番外編 「メガネちゃん狂想曲」2 ──第2部5章 11話 「岐路 」7 から分岐
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「──セレスタン。まあた、お前かよ〜」
 寝台で雑誌を見ていたバパは、セレスタンの顔を見るなり、もそもそ上掛けにもぐりこんだ。「俺は今、眠いの」
 相手の顔つきを見ただけで面倒事と察したらしい。
「そんな殺生なこと言わないで、力貸してくださいよ。ねっ、頭(かしら)?」 
 バパに取りつき、セレスタンはゆさゆさ肩をゆする。
 ザイと彼女の仔細を説明。三度の飯より噂好きな首長のこと、すぐにも乗り出してくるだろう。
 ちら、とバパは横目で見た。そして、あくび交じりで背を向けた。
「ほっとけよ」
「……え?」
 セレスタンは拍子抜けして、またたいた。意外にも、シーツに逃げこみ、出てこない。
「もー。いつになく薄情じゃないっすか〜。ねえ、かしら〜」
 引っぱられたシーツを引っぱり戻して、バパは更に潜りこむ。「だから、ほっとけって。そういうのはな、はたがいじっちゃいけねえんだよ」
「ウォードの時には、相談に乗ってやってたじゃないっすか〜」
「あいつはまだ、ガキんちょじゃねえかよ」
 バパは面倒そうにあくびする。「別にザイから相談もちかけられたわけでもあるまいによ。口説き方も、連れこみ方も、万事あいつは心得てんだろ? だったら俺の出る幕はねえよ」
 手だけを出して、ひらひら振る。はい、終わり、というように。
「だからぁー。そういう下世話な話じゃなくてすねー」
 セレスタンはやれやれと腕を組む。「言ったでしょ? メガネちゃんはもっと、うぶでまっすぐな女の子なんすよ。男と接した経験なんて、きっと全然ないんすよ。それが、いきなりザイですよ? あの毒舌で苛められたら可哀相じゃないっすかー。頭(かしら)だって、親として責任感じるでしょー?」
「んー……ない」
 中身をはしょった雑な返事に、セレスタンは口を尖らせた。
「そんなにザイが恐いんすか?」
「そんなことは言ってないだろ?」
 むっくり、バパは起きあがる。
「なら!」
「でもダ〜メ」
 ごろり、と再び横になる。
「──ねえー。かしらぁ〜」
「大丈夫だよ。奴だって、いつまでもガキじゃねえんだからさ」
「ザイをガキだなんて思ったことは、一度だってありませんよ」
 セレスタンは白けて嘆息する。
 腕枕で寝転んで、バパは小さく苦笑い。「俺から見れば、まだまだガキだよ、ザイの野郎も、お前もな。──しかし、あの、、ザイが色恋沙汰とはな。いやはや青春って奴だねえ」
「ま〜た、そんな他人事みたいに」
「ん? だって他人事だろ?」
「頭(かしら)も早く体治して、よろしくやりゃあいいじゃないすか。知ってんすよ? 飲み屋に行くたび、店の女に言い寄られてんの。商都で待機なんて好遇は、めったにあることじゃないっすよ」
 腕枕の横顔で、バパは困ったように苦笑いする。「……いや、俺はいいよ」
「ねえ、頭(かしら)、らしくないすよ」
 相変わらずのその様に、セレスタンは嘆息した。「聞いてましたよ、頭(かしら)の噂は。一人でシマ張ってる頃は、派手に遊んでたようじゃないっすか」
「──ああ。ずいぶん馬鹿もしたっけな」
 背を向けたまま、バパは応える。
 だが、それきり口をつぐんでしまった。この話になると、いつも、こうだ。
「もう、いいじゃないっすか」
 その態度にたまりかね、セレスタンは思いあまって顔をあげた。
「義理は十分果たしたでしょうに。トレイシーさんが亡くなったのは、もうずいぶん昔でしょう」
「──あいつには」
 じっと寝たふりを決め込んでいたバパが、ふと目をあけ、口をひらいた。
「トレイシーには、金さえ届けりゃ文句はないだろうと思っていた。あの頃の俺ときたら、賭場に顔を出しては飲み歩き、夜ごと女を取り替えて、長らく家にも帰らなかった。
 あいつは何通も手紙を寄越した。だが、ろくに目も通さなかった。中身はどうせ知れているからな。細々とした近況と、いつ帰るのかって催促だ。一度も返事は書かなかった。油断をしていたんだよ。一度手に入れれば俺のもの、未来永劫なくなりはしない──今にして思えば、とんだ独りよがりだが。
 その手紙もふっつり途絶えて、さすがにヤバイと家に戻った。だが、巷でよく言うように、ものの価値は失くして初めて気づくんだよな。まったく俺は傲慢で、とんでもなく迂闊だった。まるで思いもしなかったんだよ、別の女とよろしくやってるその時に、虫の息の死の床で、俺を呼んでいたなんて」
「……頭(かしら)」
 思わぬ話に、セレスタンは言葉を失う。それに気づきもせぬように、バパは続けた。
「戻った時には、家はすっかり片付いて、あいつの姿はどこにもなかった。結局俺は、女房の死に目に会えないどころか、葬儀にさえ間に合わなかった。なにせ俺が戻ったのは、それから二年も後だからな」
「……ずい分長く、会ってなかったんすね」
「それでも、想像が、ついちまうんだよな。あいつがどんな顔で、あの手紙を書いていたか。どんなふうに椅子に腰かけ、どんなふうにペンを握り、どんな顔で物思いにふけって、窓から空を見ていたか。毎日部屋を片付けて、窓辺の花瓶に花を飾り、通りの先を戸口からながめて、一日に何度も、日が暮れるまで──」
 ──ねえ。いつになったら、戻ってくるの?
 彼女の遠い後ろ姿に、バパは眉をしかめて目を閉じる。
 ふと、我に返ったように身じろいだ。
「悪い。湿っぽい話になっちまったな」
 黙り込んだ相手に気づいたらしい。さばさば声を切り替える。
「なんにせよ、ザイにはザイの考えがあるさ。お前も野暮な真似はするんじゃねえぞ」
 ふと、セレスタンも我にかえる。「──あ、でも、ザイの奴、ほっといたら、ひどいこと言いそうな気がして」
「それならそれで仕方がないだろ。乗るも逸れるも当人二人の問題だ。血反吐はくような眠れぬ夜も、押し潰されそうな後悔も、生涯当人が背負うんだ。だからなセレスタン、そういうものは、肩代わりできない赤の他人が無闇にいじっちゃいけねえんだよ」
「でも、俺は──」
「いいから、お前も手を出すな。ザイにも、そのオフィーリアちゃんにも」
「──え?」
 ぽかん、とセレスタンは見返した。「……ねえ、かしら?」と己を指さす。
「俺、言いましたっけ? メガネちゃんの名前、、
 さわり、と窓辺で梢がゆれた。
 遠い路地から、怒鳴り声。
「……なんか腰が、痛くてよ〜」
 そろり、とセレスタンから目をそらし、バパはもそもそシーツを被った。
 密かに気を揉んでいたらしい。
 
 

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