■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章39
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振り向いたケネルの鳩尾あたりで、黒い断髪の男の子供が、凛と涼やかな目を向けた。
「久しいの。粗暴な小娘」
「──こ、こむすめ、って」
しかも、粗暴?
出会いがしらの暴言に、エレーンはひるんで顔をゆがめる。どー見てもきっちり子供のガキに、あろうことか
──「小娘」って言われたー!?
てか、光沢のある白絹の、舞台衣装らしき装束と、眉と肩とで切り揃えた断髪。高飛車で生意気で奇妙な物言い、どうも、こいつ見覚えが……
ああっ! と子供に指をさす。
「あんた、あの時の変な子供っ!?」
ケネルの馬群で南下中、遊牧民のキャンプで会った、いつの間にかゲルにいて、お守りにしていた夢の石に「我のじゃ、返せ」などと因縁をつけ、当然嫌だと断ったらば「死ぬまで待つ」とかほざいた子供だ! もっとも、夢の石も生憎と──
無残な末路がふとよぎり、斜め上へと目をそらす。
首にかけた銀のチェーンを、もそもそメイド服の首からたぐり、誤魔化し笑いで子供に見せた。
「あー、これ。なんかごめん」
ぷらぷら揺れるチェーンの先には、ぽっかり空虚な金具の爪留め。
「あんた、欲しいって言ってたよね」
「取りあげてしまえば、滅すると、不憫に思い、猶予をやれば」
憂いを含んで、子供は嘆息。
「よもや 木っ端みじん とは」
あてつけがましく破壊を強調、肩を返して歩き出す。もう、貴様などには用はない、とでも言わんばかりに。
あ、ちょっとちょっと待ちなさいよー、とエレーンはその肩引っつかみ、軽い体を引き戻す。
なんじゃ、と見やった白けた顔に、むに、と口を尖らせた。
「だあって、しょうがないでしょー。勝手に破裂したんだから。そんなの、あたしのせいじゃないしぃ?」
「紛うかたなく其方のせいじゃ。無闇やたらと 《 あわい 》 を開けば、負荷がかかるも道理というもの。あれではいかな 《 極楽鳥の夢 》 といえども──」
「ゴクラクチョウの、ユメ?」
はあ? なに言ってんのこいつ……? とエレーンは顔をゆがめて眉根を寄せた。勝手に石ころに命名するとか、どんだけ執着してんだか。てか、芝居の世界に入り込みすぎ。
「──て、ちょっと待った! どこ行く気よ」
てくてく歩き出した子供に気づいて、白装束の肩をつかむ。「こら! あんた、迷子になるわよ。こんな得体の知れない所で、適当に歩きまわるとか」
「心配無用じゃ。我は詳しい」
「あっそー。詳しいんだ。だったら出口、教えてくんない? こんな所でのたれ死んだら、生まれ変わっても恨んでやるから」
「それはない。あいにく記憶は持っては行けぬ。意識が次の肉体に宿れば、真っ新な記憶が始まるからの」
「いや──だからって、あんたねー!」
「だから我は "あんた"ではない」
取り付く島もない子供の態度に、むっとエレーンは腕を組む。
「だったら、なんて呼べばいいのよー。あんたの名前とか知らないし」
子供が草履の足を止め、大儀そうに一瞥をくれた。
「我は天鳳。天翔の境域」
とん、と軽く、真新しい草履が地を蹴った。
ばさり、と白銀の翼が羽ばたく。
それはみるみる巨大化し、巨鳥が宙へと飛び立った。
鳥は輝きを振りまきながら、闇の彼方へ飛び去っていく。
「……行っちゃった」
ぽかんと、エレーンはそれを見送り、
そして、がっくり頭を抱えた。
惜しい。
詳しげだったのに。
「あー、もーっ! そしたら、どうやって外に出れば……」
今、何やら目の前で、子供が鳥に変身したが、もう、ちょっとやそっとじゃ驚かない。むしろ、こんな不可解な所で、ケネルと普通に立ち話する輩だ。
「あんたの顔も見納めか」
同じく行方をながめていたケネルだ。彼らしからぬ気弱な発言?
あわてて手を振り、振りかえる。
「ごっ、ごめんケネル、今のナシ! あのっ、」
手が伸び、背中を引き寄せられた。
腕で肩を引き寄せられ、ぎゅっと両手で抱きすくめられる。
「……え?」
エレーンはどぎまぎ瞬いた。突然の強い抱擁?
自分の肩に顔をうずめたケネルの様子をおろおろうかがう。「だ、大丈夫っ! たぶん、大丈夫なんとかなるから! 出口なら、アディーが知ってる人を──」
「話しておきたいことがある」
背に回した腕をゆるめ、ケネルが真顔で見おろした。
「ダドリーは、俺の親友だ」
一瞬、理解が追いつかず、エレーンはあぜんと首をかしげた。「……え?」
「ガキの頃、夏は毎年、ノースカレリアで過ごしていた。豊穣祭の窓口を、親父がしていた関係で」
そして、大人たちの会議の間、街を所在なく歩いていた子供は、子分を連れたガキ大将に会った。跡目争いとは当時は無縁で、放任されていた領家の三男、かのダドリー=クレストに。
「あんたの奴との結婚は、周囲の思惑を覆す、型破りの出来事だった。それを快く思わない北の貴族連中が、留守中、あんたの排除に動き、命を狙ってくるかもしれない。それで、あいつが、あんたの身柄を俺に託した。商都の様子を見に行くからと、護衛の依頼に来た時に」
「で、でも、そんなのあたし聞いてない。だったら、なんで、もっと早く──」
「さすがに大っぴらにはできないからな。カレリアの領主と遊民が、裏でつるんでいたなんて」
カレリア政府は基本的に、混血児の集団・遊民には、居住権さえ認めていない。
街の西部に異民街をかかえる特区の商都カレリアや、常時他国民が出入りする国境トラビア近辺であれば、差別意識は希薄だが、そうした遊民への反感は、地方へ行けば行くほど根強い。まして、クレスト領家の領有地は、中央の統制の及ばない、閉鎖的な最北端、かつて、異民狩りまで起こした地方だ。
「ディールが派兵したにせよ、俺たちとしては極端な話、あんたさえ無事なら問題なかった。あんたの身が危うくなれば、外へ移せば、それで済む。だが、あんたは使者と決裂し、勝手に戦端を開いてしまうし」
つまり、後のことを託されていたケネルは、勝手な真似をさせないために、参戦せざるを得なかった。
「あんたも薄々気づいていたろう。北の貴族が放った刺客に、あんたはつけ狙われていた。だが、人目のある街中で、剣呑な騒ぎはなるべく避けたい。だから、あんたを連れ出した。商都まで逃げ切れば、地元の刺客は振り切れるし、あんたの怪我を上手く治せる、腕の立つ闇医師もいる。まあ、アドルファスがあんたに斬りつけたのは、こっちとしても想定外だったが」
事情が明らかになってきて、エレーンは軽く唇を噛んだ。
「……そっか。そうよね。おかしいと思った」
微笑み、うつむいたその先で、ぎゅっと感覚のない手のひらを握る。
「それで、その報酬が──ダドリーに貸した部隊の対価と、あたしを保護する手間賃が、"影切の森の居住権"?」
彼らの協力を取り付けるため、宿のおじさんセヴィランさんと天幕群に押しかけたあの日、あの美麗な統領代理が、渋々おじさんに白状していた。
「あっと。なんて言うんだっけ、そういうの。ケネルたちの言葉では。──あ、"金ヅル"?」
ケネルがたじろいだように眉をひそめた。「……誰から聞いたんだ、そんな言葉を。だが、俺は──」
「来ないで!」
つかまれた腕を振り払った。
うっとケネルが顔をしかめて、腕をつかんでうずくまる。
思いがけない反応に、エレーンは戸惑い、後ずさる。腕を払っただけなのに──
「……ケネルなんか、大っ嫌い!」
それでも、たまらず踵を返した。
とにかく離れたい一心で、そのまま闇雲にエレーンは走る。
行く手にただよう胡乱な闇を、暗澹たる思いで、見るともなく見据える。重苦しい感情がこみあげた。
──偶然じゃ、なかった。
あの時、ケネルが通りかかったのは。
あの妾宅の裏道に。
義兄の屋敷で追い返されて、座りこんだ道端に。
ケネルは顔を確認しに来たのだ。ダドリーに頼まれた伴侶の顔を。だから、常にそばにいて、片時も離れず守ってくれた。友達のダドリーに
──頼まれたから。
彼との幾多の思い出が、色を失い、澱んでいく。心の支えになっていた、あの言葉がぐるぐる回る。
『 俺が行く 』
傭兵たちが卓に集った、白んだ酒場のような一室だった。窓辺で数人とたむろして、静かに見ていた黒い瞳。
そう、そんなうまい話があるわけないのだ。
見知らぬ女の苦境を見かねて、危険も厭わず力を尽くす。言いなりになって街を出て、大勢の馬群で周到に守り、はるばる商都まで送り届ける。何事も良いように計らってくれる。鈍くて不愛想でぶっきらぼうで朴念仁ではあるけれど、そんな彼だったから、
だからケネルに恋をした。
だからケネルに告白した。だからケネルに身を委ねた。なのに、ケネルは一番大事な話の要を、ずっと伏せて
──黙っていた。
わかってる。ケネルは集団の長たる立場。領邸と結んだ密約は、決して外部に漏らせない。万一そんな事故でも起こせば、政府に対する領家の立場を危うくするだけでなく、領民からの信頼が揺らぎかねない危機的な事態だ。豊穣祭でもない限り「遊民の領内逗留禁止」をこれまで公言してきただけに、それは領民への裏切りだ。──そんなことは、わかってる。領土ノースカレリアが、ディールの侵攻に遭った時、住民とローイたちの反目だって、実際この目で散々見たのだ。けれど、やっぱり、
──やりきれない。
様々な感情が黒々と、一時に胸に突きあげる。
膝からくずおれ、うずくまった。
「ひどいケネル……」
──ひどい! ひどい! ひどい!
もう、顔も見たくない。
ざわざわ闇が寄り集まって、うずくまった背後に立ちあがった。まるで主の命令を、忠実に実行するように。
闇の溜まりの盾の後ろで、膝をかかえて、うつぶせる。
ケネルが呼んでいる声がした。
気配が徐々に近づいてくる。エレーンはきつく眉をしかめる。
徐々に気配が遠のいた。手前で向きを変えたらしい。
顔をあげてうかがえば、ケネルは視線をめぐらせて、右手の彼方へ引き返していく。足元の黒い気溜まりの向こうで、膝を抱えていたこちらに気づかず。
「……なによ。嘘つき。ケネルの馬鹿」
涙が頬を滑り落ち、うつ伏せた顔を、エレーンはゆがめる。
無償の厚意は幻想だった。本当はダドリーが頼んだこと。全部ダドリーが頼んだこと。領土に残す妻の身を案じて。ケネルが親身だったのは、
──大事な友だちに頼まれたから。
「言わなかったじゃない。そんなことは一言も。だから、あたしだって勇気を出して、ケネルに告白したんじゃないよ……」
ふと、エレーンは眉をしかめた。
口をついた今の言葉で、何かの影がよぎったのだ。その満ち足りて幸せな残像は、ケネルと結ばれたあの晩の記憶──。
そういえば、ケネルは、あの晩、告白を遮ろうとした。何度か遮り、阻止しようとしていた。ケネルらしからぬ、あわてた様子で。もしや──
はっと可能性が閃いた。
もしや、ケネルは、あの時、打ち明けようとしたのではないか。のっぴきならない状態に気づいて。
なのに、脇に押しやった。それどころじゃなかったから。クリスの話を聞かされるのだと思ったから。聞きたくないから話を封じた。そういえば、ケネルはあの時も、「話がある」と言っていた。つまり、自分が、
──嘘をつかせた?
息を詰めていた唇を、薄くひらいて、また閉じる。言葉にならない。
だって、まさか思わない。自分のあの告白が、ケネルの機会を奪っていたとは。
今になって切り出したのは、もう後がないと思ったからか。
得体の知れないこんな場所では、いつ何が起きて不思議はない。二人でまともに話せるのは、これが最後になるかも知れない。だから、本来、公にしてはならない密約を──
彼は、事前に伝えようとしていた。
後戻りできなくなる前に。二人の関係を決定的にする、こちらの「告白」を聞く前に。
そのケネルを罵倒して、こんな所まで逃げ出してしまった。「大嫌い」の言葉まで浴びせて。
「……二度と言わないって、決めてたのに」
ふさいだ胸に、祖父の最後の手紙がよぎった。侘しい病床で自分を待ちわび、独り逝った面影が。
あの日、領邸の執務室で、喧嘩別れをしたのを最後に、会えなくなったダドリーの顔も。
自己嫌悪でいっぱいになり、額を膝にすりつける。「もう! なにやってんの! あたしってバカ? なんで何度も同じことを!」
ああ、まったく、何度くり返せば、気が済むのか。
「……謝らないと」
ぽろりと、つぶやきが口からこぼれた。
自分の声にはっとして、すっく、と盾から立ちあがる。
亡くなった祖父やダドリーとの関係修復は厳しくても、ケネルならば、間に合うはず!
姿を求め、闇に視線をめぐらせた。
そわそわエレーンは引き返す。こんなふうに別れたままで、またケネルを
──失いたくない。
じりじりしながら、姿を捜した。
突き飛ばしたわけでもないのに、ケネルはさっき、うずくまっていた。そういえば、さっき、あの子供と──テンポーと立ち話をしているのを見かけた時、腕から血を流していた。あの傷が深かった? まさか、トラビアの戦闘で、兵士に斬りつけられていた……?
気持ちが暗くざわめいて、踏み出す足も、もどかしい。ここは思念や不思議な巨鳥が、飛び交うような異質な空間。いつ、また彼の元に、辿りつけなくなっても不思議はないのだ。
それでも、その全身を、温かな安堵感が包んでいた。だって、これで、また戻れる──
「あ、だけど、なんて言って戻ったら……」
罵って出てきてしまった手前、戻るとなると、どうにも気まずい。
ここは、あまり深刻ぶらずに「ごめんね〜。ちょっと拗ねてました〜」くらいで、軽く笑って誤魔化して……あっ、うん。それがいい!
だって、やっぱり、帰りたい。
ケネルの元に、帰りたい──!
ふと、異変を感じて、目をあげた。
……音だ。
なんの音だろう。しゅう、しゅう、蒸気があがるような──
困惑して足を止め、異音の出所をきょろきょろ探す。
むんず、と足首をつかまれた。
踏み出す自由が急に奪われ、ぎくり、とエレーンは足元を見る。
何かが湯気をあげていた。滞留した気溜まりから、ぞろり、と肩が這い上がる。
「こんな所にいやがったか」
クッ、としゃがれた声が喉を鳴らした。
続いて体が這い上がる。体中から粒子が流出、どろどろ端から溶けかかっている。
目元を覆う蓬髪の向こうで、男の顔が目をあげた。
四十絡み、いや、五十を超えているだろうか。土気色のこけた頬。顔色がひどく悪い。何かどこかで見た顔だ。
そう、倦んだように濁った眼、艶のない黒い蓬髪、そして、おそらくうなじには、黒障病の黒いあざ──。
ぎょっとエレーンは後ずさった。
「な、なんで、ここに……」
そう、そこにいたのはレーヌの海賊。誰あろう、あの、
──ジャイルズさんかー!?
【 関連頁 】 天鳳、出現場所 第2部3章9話7〜8
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