interval 〜 神々の庭 5 〜
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町から駆けつけた二人の鳥師は、穀物袋の偽装をまとった小さな遺体を引き取りながら、非難と嫌悪の目を向けた。
「こんな小さな子供まで……」
声を震わせた絶句の先は、訊かずとも誰もがわかった。"こんな小さな子供まで──"
── ロムは殺してしまうのか。
「丁重に弔ってやってくれ」
ギイは穀物袋に手を入れて、子供の柔らかな髪をなでた。しん、と固まった華奢な体は、かの手配師が用意した上質の毛布で包まれている。
鳥師の一人が御者台に乗りこみ、穀物袋を一人が抱えて馬車の荷台に乗りこんだ。
少女は荼毘に付された後、海に還ることになる。遺体を引き取った鳥師の町は、トラビア街道沿いに位置するため、少女の水葬を行う場所は、拠点の町から比較的近い、激流渦まく内海になる。波のおだやかな外海ではなく──。まだ幼い女児の身には、思えば不憫な話だった。
ゆっくり荷馬車は動き出し、街道を東へ離れてゆく。
夕刻の街道にギイは立ち、部下の地図屋ガスパルとともに、その旅立ちを見送った。丸眼鏡の部下クレーメンスは、街道に停めた幌馬車の中で、男児二人についている。
「なぜ反論しないんだ」
抑揚のない傍らの口調は、新顔の鳥師のものだった。少女の死を受け、町と連絡をとったのが、皮肉なことに初仕事となった。
ギイは自嘲をこめて苦笑いする。「俺が殺したも同然だからな」
「あんたの肩を持つわけじゃないが」
遠ざかる荷馬車を見送りながら、鳥師グリフィスは横顔で続ける。
「手を下したのは、あんたらじゃない。子供が行方知れずになった時、あんたらはあの野原にいた」
「後から何を言ったところで、つまるところ、結果がすべてだ」
「いいのか、それで」
切れ長の目が、諫めるように一瞥をくれる。
「連中、すぐに触れまわるぞ」
── ロムが子供を殺した、と。
ギイは懐を探って煙草を取り出し、一本くわえて火を点ける。
一服、夕焼けの空に目を細めた。
「今に始まったことでもねえよ」
月夜に開けた木窓の外で、夏虫がリーリー鳴いていた。
閉店した食堂に、客の姿はすでにない。明かりの落とされた薄暗いホールに、卓上のランプがほのかに揺れる。
「一体、どこのどいつですかね」
酒瓶の口をグラスに傾け、ガスパルは片手でウサギのぬいぐるみをもてあそぶ。あの現場から拾ってきた、少女が直前まで抱きしめていたものだ。一緒に持たせてやるはずが、忘れたままになってしまった。
「──くそっ。なんで、こんなことになったんだか」
飄然と構えたあの地図屋が、こんなふうに毒づくのは珍しいことだ。椅子の背に腕をかけ、ギイは眉をしかめて額を揉む。「──どんな手を使いやがった」
犯人の目星はつかなかった。
むしろ見当もつかなかった。恨みを買うには少女は幼く、理由も動機も見当たらない。ならば、付近の通り魔の類いか。いや、誰であるにせよ、そもそも、どうやって連れ出した。
死の直前までプリシラは、あの場にいた全員の、目の届く場所にいた。
野草の斜面に座っていたのだ。それについては、少し離れてクレーメンスが、子供らと遊んでいた新顔の鳥師が、それぞれ姿を確認している。
街道脇の野原はひらけ、街道を往く姿は目立つ。まして街道を降りくだり、少女に近づく者あらば、人目につかないはずがない。だというのに誰ひとり、いかなる不審者も見ていない。
つまり、少女は、忽然と消えたのだ。衆人環視のただ中で。
そして、不可解な点は、もう一つ。
幼くか細い首の朱は、少女が何者かに扼殺されたことを示していた。だが、
「──どうなっていやがる」
ギイは天井を凝視する。
わからないのは、遺体が浮かべていたあの表情だ。懐かしい顔に出会ったような、どこかほっとしたような微笑み──。
「だから、だめだって言ったんだ」
甲高い声に振り向けば、小さな人影が階段にあった。
ランプの灯りの届かない、暗がりから歩み出る。小柄な肩。華奢な手足。眉でまっすぐに切りそろえた前髪。
「ぼくらが国主にかなうわけないのに」
軽い溜息で足を止め、ダイはガスパルに目を向けた。
「ガスパル、約束して」
「──明日にしろよ」
億劫そうに顔をしかめて、ガスパルは片手で子供をあしらう。「ガキは寝る時間だぞ」
「ぼくがなんにもわからなくなって、ぼくのすること止められなくなったら」
ダイは構わず目を据えた。
「あんたがぼくを殺してよ」
無言で、ガスパルはダイを見やった。
卓上ランプの揺らぎの中、冷ややかな無表情でながめやり、怒気をはらんで声を落とす。「──なんで俺が、お前を殺さにゃなんねえんだ」
「考えたんだ。ガスパルなら、できるって。あの狼にやったみたいに」
「──は。何言ってんだか、チビ助が。くだらねえこと言ってねえで、ガキはとっととお寝んねしろよ」
「いいんだ、ぼく。ガスパルなら」
ガスパルが面食らって目をすがめた。
舌打ちして目をそらす。「──勝手に決めんな。俺は承知してねえぞ」
「でも、ぜったい痛くすんなよな」
くるり、とダイが背を向けた。
暗がりに沈むホールの片隅、階段の方へ駆けていく。
そこにいた人影に、両手を広げて飛びついた。
「太っちょ!」
暗い階段を降りてきたのは、あのクレーメンスだったらしい。小太りの腹に飛びつかれ、たじろいだように人影が揺れた。
「こ、こら、ダイ。いきなり、どうした……」
二階で子供を寝かしつけていたはずだが、寝床を抜け出したダイに気づいて、探しにやってきたのだろう。
ダイは構わず、クレーメンスの体をよじ登る。
「なんだ、抱っこか? おいおい、赤ちゃんみたいだぞ」
軽くかがんでダイを抱きあげ、クレーメンスは肩へとしょいあげる。「ほら、部屋に戻ろうな。ヨハンはもう寝ちまったぞ」
「太っちょ。ぼくさ──本当は、ぼく──」
その首にしがみつき、ダイは首筋に潜りこむ。
何事か聞いたらしいクレーメンスが、あぜんとダイを見返した。
子供の頭を笑ってなで、ゆっくり階段をあがっていく。「さ、お前も、もう寝るぞ」
椅子の背に片腕をかけ、ギイは天井に紫煙を吐いた。
その姿が視界から消えてから、卓の向かいを目端で促す。「どう思う」
片手のウサギを眺めたままで、ガスパルはおもむろに口を開いた。
「アレ、ですかね、やっぱり」
誰も口には出さずとも、誰もがそれを意識している。
──"三"の厄難。
三歳、六歳、九歳と、両親ともに遊民である奇形児は「三」に倍する年齢で死ぬ。
「始まった、か」
もたれて椅子の背を倒し、ギイは天井の暗がりを睨んだ。
思いがけないプリシラの死。自分の暴走を前提にした、今しがたのダイの口ぶり。放牧キャンプのゲルの裏、初めて出会ったあの時から、死を覚悟していた子供たち──。
階段の軋みに気がついて、ふと、ギイは振りかえる。「──ご苦労さん。寝たか、連中」
ダイを連れていったクレーメンスだった。
やつれた頬で微笑を作り、暗い階段を下りてくる。「愚図られるかと思いましたが、あいつら案外あっさりしていて」
「それで奴さん、なんだって?」
今のダイの内緒話についてだ。
薄暗いホールを突っ切って、クレーメンスは卓へと歩み寄る。照れたように苦笑いしながら、闇に沈む階段を見やった。「──それが、ダイの奴」
耳元で、こう囁いたのだという。懸命にしがみつき、言い訳するような口ぶりで。
『 ぼく、大好きだからね? 太っちょのこと 』
クレーメンスの横顔が、思いを馳せるように目を細めた。「堪えているんでしょうかね、子供なりに。なんでもない顔してますけど」
「──そういや変だったな、あの連中」
片隅で、乾いた声がした。
少し離れて飲んでいた鳥師だ。グリフィスはいぶかしげに顎をなで、怪訝そうな一同に目を戻す。
「あの子が見つかる少し前」
遺体発見の少し前、青鳥を構っていた男児二人の、様子がいささか奇妙だったという。
動きを止めて、つかの間たたずみ、魂が抜けたように虚空を見つめ──
ふっと生気を取り戻した──そんなふうに見えたのだと。
そして、何事もなく遊びに戻った。
「あの時は、人形みたいに固まっていたな」
抑揚なく続ける声に、誰からともなく目配せした。
ダイとヨハンの二人の男児は、訃報を伝えたクレーメンスの顔を、何を言うでもなくただ見ていた。泣くでもなく。取り乱すでもなく。そのあまりの素っ気なさに、大人の方が面食らったほどだ。この鳥師の話を勘案すれば、もしや、二人はその時点で、
──既にすべてを了解していた。
いや、事が始まる、ずっとはるか以前から。おそらくは出会った当初から。
放牧キャンプで肩寄せ合った、子供らの瞳がよみがえる。
『 殺しにきた? ぼくらのこと 』
夜更けの場末の食堂に、紫煙が気だるく立ちこめていた。
虚脱が度し難くわだかまっている。明日のことを、考えるべき時だった。こうしてダイが、次の展開を提示してきた以上。
子供らによれば、鍵は「三」
彼らに秘められた異能の力は「三」人になると顕在化する。
実体となった異能の力は、能力の最大値まで引き出され、他の暴走をも牽制する。つまり「三」人でいることで安定する。ならば、その一角が崩れ、だしぬけに制御を失えば──。
迷走するのは目に見えていた。
ダイがわざわざ知らせにきたのも、自覚と予感があるからだろう。それも、せっぱつまって、後がないほどに深刻な──。
ランプの灯りに照らされて、ガスパルに向って言葉を紡ぐ、まだあどけない頬がよみがえる。常軌を逸する「狂暴な力」に呑まれた子供──。
不気味な軋みと土煙をあげ、街道の地面から浮きあがった車輪。
宙でゆらぐ幌馬車の前に、立ちはだかった小さな姿。
「──ガスパル」
ギイは気だるく腕を伸ばして、灰皿に吸い殻を押しつける。
「斬るか、お前が」
子供らの背負う"三"の厄難。
ひと度それが始まれば、神ならぬ身は止める術を知らない。ひとたびダイが制御不能に陥れば──。
ガスパルはウサギを眺めたままで、片頬をゆがめて苦笑いする。「ま、そいつが俺の役割ですから」
本人が今も寝ているのであろう天井の暗がりを眺めやり、やれやれと頭を掻いた。
「……指名なんか、してくるんじゃねえよ」
この夜の密やかな約束が、果たされることは、ついになかった。
翌朝ダイは、食堂に降りてこなかったからだ。
朝の白い日射しの中で、ダイは静かに事切れていた。
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