■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章9
( 前頁 / TOP / 次頁 )
ああ、何かがやって来る気配さえない。
真昼のあぜ道。セミの声。がらんとひと気ない停留所。くっきり二本の車輪の轍が、白く彼方まで伸びている。
「動いてない、かあ……」
道の先まで目を凝らし、がっくりエレーンはうなだれた。あちこち散々さまよい歩いて、ようやく街道に出たというのに。
溜息まじりで道標にもたれる。緑の山すそまで続いている、西へと向かうトラビア街道。目的地トラビアへと続く道。
停留所は閑散としていた。
辻馬車は、やはり不通らしい。商都で確認して以来、事態は何も変わっていない。案の定の徒労に溜息をつき、それでも、とエレーンは眉をひそめる。
それでも、彼を止めないと。ラトキエ領家の統領息子を。
それができるのは自分だけだ。ラトキエのアルベールと知り合いで、アディーをよく知る当事者の一人、宗家の雲上人と話ができる「領家の正夫人」という特権的な肩書きを持つ──。その稀な条件を兼ね備えた、おそらくこの世でただ一人の人間。
彼の居場所を必ず突き止め、じかに会って誤解を解くのだ。思い止まってくれるはずだ。彼なら、きっと分かってくれる。アディーを知る彼ならば──
ぐぅぅぅ〜……と腹が、ぶしつけに鳴いた。
げんなりエレーンはうなだれる。
「はあ……おなかすいた……」
ゆうべはずっと寝こんでいたから、パン切れ一つ食べてない。昨日のから揚げ定食の昼食から。とはいえ今の財布の中身は、泣いても笑っても五千カレント。これ以上減らすわけには断じていかない。だって自分はなんとしてでも、トラビアへ行かねばならな──
ぅぎゅうううう〜ん……と、ねじくれまくった奇妙な音で、腹が泣いて抗議した。
う゛っ──と固まり、エレーンは頬をひくつかせる。決心したそばからこれだ……
上目使いで目を泳がせ、そわそわ足元の荷物を見る。
んむぅ、と苦悶しきりで顔をゆがめる。ああ、この手だけは使いたくなかった。
だが、お腹は限界、待ったなし!
(──ごめんリナ!)
ぐぐっと奥歯を噛みしめて、袋の取っ手を引っつかんだ。
換金したのがリナにバレたら、悪鬼のごとく形相で、詰め寄られること請け合いだが、なんといっても飯のため──い、いや、旅費を捻出するためだ!
手にさげた袋の縁から、見慣れた布地が覗いていた。リナに返す制服の。むろん、店主にはよくよく言い含める。質流れなんかした日には即行リナに殺される。いや、言い含めるだけではまだ弱いか──そうだ、一筆書いとこう! 商都のクレスト公館に「早急に引き取りにくるように!」そうだそうだそれがいい!
──けども、まてよ? 手紙を送りつけられた先方は、差出人が自分であると「公爵夫人からの指示である」と、しかと納得するであろうか。
むむう、とエレーンは顔をゆがめる。確かに自分は掛け値なしに本人であるが、つまり、クレスト領家の正夫人のはずだが、いざ、それを証明せよとなると、これは結構な難問だ。言い張るだけでは、いかにも弱い。通常、身分の証明には、然るべき機関が発行した通行証あたりを用いるであろうが、すでに紙面が全面毛羽立ち、角のよれきった紙切れなんかで、まともに取り合ってくれるだろうか。
「んむぅ〜……いや、そういう感じのじゃなくってさぁ〜、なんか、もっとこう、決定的なぁ〜!」
有効期限きれてるし。
歯がゆい苦悶に顔をゆがめて、エレーンは頭をかきむしる。何かコレという決定打はないだろうか。誰もが一発で納得するような……
はた、と顔を振りあげて、はっし、と左手をもちあげた。
食い入るような凝視の先は、己の見慣れたくすり指──いや、問題なのは指ではない。
くすり指で「昇竜」が、雄々しく雄叫びをあげている。
「ううっ!? 出番がきたかあっ!」
狂喜乱舞で、ぶんぶんうなずく。そうそう! コレがあったではないか! ダドリーとおそろいの結婚指輪。クレスト領家の家紋が入った──。
証文の印にコレを使えば、即行解決、間違いなし! 今までコレを持ってたせいで散々怖い目にもあわされたが、よもや、こんな使い道があろうとは! てか、ここへきて初めて
──役に立ったー!
「さっ、ごはんごはんっ!」
ほくほく質草をもちあげて、足取りも軽く最寄りの質屋へ──いや、最寄りの町へと歩き出す。幸い辻馬車の停留所ゆえ、町の入口なら、すぐそこだ。それにしても、初の記念すべき押印が、こんなしょぼい借用書になるとは、よもや予想だにしなかったが──。まあ、そんなことは、どうでもいいのだ。腹が減っては戦はできぬ!
「あああ……! も〜! なに食べよっかなあ〜!?」
なんといっても質草は、かの「ラトキエ邸のメイド服」さぞや高値がつくに違いない。これで、たらふく飯が食える!
街道の先に見えている最寄りの町の入口めざして、いそいそスキップらんらんらん!
ふと、エレーンは足を止めた。
のどかな景色に視線をめぐらせ、なんとはなしに息をつく。
緑の山や田畑が広がる、馴染みのない田舎の景色。青空の下、はるか彼方まで伸びている、ひと気ない昼のあぜ道。見渡すかぎり人影はない。
「──何してんだろう、あたし」
こんな所で。一人ぼっちで。
溜息まじりに小石を蹴った。晴れた夏空を、ぼんやり仰ぐ。
「トラビア、かあ……」
そう、どうしても行かねばならない。それは分かっているけれど。ダドリーが商都に出向いたのは、他ならぬ自分が罵倒したせいだし、事態の収拾が図れるのは、その資格と要件を満たすのは、自分をおいて他にない。トラビアに行くのは自分の務めだ。
──でも、と軽く手のひらを握った。ケネルがいれば楽勝なのに。
ケネルなら、辻馬車なんかで気を揉まなくても──いや、ただ、そばにいてくれるだけで、それだけでどれだけ心強いか……
はた、と我に返って、またたいた。
「い、いかんいかんっ! ケネルはだめっ!」
ぶんぶん面影を振り払い、ずんずん道を歩き出す。ケネルになんか頼らない! 頼らないったら頼らないっ! むしろ、うっかり近寄れば、あっという間にとっ捕まる。 今やケネルは敵なのだ! 本当は、そんなの嫌だけど。
会いたくて会いたくて、たまらないけれど。
重たい足を、溜息で止めた。
「……どうしてるかな、ケネル」
あのからっぽの病室を見て、さぞや驚いたに違いない。
今ごろ捜しているだろうか。商都の街を。路地裏を。あの彼がいるであろう商都の方角へ目を向ける。
どくん、と何かが脈打った。
キィィーン──と大気を、切り裂く耳鳴り。
(な、なに……?)
高鳴る鼓動に顔をしかめて、困惑しきりで、おろおろ見まわす。どうしたというのだろう。空気の質が、急に
──変わった。
見えない何かに取り囲まれでもしたような、得も言われぬ不気味な焦燥──はっと気づいて胸元を見た。何か、じんわり温かい。ブラウスの下のお守りが。
あのお守りの翠石だった。ブラウスの薄い生地を透かして、ほのかに光を放っている。震えるように微動している。あの翠石が、
──息づいている?
背後の道を、振り向いた。何かが目の端をよぎった気がする。
青い空、夏の雲、景色は先と変わらない。夏日にかがやく青田を縫って、真昼のひと気ない街道が、山のふもとまで伸びている。あのトラビアのある方角へ。
戸惑い、視線をめぐらした。なんだろう、気にかかる。緑豊かな尾根をたどって、山すそから頂きへ。何がそんなに気になるのか──
ぎくり、と肩が凍りついた。
西空をいろどる大気の薄青。ざわり、とそれがうごめいた。
霧が晴れていくように、大気が輪郭を象り始める。いや、大気をまとい、視界を遮っていた何者かが、正体を現した、というべきか。
山のなめらかな稜線を、長い胴が覆っていた。ぞろりとうごめき、光る鱗。巨大な頭を、それがもたげる。
風を追い越し、視線が迫った。
《 そこに、いたか 》
──月読。
びくり、と総毛立って戦慄し、萎えた足で後ずさった。
一目散に踵を返し、道ばたの大木に転げこむ。背を押し当てて木幹に隠れ、瞠目したまま、震える呼吸を整える。
「……な、なにあれ」
あの目に捉われた、そんな気がした。ぎらり、と光る双眸に。
ごくり、とようやく唾を呑み、顔を強ばらせて盗み見る。
……え? とエレーンは見返した。
首をかしげて目をこすり、先の尾根を、きょろきょろ捜す。
青い空。夏の雲。のどかに凪いだ緑の山並み。尾根がなだらかに続いている。その上には何もない。
何度見直しても、何もない。
「う、うそぉ……」
あぜんとエレーンは突っ立った。確かに今、何かいたのに。
だが、何度見直しても、何もない。もしや、今のは見間違い? 雲がそんな風に見えただけ? でも、だったら、あの声は──いや、あれは声などではない。
あえていうなら、あれは響きだ。輪郭をもたない、声として発される前の──意思そのものとでもいえばいいのか。
頭に直接、閃いた。
明らかに自分に呼びかけていた。だが、そもそも実体がないなら「声」も幻聴ということに──
安易な気がした。
それで片付けてしまうのは。確かに見たのだ。尾根でうごめく巨大な胴を。いや、あの双眸を知っているはずだ。
以前にも、どこかで遭遇している。あの異様な巨大な竜に。一体、いつのことだったか──。
商都に入る前だから、部隊で世話になっていた頃だ。見渡すかぎりの緑の原野を、ケネルの馬で南下していた。──そう、あの午後の霧立った樹海。ザイに追われて逃げこんだ深みで。霧に包まれたあの泉で。
おとぎ話に出てくるような、赤くて巨大な竜だった。
そして、手前にアレがいた。二足歩行する奇妙なトカゲが。ぬらぬら濡れた真っ黒の瞳で、ひたと見つめて人語を話した。そして、あの真っ赤なトカゲも、今と同じように「ツクヨミ」と呼んだ──
「……ど、どうなってんの」
ざわりと肌が粟立って、心許なく拳を握った。何かが起こりそうな胸騒ぎ。ケネルに軽くあしらわれ、あの時は反論を呑みこんだ。でも、二度も見たなら、夢じゃない。絶対あれは幻じゃない。
本能が警鐘を鳴らしていた。
未曾有の危機だと訴えていた。そう、だって確信がある。今とっさに逃げなければ、きっと、あの竜に
──喰われていた。
「不通かい? 辻馬車は」
鋭く、肩が跳ねあがる。
飛びあがって振り向けば、背後の街道に、男が二人。
この風体は旅人のようだ。どちらも日除けの旅装をまとい、その長い外套の裾が、轍のあぜ道で揺らいでいる。
「──え、ええ。そうみたいで」
いびつな違和感をとっさにぬぐって、エレーンはぎこちなく笑みを浮かべる。「私もそこの停留所で、しばらく待ってみたんですけど、やっぱり、まだ動いてないみたいで……え?」
二人を見返し、たじろいだ。気のせいだろうか。どこかで彼らを見た気がするのは。
どちらの男も汚れた靴で、年季の入った背嚢を片方の肩にかけている。強盗よけらしき長剣を、腰に無造作にさしている。右側に小太りの壮年。そして、三十半ばのメガネの男──
「……あっ!」
あの晩の光景が、脳裏をよぎった。卓上ランプの火が灯る、洞窟のように薄暗い壁。
うっすら部屋に立ちこめる紫煙。吸い殻であふれた卓の灰皿。積まれた硬貨と伏せられたカード。薄暗い廊下の先にある、商都五番街の斡旋所。夜の街路にボリスら三人を叩き出し、目の前で閉じたあの扉──
アールと呼ばれたメガネの横で、小太りの男がにやりと笑った。
「手分けして張った甲斐があったぜ」
診療所の一室に監禁した、あの男たちがそこにいた。
☆ おまけSS ☆
( 前頁 / TOP / 次頁 )
web拍手
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》