無礼でハゲなあの親父──。はた、とエレーンは瞬いた。ほったらかしのポシェットを( そういえば…… )と取り上げて、手を突っ込んで、がさがさ漁る。
「……あった」
 やっぱりねー、とつくづく瞠目。サイドポケットの忘れ去られた死角の隅に、ぺったり、さりげなく張り付いていた。既にポシェットの一部と化している。以前に取得した身分証。指先で摘めば、ペロリと剥がれた。見るも無残にヨレヨレだ。だが、それでも、ないよりマシだろう。あの理不尽で不愉快な仕打ちを思えば。
 又も思い出してムカつきかけるが、あんな店には二度と行かなきゃ済むことだ。ともあれ、当面の拠り所を見つけ出し、肩が何となく軽くなる。( あたしって、意外と物持ちいいのよね〜 )と己がずさんさに感じ入り、ポシェットの中にもう一度戻す。これでどこへ行こうが大丈夫。誰に文句を言われる筋合いもない。もっとも、本来の用途に立ち返れば、紛うことなく無効だが。
 これにてめでたく一件落着ということで、廊下に出て、お供を探す。ファレスは突き当りの窓を開け、手摺りに腕を置いて喫煙していた。さらりと長い薄茶の髪の輪郭が、窓からの陽光に透けている。
 エレーンは息を呑んで立ち止まった。堀の深い端整な顔立ち。迷いのない鋭い相貌──芯の強さ、揺るぎなさ、筋の通った率直な意思、そうしたものを横顔から感じる。綺麗だと思った。無条件に。
 遠く眺めやる瞳は鋭く、そして、どこか思慮深い。ファレスは無意識に爪先を上げ、向かいの脛を掻いている。そして、喫煙の合間に大あくび。──あ、いや、やっぱ何も考えてない。たく、綺麗な絵なのに、これだから。
 もー、ぶちこわしじゃん……とがっかりしつつ、涙目で大口を開けたところで呼びかける。ファレスは「──おう、行くか」と肩をコキコキしながら振り向いた。揉み消した煙草を無造作に弾く。て、モラルの欠片もないのかおのれには! 
 階段を降り、店を出て、ファレスと共に町に出た。
 さてと、どこに行こうかな、とエレーンは上機嫌で算段した。必需な補充を色々買って、アクセサリーなんかも見に行って、ああ、可愛い帽子なんかも、この際買いたい。群れが南下するにつれ、暑くなってきているし。
「ねー、あの人何者―? ほら、さっき店で助けてくれた、丸い眼鏡かけたウエーブの」
 ファレスはポケットに手を突っ込み、ぶらぶら横を歩いている。振り向きもせずに横顔で応えた。「ハジか。奴が"鳥師"を仕切っている」
「でも、──あの人、カレリア人よね」
 ハジの顔立ちは皆のそれとはどことなく違う。眼光は何気に鋭いが。ファレスは前を眺めたままで「ああ」とぶっきらぼうに肯定した。「もっとも、育ったのは"こっち"だけどな」
 各地を巡業する旅芸人の幌馬車には、子供がしばしば捨てられるのだそうだ。そして、ハジもまた、そうした捨て子の一人だったらしい。ああ、だから──とエレーンは出し抜けに理解する。だから、店の二階を彼らに提供しているのだろうか。気に留めた事もなかったけれど、こうしてみると、彼らの仲間は至る所にいるようだ。
 路地の飯屋から出てきた男が、舗道をぶらぶら横切っていく。ズボンの隠しに手を突っ込み無造作に歩く黒髪の背は、昼下がりの雑踏に紛れて、すぐに見分けがつかなくなる。カラリと晴れた夏の日差し。
 大通りのそこかしこを、人々がそぞろ歩いていた。サンダルを突っかけ店先を冷やかす開襟シャツの中年男。日傘をさしたふくよかな婦人。小奇麗に整えた若い娘の二人連れ。やはり、みんな身奇麗だ。特に、全身隙なく整えたお洒落な彼女らの姿を見ると、何とはなしに焦りを感じる。身形には長いこと構ってなかったが、見苦しい格好をしていないだろうか。何の気なしに顔を捻って、ショーウインドーを覗き込む。硝子に過ぎった己が姿に、エレーンは愕然と固まった。全身の血の気がザッと引く。泡くって連れを振り向いた。
「ちょっと待ってて!」
 ファレスがかったるそうに足を止め、「ああ?」とふてぶてしくガンくれた。構わず、びしっと街路樹を指さす。
「すぐ戻るから、そこにいて! いいわねっ!」
 有無を言わさず言い渡す。犬ではないが「待て」を厳命、髪切りサロンに飛び込んだ。ケネルのアホに好き放題にされた髪形あたまを正常に戻すのが先決だ。髪がこんなじゃ、何を着たって様にならない。そうだ、まずはそっからだ──!
 四十分後、料金を支払い、店を出た。
 エレーンはうきうきるんるん、ご満悦。ああ、プロの仕事はやっぱり違う。髪を丁寧に洗ってマッサージまでしてくれる。因みに、毛先を綺麗に揃えてくれた愛想の良いおっちゃんは、繊細さとは程遠い熊のような髭男だった。むしろ、ハジとかいう優男のが、あれなら余程それっぽい。ともあれ、仕上がりにはまずまず満足したので、待ち合わせ場所までいそいそ戻る。
 指定した街路樹の下、ファレスは仏頂面の腕組みで、スパスパせわしなく喫煙していた。吸殻の山を前にして、爪先をトントンやっている。不機嫌だ。見るからに苛々している。かなり急いでもらったのだが、待ちくたびれているらしい。「──あっ、待ったあー?」と踏み出しかけて、はた、と異変に気がついた。ここの区画だけ、やたら女の子が多くないか? ピンクのハートがそこかしこで飛び交っているような……?  
 呆気に取られ、( 何かあんのー? )ときょろきょろ見回す。視線が集中するその先を見極め、エレーンは絶句で瞬いた。だって、彼女らが熱い視線で見つめているのは、
「……ふぁれす?」
 指さし、唖然と口を開ける。もっとも、注目の的の当人は、踏ん反り返った渋面で、不機嫌オーラをここぞとばかりに発散しまくっている有様なので、二の足を踏んでいるらしいのだが。
 機嫌の度合いが対照的なファレスと沿道の彼女らを、エレーンはあんぐり見比べる。三往復ほど終えた後、ようやくつぐんだその口に、グーの片手を押し当てた。
 むふふん、とエレーンはほくそえむ。毎日毎日あんまり近くにいるもんだから、そういや長らく忘れていたが、ファレスのルックスはすこぶる良いのだ。連れだと思えば、何やら鼻が高いではないか。実は赤の他人だが。
 イメチェンによる上昇気分に、更にぐんと拍車がかかった。スキップるんるんファレスに近づく。密かに鼻高々で、笑って軽く手を振ると、「……お?」とファレスがこっちに気づいた。さあ、ここだ! 皆にきっちり見えるよう「遅くなってごめんねえー!」とあの標的に駆け寄るのだ! そう、あたかも恋人の如くに! 
「ごっめーん! まったあ?」と満面の笑みで足を踏み出す。うきうきるんるん心の躍動。刹那、仁王立ちのしかめっ面が三白眼を吊り上げた。……え゛?
「遅せえじゃねえかよ! このクソアマ! 特大のクソでもしてたのか!」
 ぎゃ!? とギャラリーが飛び退いた。
 諸手を上げて、蜘蛛の子散らすように直ちに解散。向かいの街路樹まですっ飛んでいく。
( ……ああ、やっちまった )と額に手を当て、エレーンはがっくり肩を落とした。彼女らは避難した街路樹の陰で、「なにあれ、柄悪るっ!」とひそひそ眉をひそめている。せこく姑息な目論みが脆くも打ち砕かれた瞬間であった。ああ、羨望の的も所詮は一時の気の迷いゆめだったか。いつかはバレるだろうけど、もうちょっと夢見ていたかった……。
 エレーンはとぼとぼ近づいた。瞠目した面々が「げ!?」と一様に引きつったのは、決して見間違いなどではないだろう。口さえ閉じてりゃ綺麗な顔をしてるのに──。腰に手を置き、「はあ〜っ!」と嘆息、踏ん反り返った野良猫を眺めた。
「もー。あんた、ちょっと、その口つぐんでおきなさいよー」
 衷心から忠告してやる。ホントまじで心の底から。絶対、人生損してるって。
 ファレスは、ああん? と態度悪く見下ろして、けっ、とぞんざいにそっぽを向いた。「その言葉、そっくりそのまま、てめえに返すぜ」
「──はああ!? なによそれえ!」
 エレーンは眦(まなじり)吊り上げた。
「あんたねー、ひとがせっかく親切に! だいたい、あんたは下品なのよ! こーんな人がいっぱいいるのに、クソはないでしょうがクソは!」
 人差し指をぶんぶん振る。目端に動きに反応したか、ファレスが「あ?」と振り向いた。
「クソをクソと言って何が悪い。誰だってすんだろうがよクソくれえ」
「だからっ! わかんないわね! そうやってクソクソ言ってると品性疑われるって言ってんのよ! 大体あんたは日頃から、言葉使いが乱暴なのよ。いっつも平気でクソクソ言うから、こんな所でも出ちゃうんでしょーが!」
「だったら何か? クソを "おクソ様" とでも言えってのかよ。あ? クソに平伏して感謝でもしろってのかよ。──くっだらねえ。逆立ちしたって、クソはクソだろ」
「だーかーらーっ! そうやってあんたがクソクソ言うと、一緒にいるあたしまで恥ずかしいって、なんで全然分かんないかなあっ!」
 野良猫に負けじと言い返しつつ、ルクイーゼの町をずんずん歩く。まったく。なんて柄の悪い。これと同類と思われるのは心外だ。因みに、道行く人からジロジロ白い目を向けられているのは、一体どうしたことであろうか。 
 議論に飽きたらしい野良猫が「おら、行くぞ」と引っ張った。腹ぺこなのに待たされて、野良猫はたいそう不機嫌だ。足をぶん投げ歩いていく。
 買い物の前に、まずは取りあえず腹ごしらえということで、かなり遅くなったが昼食を取ることにした。ファレスは「定食屋がいい」などとふざけたことを抜かしたが、問答無用で小洒落たカフェに引っ張っていく。店が混み合う昼時からは既に大分かけ離れている為、涼しい店内には、喫茶の客がちらほら疎らにいるだけだ。案内されたのは、そよ風吹きゆくテラス席。そして、注文は、可愛いワンプレート・ランチと緑のソーダ。ランチタイムなどとうの昔に終わっていたが、真っ白なシャツに黒い蝶タイ、腰巻エプロンの品良く優しい口髭紳士は「いいですよ」と気前が良い。もしかしてこの店、経営不振か? 
 店主は慎み深く、礼儀正しい。風と日差しが心地良く、料理の味もそこそこで、いそいそオムレツをぱくつく内に、斜めの機嫌もてきめん直った。行儀悪く頬杖で食ってたファレスは、付け合わせのにんじんのソテーをフォークの先で突付きつつ「これっぱかしじゃ食った気にならねえ……」とぶつくさ文句を垂れてたが。
 店を出れば、まずまずの人出、午後の目抜き通りは穏やかに賑わっていた。店を色々冷やかして、まずはワンピースに合いそうなアクセサリー、そして、その他諸々を物色する。あれもいい、これもいい、と購入候補を悩んで選び、さて、お会計となった段、エレーンは、はた、と振り向いた。かったるそうに突っ立っていた隣の袖をクイクイ引っ張る。
「ねー、コレ欲しいんだけどなー。ねえ、ファレス、、、、ぅー」
 チラと上目使いでダメ元おねだり。ぴく、とファレスの片頬が強張った。一瞬挙動不審に陥った後に、「──お、おう」とあたふた俯き、尻ポケットの札入れを反射的に引っ張り出す。
( ……ほっほお )
 エレーンはぱちくり瞬いた。名前で呼ぶ都度、微妙にそわそわ反応するから、もしやと思って試してみれば。
( うっく〜! この手しばらく使えるかも〜! )
 効果はてきめん。自分の名前で呼ばれる事に未だ慣れていないらしい。そして、なるほど、こうした場面では、そういう仕様、、、、、、になっているらしい。札入れから一枚抜きかけた野良猫は、帳場の机に前のめりで腕を置き、「ち! 高けえな。もうちっと、まかんねえのかよ」と気の毒な店主をやぶ睨みしている。
 ぶつくさ言いつつ店をガン見し、舌打ちで札入れを尻ポケットにしまっているファレスを後目に、エレーンはほくほく店を出た。仏頂面の荷物持ちを引き連れて、実に良い気分で通りを歩く。自分は手ぶらの鼻歌で。
 
 
 
 
 

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