CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章8
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「──どうなっているんだ。なぜ、いない」
 ひっそりと影の濃い、昼の街路を歩きつつ、ケネルは首をひねっていた。
 そろそろ追いついてもいい頃だった。これまで通過した町の通りは、路地裏に至るまで覗いたし、町中にある店や宿も片っ端から尋ねてまわった。だが、あの姿はどこにもない。仮に街道は使わずとも、少なくとも日々の食事で、町にはどうしても立ち寄ることになるはずだが──。
 ノアニールの街にいた。
 西方にある国境に向けて商都を出立したった人々が、初めて目にする大きな街だ。
 国政の中心、商都カレリアと、西方を結ぶ幹線道路──通称「トラビア街道」と呼ばれる、大陸を横断する街道には、主要な都市が二つある。
 一つは、商都寄りに位置するノアニール。もう一つは、西方の国境トラビア寄りに位置するザルトだ。
 都市間の移動に要する日数は、ケネルらの通常の馬速であれば、一日から二日というところだが、小さな町村にまで停車して、客を乗せる辻馬車ならば、この数倍は優にかかる。とはいえ今は、戦のあおりで、その辻馬車でさえ不通だが。よって、移動手段あしを奪われた市民には、商都から次の主要都市ノアニールに行くだけで至難の業だ。もっとも、彼女を連れ出したウォードは、自分の馬を持っている。そう、実に厄介なことに。
 あの客を捜していた。
 クレスト領家からの預かりもの、領家の奥方エレーン・クレスト。むろん、トラビア行きを阻止するためにだ。
 朝より増した陽射しの強さに、顔をしかめて汗をぬぐい、ケネルはじりじり、店先に視線をめぐらせる。
 真昼の夏日に、街路の石畳がゆらめいた。
 枝を張った街路樹が、壁にまだらな影を作る。飾り窓のレンガ壁。しゃれた黒鉄の街路灯。飲食店の店頭の、外卓にさした大きな日傘。商都に近い土地柄か、店舗の多くは洗練されて、街の雰囲気は垢抜けている。
 暑い盛りの日中に、街路を歩く人影はまばらだ。彼女の姿は、やはりない。ここまでの道中、ついに発見できなかった。ならば、いささか考えにくいが、
 ──まだ「先」だ、ということか?
 街道のある方角の、夏日に照らされた屋根屋根を、ケネルは苦々しくながめやる。このわずか数日で、ノアニールを通過した?──そんな馬鹿な話があるだろうか。
 女連れは時間を要する。ウォードの馬がいかに速く走っても。商都からの出立が半日遅れはしたものの、その分は取り戻したはずだった。ここまでろくに休憩せずに、ひたすら馬を駆ってきた。だが、現に見つからない。一体どれだけ先行している。一体今、どこにいる──。
 彼女のこの旅の目的は、クレスト領主の救出だろう。だが、部隊が遠方に移動した今、領主の身柄を奪還できる直接的な手段はない。それでも諦めていないというなら、次なる現実的な選択は、ラトキエ軍の進軍阻止だ。
 具体的には、彼女はトラビアに到着後、直訴に及ぶつもりだろう。ラトキエ領家の総領息子、軍を指揮するアルベールに。かつて領邸に監禁した、その他ならぬ当人に。
「──性懲りもない」
 ケネルは苦々しく嘆息した。説得を試み、すでに失敗したはずだ。
 以前に仕えた雇い主の家族なら、なるほどアルベールとは面識もあろうが、彼女には為政者というものが分かっていない。常に周囲に向けている、穏やかで誠実なその顔だけが、彼の全てではないことを。いや、自分のことでさえ知らなすぎる。
 自分が一体何者なのか、いかなる立場に立っているのか。夫の身柄が危地にある今、なんの後ろ盾も持たない者が、どれほど慎重に身を処さなければならないか。思いつきだけの行動が、どれほどの危険を招くのか。
 結論は、すでに出ている。ラトキエの今回の進軍は、先の直訴を織りこんだ結果。クレスト領主に関しての、ラトキエの態度は決定している。軍を差し向けたというのなら、助かる見込みはないに等しい。それどころか、彼女がのこのこ顔を出せば、あっさり人質にとられるか、状況を見誤れば、殺される。
 トラビアで領主が捕らわれて、その身分が発覚すれば、そこにいた彼女も同罪だ。不自然に居合わせた領主と同様、逆臣ディールに加担した・・・・一味と見なされ処断が及ぶ。国家騒乱、謀反のかどで。
 いかなる手段を用いたとしても、万事は勝者に有利に働く。事実無根のでっちあげでも、無力な訴えは届かない。ラトキエ側の摘発の、その密やかな目的が「証人の抹殺」にあることが火を見るより明らかでも。それぞれの思惑がどうであれ、事実がどうあれ・・・・・・・関係ない。歴史の頁を綴るのは、常に勝者の特権なのだ。
 日を照りかえす街並みを見据え、ケネルは苦々しく顔をしかめた。あの朝の病室の、からっぽに白んだ寝台を見て、どれほど驚愕したことか。
 まさか彼女が、単身飛び出そうとは思わなかった。依存心の固まりのような、あのどうしようもない甘ったれが。
 まったく無謀な真似をする。小遣い程度の旅費だけで、よもや大陸の西端まで、国境トラビアまで出かけようとは。伝手つても土地鑑もないくせに。その上、苦難の道を踏破しても、一かけらの望みもない──。
 やりきれない思いで嘆息し、ケネルは苦々しく眉をしかめる。必ず、彼女を捜し出す。
 この道中の、どこかで必ず。ラトキエとの接触は、どうあっても未然に防ぐ。たとえ、どんな手段を使ってでも──
 はっとして顔を振りあげた。
 かすかに声を聞いた気がした。細く途切れた甲高い悲鳴を。
 眉をひそめて耳を澄まし、ケネルは昼下がりの街を見まわす。先と変わらず、人影はまばらだ。店舗が連なるレンガの壁。しゃれた黒鉄の街路灯。御者のいない道端の荷馬車。石畳の通りには、とりたてて異状は見られない。通りでなければ、
 ──どこの路地だ。
 かすかな物音をたぐりよせ、そちらに向けて意識を凝らす。
 複数のざわめきを聞きとって、すぐさまケネルは踏み出した。一区画先の曲がり角。声の出所はその奥だ。近づくにつれ、明瞭になる。いたぶるような野卑な笑い。連中が捕えた獲物というのは──
(──まさか、あの客あいつか?)
 胸がざわめき、ケネルは駆けた。
 街灯の町角に駆けこめば、路地の左隅に人だかり。五、六人の男、ごろつき風情だ。壁に誰かを囲っている。
 取り囲んだ足の向こうに、座り込んでいるらしき旅装の裾が垣間見えた。サージェと呼ばれる風除けだ。そして、裾から覗く女物の靴。客が賊に襲われるのは、これが初めてのことではない。
「何をしている!」
 ……あァん? と胡乱に振り向いた頬を、有無を言わさず張り飛ばした。
 隣の肩を引き剥がす。
「──な、なんだてめえは!」
 たちまち人垣が気色ばんだ。
 ねめつけ、凄む面々は、見るからに悪そうな面構え。その向こうには案の定、フードをかぶった旅装の女が、我が身を抱いてうずくまっている。警邏が巡回にくる前に、この騒ぎを嗅ぎつける前に、事を収める必要がある。道に転がった無精ひげが、殴られた頬を腕でぬぐい、剣呑な目配せを仲間に送る。
 一斉に、ごろつきが飛びかかった。
 罵声をあげて掴みかかった手をかわし、ケネルは手近な肩をつかむ。レンガの壁にそのまま一人を叩きつけ、向かってきた一人の腹を、力任せに蹴り飛ばす。振り向きざま、別の一人を殴りつけ──
 場慣れした凄まじい手並みにその場の全員が怯むまで、ものの五分とかからなかった。
 ぽかんと見ていた無精ひげが、あわてた顔で立ちあがり、仲間に忙しなく顎を振った。
 憎々しげにねめつけながらも、それぞれ足早に去っていく。構わずケネルは目を戻す。
 建物の陰になった路地裏のレンガの壁に、旅装の肩がへたり込んでいた。長い裾を石畳に広げて、小柄な女がうずくまっている。
 片膝をつき、すぐさまケネルはその肩をつかんだ。「──あんた、こんな所で何をしている!」
 目深にかぶった旅装のフードを、手がもどかしく跳ねのける。
 目をみはって凍りついた。
 とっさに壁へと目をそらし、戸惑い、視線をさまよわせる。
 ケネルは苦く顔をゆがめて、あえぐようにつぶやいた。
「……クリス?」
 
 
 

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