【ディール急襲】 第3部2章

interval 〜 神々の庭 3 〜
 
( →  「神々の庭」1  )

 
 

「おいっ! ガスパルっ!」
 斜面を登るその前に、ダイが憤然と走り出た。
「ガスパルさん・・だろ」
 そつなくガスパルは呼び名を訂正、歯牙にもかけずに行きすぎる。
 ダイは回りこんで足を踏ん張る。「謝れっ!」
「な〜に言ってんだか、ガキんちょが」
「謝れ! ヨハンに謝れよっ!」
「──あん? なんだってんだ。どけよ、くそガキ」
 ぞんざいに片手で押しのけられて、軽い体があっけなく転がる。
 すぐに跳ね起き、ダイがズボンに飛びついた。
「泣かしただろ、ヨハンのこと! ヨハンに謝れよっ! やっつけるぞっ!」
 全力で服を引っぱられ、ガスパルがうるさげに見おろした。
「本当だぞっ! やっつけるぞっ! お前なんか、ぺっちゃんこだぞっ!」
 面倒そうに顔をしかめて、身じろぎ、ダイへと身をかがめる。
 ピン、と指で、額を弾いた。
「あっそ」
 額を押さえたダイをしり目に、野草の斜面を登っていく。
「やれるもんなら、やってみな」
 街道に停めた幌馬車にもたれて、ギイはいさかいを見届けていた。
「──駄目か」
 煙草をくわえて点火する。
 乾いた土道の街道にあがり、ぶらぶらガスパルがやって来る。ギイは昼空に紫煙を吐いた。「どうだ」
「かかりませんね」
 歩く横顔でガスパルは報告、草を食む馬へと足を向ける。街道に広がる夏空を仰いだ。
「そろそろ出ますか、昼飯に」


 子供は天使、とはよく言ったものだ。
 日陰の卓から窓辺をながめ、ギイはつくづく感じ入る。
 細い頭髪の輪郭が、夏日に消え入りそうに輝いていた。
 店の腰窓に椅子をつけ、開け放った窓から乗り出し、男児が街路樹を見あげている。同年代と比べても華奢であるのだろうヨハンの背は、ずっと窓辺に貼りついたままだ。
 そうまでして熱心に何を見ているのかと思いきや、枝葉をよぎったのは黒っぽい影。スズメの雛か何かがいるのだろうか。隣の椅子の背に手を伸ばし、ギイは上着の懐を探る。
 ふと、手を止め、引きあげた。自分の膝に目線を下ろせば、いとけない女児の寝顔。
 やれやれと嘆息し、食後の一服は諦めた。
 目が見えないプリシラのために、皿の肉を切り分けてやり、口に運んでやっていたが、まだいくらも食べないうちに、又も眠りこけてしまったのだ。隣の椅子に下ろしてもいいが、結局、律儀に抱きかかえている。
 動かして子供を起こすのは、何とはなしにためらわれた。女児の体力を削っているのは、自分であるとの自覚はある。
 
 この行程の目的は、クレスト領家の現当主、ダドリーの身柄の奪還だが、プリシラが透視した、たどたどしい話を総括すると、彼は収監された地下牢を脱出したのみならず、なんと手ずから采配を振っているらしい。
 誰かが死んで・・・・・・、その地位に就いた──つまりはそうした話らしいが、死亡で譲位した人物については、ついに特定できなかった。
 やはり、語彙の不足が致命的だった。「偉い人」というだけで見当をつけるのは至難の業だ。指揮権を奪取したなら軍人だろうが、顔ぶれを高官に絞っても、その数はそれなりに多い。
 そして、ダドリー=クレストは、侵攻中のラトキエに和解を働きかけるつもりらしい。
 自らの危険を冒してまで、わざわざ介入したその理由は「男の子をかばうため」 この「男の子」が誰かについても「牢に遊びに来ていた子」と言うばかりで「死んだ偉い人」と同じく要領を得ない。
 とはいえ、この際問題なのは、お家事情でも交友関係でもない。ダドリー=クレストの意向の方だ。無謀な真似を即刻やめさせ、身柄を確保、早急に離脱させねばならない。
 ディールは商都を急襲し、散々ラトキエを焚き付けてきたのだ。この期に及んで和解などとは馬鹿げている。
 
 昼時を過ぎ、ほの暗い食堂に、人影はまばらだ。
 戸口の卓で飯をかっこむ男が一人。疲れた様子で卓に突っ伏した人足が一人。店の隅の板場では、白前掛けの初老の店主が、新聞を広げて、あくびをしている。やんちゃ盛りの子供がいるため、混みあう昼時は避けるようにしている。
 飽きもせずに外を見る背に、ギイは舌打ちして声をかけた。
「いい加減にして、飯を食えヨハン。お前、もういいのかよ」
 男児は窓に張りついたまま、返事どころか見向きもしない。ふと、ギイは気がついて、顔をしかめて頭を掻いた。
「──ああ、聞こえねえんだったか」
 周囲に遅れをとらぬほど勘が良いので忘れがちだが、ヨハンは耳が聞こえない。ああして背を向けてしまったら、触らなければ気づかない。だが、膝ではプリシラが寝ているし、腕を伸ばしても届かない。
 ヨハンの食いかけの皿を見やって、ギイは注意を諦めた。一応半分は食っているから、本人としては、食事は済ませたつもりなのだろう。まあ、五歳いつつの子供のことだ。半分も食えば上出来か。
 子供らは食堂の定食より、甘いパンばかりを欲しがるが、食事はきちんととらせるようにしている。ただでさえ夏場は消耗する。まして体力のない子供など、言われるがままに与えていては、あっという間に衰弱する。
 窓の手すりを両手でつかんで、ヨハンはまだ動かない。そういえば日頃から、よく鳥を見ているようだ。よほど鳥が好きなのか、雑木林は言うに及ばず、町の木枝にとまっていても、すぐに居場所を見つけ出す。
「──はーなーせーっ!」
 捨て鉢なわめき声が、大音量で天井に響いた。
「はなせっ! はなせよガスパルっ! ばかガスパルーっ!」
 怒鳴りつけるような子供の声──わんぱく坊主のあの・・ダイだ。店に入ってくるガスパルに、逆さでかかえられている。
「ガスパルさん・・だろ」
 訂正しがてら、よっこらせ、と、ガスパルは板床にダイを下ろす。
「反省したかよ、いたずら坊主。言うことを聞かないから、こういう目に遭うんだぞ」
 地に足が着いた途端、すばやくダイが体をひねった。
「あっ──痛って!?」
 顔をゆがめてガスパルがかがみ、飛び蹴りを食らった膝裏を押さえる。「たく。言ってるそばから、これなんだからよ」
 べえっ、とダイは舌を出し、用足しから戻ってきたクレーメンスに突進する。
「ご苦労さん」
 卓に戻ってきたガスパルに、ギイは声をかけ、カップをすすった。「大仕事だな」
「どうも。お陰で やりがいを 感じてますよ」
 皮肉たっぷりにガスパルは返す。
「グリフィスは?」
「遅れているようっすね」
「参ったね。あいつが来れば、もう少し情報が入るんだがな」
「──じゃ、かしら
 ガスパルは席に着くことなく、戻ったクレーメンスに目配せした。
「ちょっと、煙草・・喫ってきます・・・・・・
 クレーメンスも椅子から荷物をとる。隠れるようにしてまとわりついた、後ろの子供に顔をしかめた。
「ダイ、大人しくするんだぞ。かしらの言うことをよく聞いて。いいか。店の中を駆けまわるなよ。いたずらするなよ、駄目だからな。いいな、お前、わかったな」
 くどいほどに釘をさし、窓辺のヨハンを見やって、振り向く。
かしら、しばらく頼みます」
 二人の背が出口へ進み、扉をあけて、店から出ていく。
 口を尖らせたふくれっ面で、ダイが椅子によじ登った。
「──あんまり世話をかけるんじゃねえよ」
 ギイは頬杖で顔をしかめた。
ガスパルやつはともかく、クレーメンスが大変だろう」
 ダイは口を尖らせて横を向く。「あの太っちょがノロマなんだ」
「なんだかんだ言っても、お前、クレーメンスは蹴らないんだな」
「──太っちょは」
 珍しく言い淀み、ちら、と窓辺に目をやった。
 決まり悪げに目をそらし、口の中でもそもそ言う。「……太っちょは、ヨハンに優しいから」
 ぷい、と椅子から飛び降りた。
 伏せたコップが積んであるカウンターの端へ駆けていく。片手にコップを握っているから、水のおかわりを取りに行ったらしい。
 ギイは窓辺に目を戻す。
「──たいがい苛められるもんだがな、ああいう大人しい奴ってのは」
 ダイはあの通りのわんぱくで、ヨハンは線が細く、弱々しい。それどころか口もきけない。いわば、ダイより格下・・だ。だが、ダイはヨハンを見下してはいない。当たり前のようにプリシラが言うには、むしろ一目置いているらしい。
「だって、ヨハンはすごいもん」
 内緒話をするように顔を寄せ、プリシラが語ったところによれば、実は、あのか細いヨハンも、秘めたる力の所持者なのだという。
 声を持たない少年は、ヒトには「見えない者」と語らい、ヒトには「聞こえぬ音」を聞く。
 それは世界がひずむ音。
 時空が軋みをあげる音。──確かに桁外れな力だが、例えそれがあったとて、一体なんの役に立つ。
 常に共に在ることで、力を制御する三人の子供。
 プリシラの《 透視 》 ヨハンの《 語らい 》 だが、そういうこと・・・・・・であるならば──
「さてと。こっちも戻るとするか」
 例の件の頃合をみて、ギイはおもむろに席を立った。
 先に出た二人の部下は、街道に停めた幌馬車まで一足先に戻ったはずだ。眠ったプリシラを肩に抱きあげ、男児二人をそれぞれ促す。
 勘定を済ませて、店を出た。
 はしゃいで駆けまわる男児二人を、諌めながら町を抜け、夏日の道をぶらぶら戻る。
 街道に出て幌馬車に到着、荷台の奥の籐かごに、眠った女児を横たえる。
「おい! マジでわかってんのかよ!」
 怒鳴り声が、外から聞こえた。たまりかねたようなガスパルの声。
 幌をめくり、ギイは荷台の外に出た。馬車を離れて、そちらへ歩く。しゃがみこんだ道端で、頭を寄せていた男児二人が、おそるおそる立ちあがる。
「あんたがそうやって甘やかすから、ガギどもがつけあがるんだよ!」
 クレーメンスの胸倉つかみ、ガスパルが険しい顔で詰め寄っていた。
 街道の大木に押し付けられて、クレーメンスは顔をゆがめる。
「あんたはいいよなあ、日がなガキと遊び呆けて。そのしわ寄せを、誰が食らってると思ってんだよっ!」
「──いじめるなっ!」
 怒鳴って、ダイが駆け出した。
 クレーメンスを締めあげる腕に、噛みつかんばかりの形相で取りつく。
「太っちょをいじめるなっ! なにやってんだよ! ばかガスパルっ!」
「──うるせえな!」
 腕を無闇に叩かれて、ガスパルが舌打ちで振り向いた。
 腰にしがみついたダイの肩を、うるさそうに引き剥がし、乾いた土道に突き飛ばす。
「ガキは引っこんでろ」
 たやすく子供が転がった。
 道に仰向けに倒れたままで、ダイは顔をしかめている。転んだ拍子に背中でも打ったか──。さすがに心配になり、ギイも踏み出す。
 のろのろダイが起きあがった。
 膝を立てて立ちあがり、憎々しげにガスパルを見る。
「お前が悪いんだからなっ!」
 ギギ……と重い音がした。
 不気味な軋み。何かが壊れる予兆のような──喩えるならば、家屋が倒壊するかのような。不穏な気配に眉をひそめ、ギイは視線を巡らせる。どこだ。今の音源は──
 見咎め、鋭く息を呑んだ。
 夏日に乾いた街道から、わずかに車輪が浮いていた。
 ぶわり、と風をうならせて、それが頭上に浮きあがる。
 子供を含め総勢六名を運んできた大きな幌馬車を従えて、ダイが立ちはだかっていた。
 瞳は底知れぬ輝きを放ち、ひたとガスパルに据えられている。
 ギギィ……と不穏に車体が傾いだ。
 青く澄んだ夏空に、ぐらり、と大型の幌馬車が揺らぐ。狙いを定めているかのように。
 すばやくガスパルが飛びのいた。
 左右どちらへでも避けられるよう、身を低くして、慎重に構える。
 ヨハンもクレーメンスも動けない。誰もが予想だにしなかった事態に、目をみはって立ち尽くすばかりだ。ダイは足を踏ん張って、ガスパルの顔を睨んでいる。
「そこまでだ!」
 ギイは一喝、ダイを見た。
「よせ、ダイ。そこまでだ」
 だが、小さな体は身じろぎもしない。
 空に浮いた幌馬車が、ゆらり、ゆらりと揺らいでいた。キイ……キイ……と不気味な音で車体が軋む。
「聞く気はないか。──そうかよ。わかった」
 すらり、とギイは、腰に佩いた短刀を抜いた。
「それなら、お前はここまで・・・・だ」
 ぎくり、とダイの肩がすくむ。
 ダン──と大地を震わせて、馬車が地面に落下した。
 もうもうと土煙が立ちこめる中、ダイがぎこちない動きで振りかえる。
 目をみはって後ずさり、ガスパルに指を突きつけた。「だって、あいつが!」
「甘ったれて勘違いするなよ。たとえガキでも、許されないことがある」
 軽く口を開けたまま、ダイは言葉を返さない。いや、返せない。唇をわななかせ、呆然と立ち尽くしている。がくがく膝を震わせて、その目は白刃に釘付けだ。
「──もう十分でしょう、かしら
 たまりかねたようにクレーメンスが動いた。
 転げるように走り出て、棒立ちのダイを引っかかえる。
「相手はまだガキですよ。そんな物騒な物はしまって下さい。ダイには言って聞かせますから」
「引っこんでいろ、クレーメンス。俺はダイと話している」
 顔をしかめてギイは一蹴、怯えた子供に目を向けた。
馬車そいつで何をするつもりだった」
 ダイはうつむき、腕で乱暴に目元をぬぐう。「だって、あいつが──」
「お前が部下を攻撃するなら、お前は今から俺たちの敵だ」
 ついに辛抱できなくなったように、クレーメンスの胴にしがみついた。
「ごめんなさい……ごめんなさい! ぼく、もうしないから!」
「──よおし。いい子だ!」
 わんわん泣き出した子供の頭を、クレーメンスは抱きしめる。「大丈夫だ。大丈夫だからな、ダイ」
 泣きじゃくる頭を手荒になで、非難を含んだ目を向けた。
「もう連れて行っても構いませんよね」
「ダイ、頭を冷やせ」
 言い捨て、ギイは刃を戻す。
 しがみついて泣いているダイを、クレーメンスが肩に抱きあげた。幌馬車へ向かうその背に気づいて、ヨハンもあたふた追いかける。
 皆が乗り込み、幌が降りた。
 ぶらぶら近づく気配に気づいて、ギイは渋い顔で懐を探る。「──やりすぎだ」
「でも、これでわかったでしょ? ダイ奴さん能力ちからが、どれほどのものか・・・・・・・・
 ガスパルは平然と肩をすくめた。常と変わらぬ顔つきは、特に堪えた様子もない。
「お遊びなんざ見破りますって。ガキは勘がいいすから。しかし、たまげましたね。石っころが飛んでくるくらいは、俺も覚悟はしてましたが、まさか、馬車を持ちあげるたァね」
 つくづくというように、ダイが乗りこんだ幌馬車を見る。
「やばかったっすね、あんな馬車ものが飛んできた日には。正直さすがに逃げられたかどうか」
 下敷きになれば、柔な人間など一溜まりもない。
「ご苦労さん。お陰で、とんでもねえ武器・・が手に入った」
 煙草をくわえて、その先に火を点け、にやり、とギイは口端をあげた。
「何でも試してみるもんだな」 

 
 
 

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