CROSS ROAD ディール急襲 第3部 1章1話2
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 ほの暗い昼の天井で、水底の光がゆらいでいた。
 指の先の万年筆が、光を弾いてくるくる回る。
「──何をしている。早くこい」
 地下牢の石壁を睨んで、ダドリーはじっと待っていた。助けを待っていたわけではない。待ちわびた相手はディールの領主だ。
 一言あって、よさそうなものだった。
 ここの主とは、知らぬ仲というわけではない。知らぬどころか、むしろ懇意だ。
 ディールの領主は、父が生きていれば同じくらいの年代だ。前妻と死別し、現夫人との間に四歳になる女児がいる。前妻との間にも嫡男を一人もうけたが、幼くして病でなくし、その妻とも死別した後は、長らく男やもめを通していた。
 領主とは同じ格の家柄どうし、幼少時より付き合いもあり、主の人となりも、むろん、よく知っている。
 ディールの領主、ニコラス=ディールは、気さくで機智に富む、ほがらかな男だ。いつも陽気なこの男は、酒を愛し、食を愛し、民を愛し、歌を愛し、そして、少々の女好き。ゴム鞠が弾んでいるような、その丸っこい体型から、のほほんとしているように見られがちだが、その実、柔和な顔の裏側では、交易を一手に取り仕切る、頭の回転の速い男だ。周到で抜け目のない、その手腕と才覚たるや、そうそうたる顔ぶれを従えた大ラトキエと渡り合うほどのもの。
 生意気で利発なダドリーが、領主は殊の外お気に入りだった。我が子のように、と言ってもいい。三男坊のダドリーは、養子にこないか、と打診されたこともある。
自国くににいても肩身が狭かろう。俺の跡をとらんかね 』
 考えてみてくれ、と、片目をつぶって領主は笑った。
 ダドリーが商都住まいをしていた頃は、トラビアに近かったこともあり、気軽に遊びにきたものだった。だが、領主が待望の子をもうけてからは、自然と足が遠のいていた。それには気位の高い現夫人といささか馴染めなかった事情もある。
 ともあれ領主は、今の暮らしに満足していたはずだった。妻子を持って幸せな日々を送っていた。何か悩みがあるとすれば、嫡男に恵まれないくらいのもので、現体制を覆し、王に成り代わろうとするような野心を秘めていたとは思えない。あの現実的な実務家がそんな夢物語を語るとは、やはり、どうしても腑に落ちない。そう、やはり、何かが
「──変だ」
 ダドリーは口を尖らせ、光を睨んだ。いや、奇妙な兆候というのなら、もっと前から、あったはずだ。婚儀の承認式が順延している。
 カレリア国では、領主が婚姻するにあたって、国王から許可をとりつける他に、国土を治める他領の承認が必要だ。だが、ラトキエ、ディール二領家の、当主の予定の調整がつかず、こたびの婚姻の承認式が延び延びになっていた。つまり、ダドリー夫妻の婚姻は、未だ有効に成立していない。
 他家が承認をしぶる理由は、当該領家が妻の実家と結びつくことにより、飛びぬけて強大化する等の事例が大半を占める。貴族階級の婚姻は、家の格が激変しうる、ほぼ唯一の機会と手段だ。だが、今回の婚姻に限っては、なんら問題は起こりえない。花嫁になるエレーンは庶民階級の出身で、どんな後ろ盾もないのだから。
 もっとも、ラトキエが渋る理由については合点がいった。花嫁が気に入らないわけではない。当主の重篤な病状を伏せておきたい事情があるのだ。だが、ディールについては不可解だ。更にはそれから間をおかず、商都を襲撃する急展開。そう、誰が予想したろう。突如、首都を包囲するなど──。
「変だよな……」
 ダドリーはいぶかしい思いで首をかしげる。何かがひどく、いびつだった。あの領主の聡明さと、ディールが引き起こしたこの騒ぎが、いやにちぐはぐで噛みあわない。口ヒゲを生やした大の大人が、きつきつの子供服を着ているような、異様で珍妙な印象だ。どこかに決定的な無理がある。
 領主と会って、話がしたい。会って、きちんと話をしたい。こんなたいそれた真似を仕出かしたからには、なにか理由があるはずだ。のっぴきならない深刻な理由が。
 なんとか領主とだけ会えないものか。できれば秘書官を通さずに。そう、ここにはネグレスコという名の、感じの悪い秘書官がいたはずだ。
 慇懃無礼なネグレスコが、ダドリーは好きではなかった。ここの領主は客があると、さっぱり仕事をしないので、あの秘書官は来訪を疎ましく思っていたのかもしれない。まして相手は、他領がもてあます冷や飯食いだ。そういえば、領主と現夫人との縁談を半ば強引に進めたのも、あの秘書官だと聞いている。
 だが、秘書官の排除に仮に成功したとして、領主との会談が不首尾に終わってしまったら? あの領主を腕づくで捕らえ、反逆者として、、、、、、突き出すのか──?
 ダドリーは眉をひそめて頭を掻いた。
「──やりたくねえな、できることなら」
 あの領主とは、以前から親しい。
 だが、ここカレリア国は、そうした時のために国土を三つに分けているのだ。有事の際の抑止力、それこそが、三つの領家が並び立つ理由だ。
 いささか憂鬱になりながら、ダドリーは首を振って嘆息する。ともあれ、全ては本人と会ってからのことだ。領主の意図を問い質すも、面と向かって対決するも。だが、肝心の領主からは音沙汰もない。クレスト領主の身柄を拘束した報は、とうに手元にきたろうに。もしや、初めから会う気がないのか?──いや、そんなことはないはずだ。あの領主とは、ニック、ダド、と互いを愛称で呼び合う仲だ。彼の人柄を見こんだからこそ、はるばる大陸の端まで出向いてきたのだ。もしや、何かが起こっているのか──。
 一体何が、、起きている。
 ぐー、と腹が唐突に鳴った。
 通風孔から射してくる昼の光に目を向けて、ダドリーは顔をしかめて腹をさする。空腹は常にかたわらにある。
 ふと、腹にうつむいた顔をあげた。今となっては聞き慣れた、あの、、物音を聞きつけたからだ。
「──ま、向こうが来ないつもりなら」
 膝に手をおき、座りこんだ壁から腰をあげる。
「抜け出す算段をしねえとな」
 暗い海底を思わせる、しっとり濡れた通路の先から、牢番がよたよた歩いてきていた。曲がった腰を直角にかがめ、パンが一つとスープの膳を、しわだらけの両手でしっかり持って。
 牢番は腰の曲がったじいさんで、意外なことに番兵ではなかった。
 何か情報を得られないかと顔を見るたびに声をかけたが、じいさんはいつも黙々と自分の仕事をこなすばかりで、一度たりとも応えなかった。囚人が領主であることも知らされてはいないようで、笑いかけようが、挑発しようが、なんの関心も示さない。
(──なあ、なあ! じいさん、じいさん!)
 両手で鉄格子を握りしめ、ダドリーは小声で呼びかける。
(頼む。ここから出してくれ。あのナマズにはバレないようにさ。礼なら、するよ。ここから出たら、好きなだけ)
 札を握らせれば、てっとり早いが、財布は没収されて、手元にない。
 口約束だけでは心許ない、牢番もそう思っているのか、白髪頭をあげようとしない。
(──なあ!)
 空腹も後押しし、苛立ちにまかせて鉄格子を叩く。
(なあ、聞いてんのかよ。じいさん──じいさんっ!)
 腰の曲がった屈んだ姿勢で粛々と歩いてきた牢番が、ふと、白髪の頭をあげた。
 粗末な衣服のその肩が、そのまま、ぐらりと後ろに傾ぐ。
「て──うっわ! ちょっとっ!」
 あわててダドリーは手を出した。
 仰向けにそっくり返った牢番の腕を、手が辛うじてつかみとる。
 ダドリーは細く息を吐き、ほっと額の汗を拭いた。
「……まに、あった〜」
 牢番は腕をとられたまま、石床に尻もちをついていた。こちらを見ようと体をねじったその拍子に、湿った床に足をとられてしまったらしい。
 目を丸くしていた牢番は、ぱくぱく口を開閉し、何やらしきりに指さしている。
 ぱちくりダドリーはそれを見て、怪訝にそちらを振り向いた。さしているのは通路の先の──
「俺のメシっ!」
 ぎょっと鉄格子に飛びついた。
 薄暗い石床に、ぼんやりと白っぽい丸いものが見えた。待ちに待った食事のパンだ。そばには転がった汁物の椀、それらをのせてきた四角い膳。
 食事の膳がひっくり返って、中身がぶちまけられていた。硬い鉄格子を両手で握り、ダドリーはずるずるしゃがみこむ。鉄格子の向こうの牢番を、思わず涙目で振り向いた。
「もー。勘弁してくれよ〜。メシあれっきゃないんだからさ〜」
 かしこまった膝に手を置いて、牢番は白髪頭でうなだれた。痩せた肩を更にすぼめて、何度も頭を下げている。
「なあ。あんた、顔くらいあげろよ。人が話をしている時は、せめて、それが礼儀ってもん──」
 ふと、ダドリーは口をつぐんだ。
 縮こまった牢番の、小柄な肩をまじまじと見る。
「……じいさん。あんた、もしかして」
 ようやく牢番の事情を察した。しつこく続けた呼びかけを、わざと無視していたわけではない。彼は耳が聞こえない、、、、、のだ。
 今、こちらを振り向こうとしたのは、鉄格子を強く叩いたために、振動が伝わりでもしたのだろう。
 唖然とダドリーは膝に手を置き、溜息まじりに立ちあがる。「──ああ、いいよいいよ。気にすんなって」
 やむなく、引きつった頬で笑いかけた。
「転んじまったもんは、しょうがないもんな。いや、驚かせた俺が悪かったよ」
 石床の通路に両膝をつき、牢番はぺこぺこ白髪頭を下げ続けている。
「もういいって。悪気があったわけでもなし。な?」
 カラ元気で、なはは、と笑い、一拍遅れて気がついた。どんな言葉をかけたとて、彼には何も通じない。
 あーそうだっけ。困ったな、と癖っ毛頭をガリガリ掻いて、ダドリーは鉄格子から手を伸ばした。
 うなだれた肩を、とんとん叩く。
「あー。それさ、とってくれる?」
 通路に転がったパンをさす。
「ほこり払えば、まだ食えるからさ」
 大仰な身振りで、意図を伝える。腹が減って死にそうだったが、人生たまには、そういうこともある。
 
 ぺこぺこ頭を下げつつも、じいさんの牢番が行ってしまうと、ダドリーは重い足取りで引きあげた。
 やれやれと戸板に腰をおろし、くんだ両手を頭に敷いて、ふてくさって寝転がる。
「くっそ〜。ありかよ。牢番の耳が聞こえねえとか〜……」
 ほの暗い天井を睨んで、ダドリーは口を尖らせる。「──確かに、有効な手だけどな」
 囚人に余計な情報を与えぬためには、これは最適な人選といえた。
 看守と囚人の間には、一切、意思の疎通は発生しえない。お陰で、こちらは八方ふさがり。だが、そんな中でも一点だけ、牢番が彼で良かったと思う点はあった。
 牢番は実に勤勉だった。見張る者などいないのに、毎日きちんと定刻にきては、こまめに便器を替えてくれた。誰も見てはいないのに、手を抜くことは決してない。おかげで夏の盛りというのに、不衛生の害をこうむらずに済んでいる。もっとも、不自由な虜囚であることに、なんら変わりはないのだが。
 ダドリーは溜息まじりに寝返りを打つ。
「あーあ。せめて、スープがあったらな〜」
 先の事故が悔やまれた。だが、一体誰が責められよう。ぺこぺこ頭を下げていた、あのみすぼらしい老人を。
「──そういや、変だな」
 ふと、眉をひそめた。
「あれで、まともに金もらってんのかよ」
 牢番の成りをよく見ると、実に粗末な衣服を着ていた。食うにも困っている、そんな感じだ。公務ならば、給金はそれなりに支払われているだろうに。
 何かが妙だった。ここの食事が貧しいのは、どうせ、バウマンの嫌がらせだろうが、その世話をする牢番までが、粗末な身形をする必要はない。そもそも、本来、牢番などは兵士が務めるものではないのか? いやに全てが合致している。古い監獄、乏しい食事、そして、牢番の乏しい身形──。
 ともあれ、とダドリーは、気を取り直して首を振る。今は、別に考えることがある。
 牢番は話を聞き取れない。ペンはあっても、紙がないので筆談はできない。つまり、買収は不可能だ。親しくなって取りこもうにも、お陰で未だに名さえ知らない。
 領主はこない。買収はできない。協力者も得られない。包囲された商都はどうなっている。どうしたら、ここから出ることができる──。
 ぐうぅ〜、と腹が無遠慮に鳴った。
 ダドリーは顔をしかめて寝返りを打つ。
「なら、なにか別の手、考えねえとな」
 パンを手にとり、溜息まじりにほこりを払う。「あーあ。今日のメシは、こんだけか〜。ちょっとずつ、大事に食わねえと」
 命をつなぐ大事な食料。
 例によって例のごとく、カビの部分をむしって投げ──ふと気づいて、その手を止めた。
「──まてよ。このパン、使えないか?」
 光射しこむ通風孔を、はっと気づいて振り仰ぐ。そうだ。あの男が相手なら、、、、、、、、、きっと有効な手立てになりうる! いや、だが、そうなると──
 くぅ〜、とダドリーは頭をかかえ、ごろんごろんと転げまわる。
「ぅわっ、なんて悩ましいっ! この手だけは、できれば避けたいぃっ!」
 むくり、とあぐらで起きあがった。
「第一、どうしたってスズメが来ちまうしな〜……」
 肩を落として嘆息し、ばりばり頭を掻きむしる。「たくぅっ! どうやって追っ払えっつうんだよ、鳥なんか。言葉通じねーし、穴ふさごうにも窓ねーしっ!」
 はた、と動きを止め、天井を睨む。「……そっか。夜なら動かなくね?」
 手の中のパンを、じっと見つめる。
「──だめか」
 はあ、とぐったり、うなだれた。
 夜中にパンなど、まいたところで、そんな些細な壁際のごみが、目印になど、なるわけがない。
 牢獄の天井を睨みつつ、ダドリーは組んだ足をぷらぷらさせる。
「──なんかねえかな、上手い手は」
 ぐうぅ〜、と腹が情けなく鳴った。
 
 
 

☆ おまけSS 『ラルッカ隊が往く』 2 ☆
話は少しさかのぼる……
 
 

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